創世記 黙想6【塩になった執着】220905(月) 枝川愛の教会
創世記 19:23~2919:23 太陽が地の上に昇り、ロトはツォアルに着いた。19:24 そのとき、主は硫黄と火を、天から、主のもとからソドムとゴモラの上に降らせられた。19:25 こうして主は、これらの町々と低地全体と、その町々の全住民と、その地の植物を滅ぼされた。19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて主の前に立ったあの場所に行った。19:28 彼は、ソドムとゴモラの方、それに低地の全地方を見下ろした。彼が見ると、なんと、まるでかまどの煙のように、その地から煙が立ち上っていた。19:29 神が低地の町々を滅ぼしたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼしたとき、神はロトをその滅びの中から逃れるようにされた。 ソドムとゴモラが滅びます。御使いたちはロトの家族に救いの機会を与えましたが、ロトの二人の婿はそれを信じず、滅びる町に残りました。「生活の場」に執着する人は、「生きる」ことがなくなる警告を受けても「場」にこだわり、生きることをを失ってしまいます。執着は人を愚かにし、愚かな人は執着します。上位価値のために切り換えができないからです。お金というのも、生きるために必要なものですが、お金にこだわって命を失うことをしばしばを見ます。救いの道が提示されても執着していているものを手放すことができないため、結局に最も大切なことを失います。ロトの婿たちはそのような人々でした。 ということでロトと彼の妻と二人の娘だけが町を脱出します。本来、ロトがソドムとゴモラに入ってきたのは、そこには牧草が豊富だったからです。叔父アブラハムとの財産紛争が起きた時、アブラハムが甥ロトに良い地を譲ったので、ロトはソドムとゴモラに入ったのです。牧畜に良い地だったので、ロトには牧畜による大きな財産を持っていました。ところが、町が滅びる緊急のときには急いで身を避けなければならないのでそれらを現金化することはできません。置いて出なければならないです。もしそれに執着していまったら、生きることをあきらめなければなりません。ロトの妻は振り返ってはならないと言われたにも、振り返ってみてしまったのです。執着と未練のためです。それによってロトの妻は塩の柱になりました。 塩人形が海に「誰ですか」と聞きました。海は「説明するのはできないけど…触ってみればわかる」と言いました。塩人形が海に足を入れると足が消え、手をつかむと手が消えました。海の深さを計るために海に飛び込んだら塩人形は溶けて海の一部になっりました。塩人形の文学的解釈を溶解する一体的な愛と言えるかもしれませんが、手で握っても所有できないという解釈、むしろその手と足と存在のすべてが失われるということで教訓を得ます。今、執着していることを見つけ、それを捨てることによって受け取ることが何なのかを真剣に悩みたいと思います。