詩篇 黙想36【譲れないこと】221128(月) 枝川愛の教会

詩篇 35:19~2835:19 偽り者の私の敵を私のことで喜ばせないでください。ゆえもなく私を憎む人々が目くばせし合わないようにしてください。35:20 彼らは平和を語らず地の平穏な人々に欺きを企むからです。35:21 彼らは私に向かって大きく口を開け「あははこの目で見たぞ」と言います。35:22 主よあなたはご覧になりました。黙っていないでください。わが主よ私から遠く離れないでください。35:23 奮い立ってください。目を覚ましてください。私のさばきのために。わが神わが主よ私の訴えのために。35:24 あなたの義にしたがって私のためにさばきを行ってください。主よわが神よ彼らを私のことで喜ばせないでください。35:25 彼らに心のうちで言わせないでください。「あははわれわれの望みどおりだ」と。どうか言わせないでください。「われわれは彼を吞み込んだ」と。35:26 私のわざわいを楽しむ者たちがみな恥を見辱めを受けますように。私に向かって高ぶる者が恥と恥辱を身にまといますように。35:27 私の義を喜びとする者たちが喜びの声をあげ楽しむようにしてください。彼らがいつもこう言うようにしてください。「主は大いなるかな。ご自分のしもべの平和を喜ばれる方は」と。35:28 私の舌は告げ知らせます。あなたの義を。日夜あなたの誉れを。   罪は神様を離れたことそのものであり、またはそれが作り出す結果です。神様を離れた人は基準を失ったので、結局自分自身を基準にします。毎回の強調ですが、自分に仕えるのが偶像崇拝です。神様に仕えない人は誰でも偶像に仕えることになります。   自分の中で神様が薄れれば、偶像が大きくなり、偶像が大きくなると、自分の中に神様が見えません。なので自己中心はすなわち罪です。御言葉がすなわち神様であると言われましたが、それは御言葉の前で自分自身が客観化するからです。 御言葉が基準であるなら、その御言葉の前で自分を空にし、御言葉に照らされます。   自我中心主義(Egocentrism)は、自分と他者を区別することができません。自分の視点以外に、異なる視点を認めたり、理解したりする能力がないのです。自分自身が物事の中心であると思うため、その目ですべてを解釈します。しかし、本人は自分のことに気づくことがありません。   エゴイスト (egoism) と自我中心主義 (Egocentrism) は少し違います。利益を見ると目の下に人が見えない人を利己主義者と言いますが、自己中心主義者は利益と損害と関係なく、いつも私が正当です。残念ながら他人に不快感と不便を与えますが、 結局に困るのは自分自身です。   真理を聞いてもそれぞれ思いが違います。神様の御言葉の前に立たず、自分の中に閉じ込めた神を作り、それを信じます。真理を編集します。自我中心主義者の中に真理が入っても、自我はその真理を支配しようとします。結局、神様も信仰も歪まれます。   ダビデの嘆願の条件は真実であり、公議です。ダビデが嘆願しているのは、彼らの傲慢と錯覚が成功してはならないからです。ダビデ自分が勝ち、彼らが負けてほしいという要求ということより、変質し、歪曲した信念と確信が成功してはならないということを嘆願しています。   クリスマスが近づくと、いつも「クリスマス・キャロル」を思い出します。スクルージじいさんの話です。スクルージはエゴイストであり、自己中心主義者でした。そんな彼が劇的に変化する決定的な契機は、自分が自分から離れ、分を客観的に見つめた後です。   自分の中に入った神様はよく歪みます。信じますが、御言葉の前に立つことはしない人のことです。ダビデは誤解され、歪曲された自己中心的信仰、そしてその中で祝福と恵みを求める利己的信仰の時代を痛烈に批判しているようです。

