創世記 黙想1【恵みの始まり】220801(月) 枝川愛の教会
創世記 1:1~131:1 はじめに神が天と地を創造された。1:2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。1:5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。1:6 神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」1:7 神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。1:8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。1:9 神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。1:10 神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。1:11 神は仰せられた。「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」すると、そのようになった。1:12 地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。1:13 夕があり、朝があった。第三日。 「地地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり2」創造前は「カオス」、つまり無秩序であり、神様の創造、「コスモス」の後には世界の秩序が整えられた。秩序とは、道徳的な規範を言うのではなく、世界が作動する原則です。光があって明るさと暗さ、昼と夜が分かれたので時間的な秩序ができました。だから、昼に休んでも夜に休まず働き続けると生体リズムが壊れます。人間は神様によって造られた時間の中で生きる存在です。時間は神様の創造物です。それが、人間が時間に仕えることができないことであり、自分の時間の中に神様を制限することができない理由です。 「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。6,7」大空の水を分けられたというのは、下の水である海や川の水と、上の水である雲など、大気中の水蒸気に分かれたということです。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。すると、そのようになった。神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。9,10」神様は下の水をまた一か所に集めて、地と海を区別して空間的秩序を造られました。地で生きるものと水で生きるものは、それぞれ自分の空間的秩序の中で命を営みます。水で生きるものを地に、地に生きるもの水に入れると、凄まじい恐怖と苦痛の中で死にます。神様の創造世界の秩序の中ですべての創造物は安定を保ちます。 「地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。12」植物の循環の秩序は、自然法則と言う前に、神様の創造秩序と言わなければなりません。偶然に実を結ぶのではなく、秩序の中で創造されます。地の秩序の上に、植物の秩序が芽を生えさせ、実を結ばせ、大空の秩序が雨を降らせ、昼夜の秩序が季節を変えます。ですから、実は神様によって結ばれるのです。世界が偶然にできたということを疑いないしに信じることは確かに偶然の発想です。今日も夏の秩序の中で、植物は成長し、水は循環し、時間が終わった生き物は分解されます。しかし、夜になると涼しい風が吹きます。神様の創造秩序の中で平安が保たれますように祈ります。