マラキ QT4【疲れた神様】2204027(水) 枝川愛の教会
マラキ 2:17~3:62:17 あなたがたは、自分のことばで主を疲れさせた。あなたがたは言う。「どのようにして、私たちが疲れさせたのか。」それは、あなたがたが「悪を行う者もみな主の目にかなっている。主は彼らを喜ばれる。いったい、さばきの神はどこにいるのか」と言うことによってだ。3:1 「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、彼が来る。──万軍の主は言われる。」3:2 だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。3:3 この方は、銀を精錬する者、きよめる者として座に着き、レビの子らをきよめて、金や銀にするように、彼らを純粋にする。彼らは主にとって、義によるささげ物を献げる者となる。3:4 ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日々のように、ずっと以前の年々のように主を喜ばせる。3:5 「わたしは、さばきのためにあなたがたのところに近づく。わたしは、ためらわずに証人となって敵対する。呪術を行う者、姦淫をする者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人を虐げてやもめやみなしごを苦しめる者、寄留者を押しのけてわたしを恐れない者に。──万軍の主は言われる──3:6 主であるわたしは変わることがない。そのため、ヤコブの子らよ、あなたがたは絶え果てることはない。 祭司と民たちは宗教の形式的な祭儀は守っていましたが、信仰は堕落していました。信仰は形だけが残って、汚れたもの、使ってから残りのものを神様にささげました。それで17節に「主を疲れさせた」と表現しています。形は中身を入れるときに美しいです。中身がない形であれば、むしろ問題を隠すことになり、矛盾と偽善を引き起こす毒になります。日常において自分の形と中身を確認することは大切です。 神様はヤコブとの約束を忘れられず、堕落した民を浄化します。それは裁きになりますが、それによってヤコブとの約束が守られるということです。浄化には懲戒と苦しみが伴われます。しかし、捨てられる呪いではありません。契約の使者が来てイスラエルを清められますが、それは金を精錬する者、布をさらす者にたとえられます。金はそれによって純粋となり、布はそれにとってきよくなります。 しかし、その過程で、痛みを避けることはできません。痛んで浄化された民と祭司はやがて、義によるささげ物を献げるようになります。イスラエルは高ぶり、アッシリアに滅びました、バビロニアに滅びました。彼らはやっと戻ってきた地で再び高ぶります。歴史で学ばず、自分を振り返ることはしません。人間は絶えず忘却し、失敗します。みことばを聞いて立ち返る人は生きられます。