시편 묵상36【양보할 수 없는 것】221129(화) 에다가와 사랑의 교회

시편 35:19~2835:19 무리하게 나의 원수된 자로 나를 인하여 기뻐하지 못하게 하시며 무고히 나를 미워하는 자로 눈짓하지 못하게 하소서35:20 대저 저희는 화평을 말하지 아니하고 평안히 땅에 거하는 자를 거짓말로 모해하며35:21 또 저희가 나를 향하여 입을 크게 벌리고 하하 우리가 목도하였다 하나이다35:22 여호와여 주께서 이를 보셨사오니 잠잠하지 마옵소서 주여 나를 멀리하지 마옵소서35:23 나의 하나님 나의 주여 떨치고…

詩篇 黙想35【信頼を失った人の信頼】221128(月) 枝川愛の教会

詩篇 35:1~1835:1 主よ私と争う者と争い私と戦う者と戦ってください。35:2 盾と大盾を手に取って私を助けに来てください。35:3 槍を抜き私に追い迫る者たちを封じてください。私のたましいに言ってください。「わたしがあなたの救いだ」と。35:4 私のいのちを求める者たちが恥を見卑しめられますように。私に対してわざわいを謀る者たちが退き辱めを受けますように。35:5 彼らを風の前の籾殻のようにし主の使いが追い散らすようにしてください。35:6 彼らの道を暗闇とし滑りやすくし主の使いが彼らを追うようにしてください。35:7 ゆえもなく彼らは隠しました。網を張った穴を私のために。ゆえもなくそれを掘りました。私のたましいのために。35:8 思わぬときに滅びが彼を襲いますように。隠した網が彼を捕らえ滅びの中に彼が落ち込みますように。35:9 私のたましいは主にあって喜び御救いの中にあって楽しみます。35:10 私のすべての骨は言います。「主よだれがあなたのようでしょう。苦しむ者をより強い者から救い苦しむ者貧しい者を略奪者から救う方。」35:11 悪意のある証人どもが立ち私が知らないことを私に問います。35:12 彼らは悪をもって善に報い私のたましいは見捨てられています。35:13 しかし私は彼らが病のとき粗布をまといました。私は断食してたましいを苦しめ私の祈りは胸の中を行き来していました。35:14 私の友や兄弟であるかのように私は足を運び母の喪に服するようにうなだれて泣き悲しみました。35:15 それなのに私がつまずくと彼らは喜んで集まり私の知らない攻撃者が私に向かって集まり休みなく私を中傷しました。35:16 嘲りののしる者たちは私の周りで私に向かって歯をむき出しました。35:17 わが主よいつまで眺めておられるのですか。私のたましいを彼らの略奪から私のただ一つのものを若い獅子から奪い返してください。35:18 私は大いなる会衆の中であなたに感謝し力強い民の間であなたを賛美します。   35編でダビデの心はとても悔しいようです。悔しくて恨めしい心が詩の全体からにじみ出ています。読んでみると、この苦しみは敵によることではなく、信頼していた人々が背を向けて敵になったことによる苦しみです。今ダビデを苦しめている人々は一時期にダビデが信頼していた人です。ダビデは彼らが困難な時に断食をしながら祈ったこともあります。彼らはそのようなダビデを裏切ったのです。   裏切られることが痛いのは、人が人を信頼したからです。裏切りは、耐え難い感情です。裏切られたら、裏切った人にだけに恨みを持つのではありません。世の中が怖くなります。捨てられたという拒絶感を覚えます。それによって自尊感も落ちます。韓国では若者の検索キーワードの中で唯一上位にランクされる心理学言語が、自尊感です。裏切られ、断られざるえない厳しい競争の世界の中で人生の自尊感は揺れます。   確かに否定的な感情ではありますが、今ダビデは神様とより親密です。神様と私の間において信頼というものは、ただ私の役目です。神様は私を信頼することではなくではなく、私を愛しておられます。だから、私が信頼を持てるなら、神様と私の関係は壊れない信頼の関係です。人が私を裏切り、苦しめても、密かに告げ口ができる神様との信頼の関係があるなら、裏切りの世の生きても私は崩れ落ちません。

