詩篇 黙想23【認めざる得ない存在の絶望】220625(土) 枝川愛の教会
詩篇 22:1~2122:1 わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず。22:2 わが神昼に私はあなたを呼びます。しかしあなたは答えてくださいません。夜にも私は黙っていられません。22:3 けれどもあなたは聖なる方御座に着いておられる方イスラエルの賛美です。22:4 あなたに私たちの先祖は信頼しました。彼らは信頼しあなたは彼らを助け出されました。22:5 あなたに叫び彼らは助け出されました。あなたに信頼し彼らは恥を見ませんでした。22:6 しかし私は虫けらです。人間ではありません。人のそしりの的民の蔑みの的です。22:7 私を見る者はみな私を嘲ります。口をとがらせ頭を振ります。22:8 「主に身を任せよ。助け出してもらえばよい。主に救い出してもらえ。彼のお気に入りなのだから。」22:9 まことにあなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。22:10 生まれる前から私はあなたにゆだねられました。母の胎内にいたときからあなたは私の神です。22:11 どうか私から遠く離れないでください。苦しみが近くにあり助ける者がいないのです。22:12 多くの雄牛が私を取り囲みバシャンの猛者どもが私を囲みました。22:13 彼らは私に向かって口を開けています。かみ裂く吼えたける獅子のように。22:14 水のように私は注ぎ出され骨はみな外れました。心はろうのように私のうちで溶けました。22:15 私の力は土器のかけらのように乾ききり舌は上あごに貼り付いています。死のちりの上にあなたは私を置かれます。22:16 犬どもが私を取り囲み悪者どもの群れが私を取り巻いて私の手足にかみついたからです。22:17 私は自分の骨をみな数えることができます。彼らは目を凝らし私を見ています。22:18 彼らは私の衣服を分け合い私の衣をくじ引きにします。22:19 主よあなたは離れないでください。私の力よ早く助けに来てください。22:20 救い出してください。私のたましいを剣から。私のただ一つのものを犬の手から。22:21 救ってください。獅子の口から野牛の角から。あなたは私に答えてくださいました。 昨年7月まで読んで中断した詩篇の黙想が再開され、今朝は22章を読みます。この詩篇は、読むだけで息苦しいです。状況は絶望であり、希望は全く見えません。神様の助けがありません。助けてくださいと哀願していましたが、その叫びさえも疲れ果てています。「うめきのことば1」「あなたに叫び5」「水のように注ぎ出され、骨はみな外れ、心はろうのように溶けました14」この苦難の詩篇は、イザヤ53章と共にキリストの十字架を表わす代表的な詩篇です。「わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか1」は、イエス・キリストが十字架の苦しみから吐き出されたうめき声であり、「彼らは私の衣服を分け合い私の衣をくじ引きにします18」を言い換えれば、イエス・キリストは裸になっていることです。 十字架の下で起きた嘲笑と蔑視の事です。 神様がイエス・キリストを十字架の苦しみと、その悲惨な死までに与えたのは、罪を担当させたからです。この苦みは人を救うためであり、生かすためです。罪というものは責任を負わなければならず、その罪の責任のゆえに贖いになって代わりに死ななければなりません。罪の報酬は死だからです。イエス・キリストが今その代わりになったので、苦しみの中から抜け出ることができません。嘲笑って無視され、まるで自分が「虫けら6」であるという実存を発見します。「水のように注ぎ出され、骨はみな外れ、心はろうのように溶けました14」「犬どもが私を取り囲み16」「乾ききり舌は上あごに貼り付いています15」あの死のちりの上に藻掻く多くの苦しみの言語がこの詩を読む自分のものでなければ、十字架を通していただく贖いの恵みも自分のものにはできません。一日を救いと回復の恵みの中で生きるためには、底の絶望を直視しなければなりません。