エステル 黙想9【救いの広がり】220621(火) 枝川愛の教会
エステル 8:11~178:11 その中で王は、どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、虐殺し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許した。8:12 このことは、クセルクセス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うようにということであった。8:13 各州に法令として発布される、この文書の写しが、すべての民族に公示された。それは、ユダヤ人が自分たちの敵に復讐するこの日に備えるためであった。8:14 御用馬の早馬に乗った急使は、王の命令によってせき立てられて、急いで出て行った。この法令はスサの城で発布された。8:15 モルデカイは青色と白色の王服を着て、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。すると、スサの都は喜びの声にあふれた。8:16 ユダヤ人にとって、それは光と喜び、歓喜と栄誉であった。8:17 王の命令と法令が届いたところは、どの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この地の諸民族の中で大勢の者が、自分はユダヤ人であると宣言した。それはユダヤ人への恐れが彼らに下ったからである。 1849年、ロシアで反体制の容疑で検挙されたある若き囚人の死刑が執行されようとした瞬間、伝令が皇帝の死刑停止特令をもって急ぎで駆けつけました。そして死刑は中止されました。死刑の直前に生き残ったその若者の名前はドストエフスキーです。もちろん、皇帝が恐怖を与えようとした演劇のようなものでしたが、ドストエフスキーはその事実を知りませんでした。ドストエフスキーは死の絶望に陥り、再び生きて生きる場に這い上がってきたわけであります。5分後には終わると思っていたドストエフスキーの人生は、数多くの作品を残しながら、30年をも生きました。ドストエフスキーは、救いが何であるかを身をもって経験した人です。 ユダヤ人はまもなく死ぬと思っていました。絶望の中にありましたが、馬に乗って来た王の命令は、ユダヤ人を生かし、むしろユダヤ人を害する人を罰する命令でした。スサの都をはじめ、すべての帝国に散らばったユダヤ人は、この救いの知らせを聞いて喜び、「ジャンチ」を開き、その日を記念日としました。死の恐れと絶望に置かれていた彼らにとって馬に乗って来た救いの知らせとモルデカイの栄光とはどれほど嬉しいことだったのでしょうか。人が死の前に立たずに救いを経験することができるでしょうか?死を思う事もしないのに救いの喜びを知ることができるでしょうか? ドストエフスキーは死ぬと思いましたが、皇帝は殺すつもりはありませんでした。ユダヤ人は死ぬと思っていましたが、神様は彼らを死に放っておくつもりはありませんでした。ただ、その危機と絶望の中で救われる神様であることを現すためでした。神様の救いが現されるのに、神様を信じないと言う人はいません。「…この地の諸民族の中で大勢の者が、自分はユダヤ人であると宣言した。それはユダヤ人への恐れが彼らに下ったからである。17」。力のない少数民族であるユダヤ人を殺そうとした本土の人々がユダヤ人を恐れ、ユダヤ人になりました。ユダヤ人でなくても割礼を受け、ユダヤ教に改宗すればユダヤ人になることができたからです。神様の救いが世を現されるなら、人々は確かに神様の民になりたく願います。わたしを救った神様の力が証しされた時、わたしが生きるこの時代とその中に生きる人々に救いが広がることを祈ります。