시편 묵상35【신뢰를 잃은 사람의 신뢰】221128(월) 에다가와 사랑의 교회

시편 35:1~1835:1 여호와여 나와 다투는 자와 다투시고 나와 싸우는 자와 싸우소서35:2 방패와 손 방패를 잡으시고 일어나 나를 도우소서35:3 창을 빼사 나를 쫓는 자의 길을 막으시고 또 내 영혼에게 나는 네 구원이라 이르소서35:4 내 생명을 찾는 자로 부끄러워 수치를 당케 하시며 나를 상해하려 하는 자로 물러가 낭패케 하소서35:5 저희로 바람 앞에 겨와 같게 하시고 여호와의 사자로…

詩篇 黙想34【賛美の理由】221125(金) 枝川愛の教会

詩篇 33:1~2233:1 正しい者たち主を喜び歌え。賛美は直ぐな人たちにふさわしい。33:2 竪琴に合わせて主に感謝せよ。十弦の琴に合わせてほめ歌を歌え。33:3 新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに巧みに弦をかき鳴らせ。33:4 まことに主のことばは真っ直ぐでそのみわざはことごとく真実である。33:5 主は正義と公正を愛される。主の恵みで地は満ちている。33:6 主のことばによって天は造られた。天の万象もすべて御口の息吹によって。33:7 主は海の水をせき止めて集め湧き出る水を倉に納められる。33:8 全地よ主を恐れよ。すべて世界に住む者よ主の御前におののけ。33:9 主が仰せられるとそのようになり主が命じられるとそれは立つ。33:10 主は国々のはかりごとを破りもろもろの民の計画をくじかれる。33:11 主のはかられることはとこしえに立ちみこころの計画は代々に続く。33:12 幸いなことよ主を自らの神とする国は。神がご自分のゆずりとして選ばれた民は。33:13 主は天から目を注ぎ人の子らをすべてご覧になる。33:14 御座が据えられた所から地に住むすべての者に目を留められる。33:15 主は一人ひとりの心を形造りわざのすべてを読み取る方。33:16 王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。33:17 軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない。33:18 見よ主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。33:19 彼らのたましいを死から救い出し飢饉のときにも彼らを生かし続けるために。33:20 私たちのたましいは主を待ち望む。主は私たちの助け私たちの盾。33:21 まことに私たちの心は主を喜び私たちは聖なる御名に拠り頼む。33:22 主よあなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望むときに。   詩篇33編は神様を賛美しなければならない理由について歌っています。詩人は神様を賛美せざるえない信仰を告白しているのです。その告白には内面的な悟りの過程があると思います。賛美をささげるのは、人間には持っていないものを持っておられる神様に対する尊敬と愛の表しです。   賛美の理由、その一つ目は神様は正しく、真実で、慈しみ深いからであります。二つ目は神様が万物をお造りになった創造の能力を持っておられる方だからです。三つ目は神様の摂理の中で歴史を統べ治め、救いを成し遂げる方だからです。   詩人がこれらの神様の属性を告白して賛美しているのは、自分にはそのようなものがないということを知っているからです。自分には愛も慈悲もなく、自分は創造主ではなく、被造物であり、一寸先も見通せなく、自分で自分を救うことができません。それを知っています。神様への賛美は、この知識に基づいています。造られた私が神様の愛によって救われたことに気づいたので、神様を賛美せざるを得ません。

시편 묵상34【찬양의 이유】221125(금) 에다가와 사랑의 교회

시편 33:1~2233:1 너희 의인들아 여호와를 즐거워하라 찬송은 정직한 자의 마땅히 할바로다33:2 수금으로 여호와께 감사하고 열 줄 비파로 찬송할지어다33:3 새 노래로 그를 노래하며 즐거운 소리로 공교히 연주할찌어다33:4 여호와의 말씀은 정직하며 그 행사는 다 진실하시도다33:5 저는 정의와 공의를 사랑하심이여 세상에 여호와의 인자하심이 충만하도다33:6 여호와의 말씀으로 하늘이 지음이 되었으며 그 만상이 그 입기운으로 이루었도다33:7 저가 바닷물을 모아 무더기…

