Ⅱコリント6【土の器のように】2200713(水) 枝川愛の教会
Ⅱコリント 3:12~184:1 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません。4:2 かえって、恥となるような隠し事を捨て、ずる賢い歩みをせず、神のことばを曲げず、真理を明らかにすることで、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。4:3 それでもなお私たちの福音に覆いが掛かっているとしたら、それは、滅び行く人々に対して覆いが掛かっているということです。4:4 彼らの場合は、この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしているのです。4:5 私たちは自分自身を宣べ伝えているのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えています。私たち自身は、イエスのためにあなたがたに仕えるしもべなのです。4:6 「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。4:7 私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。4:8 私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。4:9 迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。4:10 私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。 使徒パウロの献身は今でも宣教と教会のための大きな感動になりますが、当時パウロは教会内外から迫害と拒絶を受けて困難していました。それにもかかわらず、パウロがそのような献身ができたのは、献身しなければならないという意志ではなく、福音の価値が大きすぎるからです。パウロはその宝を自分の弱い土の器の中に入れたと言いました。壊れやすく、傷つきやすいのですが、その土の器の中には決して変わらない、決してあきらめない福音があります。 その困難な時間を乗り越えたパウロはコリント教会の感謝と誇りになります。しかし、わたしたちはパウロの宣教の情熱ではなく、パウロを最後まで宣教への情熱を燃やしたその土の器の中にある福音を読み取らなければなりません。私たちも、土の器のように弱いのですが、その中にあきらめられない福音があります。土の器のような人生に福音を抱き、それを守り、伝えていくことを願います。