詩篇 28:1~928:1 主よ私はあなたを呼び求めます。わが岩よどうか私に耳を閉ざさないでください。私に沈黙しないでください。私が穴に下る者どもと同じにされないように。28:2 私の願いの声を聞いてください。私があなたに助けを叫び求めるとき。私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき。28:3 どうか悪者や不法を行う者どもと一緒に私を引いて行かないでください。彼らは隣人と平和を語りながらその心には悪があるのです。28:4 彼らの行いとその悪にしたがって彼らに報いてください。その手のわざにしたがって彼らに報いその仕打ちに報復してください。28:5 彼らは主のなさることも御手のわざをも悟らないので主は彼らを打ち壊し建て直すことはされません。28:6 ほむべきかな主。主は私の願いの声を聞かれた。28:7 主は私の力私の盾。私の心は主に拠り頼み私は助けられた。私の心は喜び躍り私は歌をもって主に感謝しよう。28:8 主は彼らの力。主は主に油注がれた者の救いの砦。28:9 どうか御民を救ってください。あなたのゆずりの民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなっていつまでも彼らを携え導いてください。 詩人は、神様が自分の祈りに答えられないなら、自分は穴に下る者と同じであるという切なる心で祈っています。頼るところは、ただ神様の御名のみです。ということで神様は唯一岩、自分の力と盾であると告白します。詩篇において岩は避け処を言います。神様が、艱難から逃れる避難所となり、基盤が揺れるときに頼れる岩になることは、神の民の特権です。すべてが崩れ落ちても聖徒には終わりではありません。 詩人が対敵している人は表と裏が違うような人々です。彼らは、言葉では平和を語り、平和の契約を結びましたが、それを守らない人々です。詩人が心配しているのはダビデ自分の個人的なことではなく、平和のかぶった偽善と欺瞞の人々から共同体を守ることです。共同体の信頼性の回復のために神様の義の判決を求めています。詩篇28編は「私は」で始まりますが「彼ら」で終わります。つまる、とりなしの祈りです。ダビデが経験した神様の救いを自分だけでなく、すべての共同体が一緒に経験したいからです。ダビデの祈りに従って私たちの共同体をも祝福したと思います。「どうか御民を救ってください。あなたのゆずりの民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなっていつまでも彼らを携え導いてください。9」