Ⅰコリント 黙想9【ともにするから自立できます】220514(土) 枝川愛の教会
Ⅰコリント 7:1~167:1 さて、「男が女に触れないのは良いことだ」と、あなたがたが書いてきたことについてですが、7:2 淫らな行いを避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。7:3 夫は自分の妻に対して義務を果たし、同じように妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。7:4 妻は自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同じように、夫も自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは妻のものです。7:5 互いに相手を拒んではいけません。ただし、祈りに専心するために合意の上でしばらく離れていて、再び一緒になるというのならかまいません。これは、あなたがたの自制力の無さに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑しないようにするためです。7:6 以上は譲歩として言っているのであって、命令ではありません。7:7 私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。しかし、一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。7:8 結婚していない人とやもめに言います。私のようにしていられるなら、それが良いのです。7:9 しかし、自制することができないなら、結婚しなさい。欲情に燃えるより、結婚するほうがよいからです。7:10 すでに結婚した人たちに命じます。命じるのは私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。7:11 もし別れたのなら、再婚せずにいるか、夫と和解するか、どちらかにしなさい。また、夫は妻と離婚してはいけません。7:12 そのほかの人々に言います。これを言うのは主ではなく私です。信者である夫に信者でない妻がいて、その妻が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。7:13 また、女の人に信者でない夫がいて、その夫が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。7:14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。7:15 しかし、信者でないほうの者が離れて行くなら、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。7:16 妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。 パウロはコリント教会の聖徒たちが淫行しないように結婚しなさい勧めます。性的欲望の理由で結婚するということに異議があるかもしれませんが、パウロは性的に乱れたコリントに住んでいる聖徒たちに大切なことを合理的な勧告をしています。大人になると、経済的にも情緒的にも自立しなければなりません。しかし、厳密な意味で自立は自分一人ではなく、配偶者と一緒に家庭の中で自立します。性を間違って使うと大きな罪になりますが、家庭の中では美しく聖なるものになります。 ということで、夫婦はお互いに責任と義務を負い合います。一方的に要求せずにお互いを配慮します。それで権利と責任が一緒に住みます。パウロがおのおの別の部屋を使ってはいけないと言ったのは、ただ性的な理由だけではありません。夫婦はお互いを慰めます。既婚者が不倫に陥るのは、性的な欲求だけではありません。心を置くところがない人が情緒的な慰めを求めて不倫に陥ります。ですから、家庭の中でより信頼とつながりをさらに築くようにと進めています。もし配偶者の一方がクリスチャンではない場合も同じです。基礎は家庭だからです。誰にとっても夫婦の義務と責任というのは大切です。お互いの理解と配慮と責任を果たしていけば、信じない配偶者も信じる配偶者の信仰のゆえに、信仰の中に入ってくると言います。基本を大切にしましょう。