詩篇 黙想33【幸いなことよ】221124(木) 枝川愛の教会

詩篇 32:1~1132:1 幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。32:2 幸いなことよ主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。32:3 私が黙っていたとき私の骨は疲れきり私は一日中うめきました。32:4 昼も夜も御手が私の上に重くのしかかり骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。セラ32:5 私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。セラ32:6 それゆえ敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かってあなたがおられるうちに。大水は濁流となっても彼のところに届きません。32:7 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り救いの歓声で私を囲んでくださいます。セラ32:8 私はあなたが行く道であなたを教えあなたを諭そう。あなたに目を留め助言を与えよう。32:9 あなたがたは分別のない馬やらばのようであってはならない。くつわや手綱そうした馬具で強いるのでなければそれらはあなたの近くには来ない。32:10 悪しき者は心の痛みが多い。しかし主に信頼する者は恵みがその人を囲んでいる。32:11 正しい者たち主を喜び楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ喜びの声をあげよ。   ダビデが部下の妻と不倫を犯し、それを隠すために忠誠な部下を殺します。今日の詩篇はそれを背景にしています。しかし、時間がかなり経った後に書いたものです。ダビデは確かに酷い罪を犯しましたが、当時ダビデ本人じは力に酔っていたせいか、それに対する自覚がありませんでした。欲にとらわれて、わざと知らんぷりをしたのかもしれません。預言者ナダンがそれを責めた時、王ダビデでは否定することもあり、力で押しつぶすこともできたでしょう。しかし、ダビデは自分と自分の罪を認め、ひざまずきました。ダビデがよくやったのは罪を犯したことではなく、それを悔い改めたことです。   今日の詩篇にはダビデの邪悪な罪とそれに伴うダビデの人生の苦痛が出てきます。しかし、その中でも「幸い」という言葉があります。この幸いは罪を犯していない人のことではなく、自分の罪を知っている人のことであり、それを認め、ひざまずくことができる人のことです。だから幸いのない人は自分の罪を知らず、告白もせず、悔い改めることをしない人です。福音が神様の赦しであるということを覚えれば、悔い改めは罪人の方からできる最善のことです。

시편 묵상33【복이 있도다】221124(목) 에다가와 사랑의 교회

시편 32:1~1132:1 허물의 사함을 얻고 그 죄의 가리움을 받은 자는 복이 있도다32:2 마음에 간사가 없고 여호와께 정죄를 당치 않은 자는 복이 있도다32:3 내가 토설치 아니할 때에 종일 신음하므로 내 뼈가 쇠하였도다32:4 주의 손이 주야로 나를 누르시오니 내 진액이 화하여 여름 가물에 마름 같이 되었나이다(셀라)32:5 내가 이르기를 내 허물을 여호와께 자복하리라 하고 주께 내 죄를 아뢰고…

創世記 黙想63【垣を越える枝】221121(月) 枝川愛の教会

創世記 49:22~3349:22 ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの、実を結ぶ若枝。その枝は垣を越える。49:23 弓を射る者は激しく彼を攻め、彼を射て苦しめた。49:24 しかし、彼の弓はいつも固く張られ、彼の腕はすばやい。ヤコブの力強き方の手から、そこから、イスラエルの岩である牧者が出る。49:25 おまえを助ける、おまえの父の神によって、おまえを祝福する全能者によって、上よりの天の祝福、下に横たわる大水の祝福、乳房と胎の祝福があるように。49:26 おまえの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘の極みにまで及ぶ。これらがヨセフの頭の上に、兄弟たちの中から選り抜かれた者の頭の頂にあるように。49:27 ベニヤミンは、かみ裂く狼。朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける。」49:28 これらはすべてイスラエルの部族で、十二であった。これは、彼らの父が彼らに語ったことである。彼らを祝福したとき、それぞれにふさわしい祝福を与えたのであった。49:29 また、ヤコブは彼らに命じた。「私は、私の民に加えられようとしている。私をヒッタイト人エフロンの畑地にある洞穴に、先祖たちとともに葬ってくれ。49:30 その洞穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヒッタイト人エフロンから、私有の墓地とするために、畑地とともに買い取った洞穴だ。49:31 そこにはアブラハムと妻サラが葬られ、そこにイサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。49:32 その畑地とその中にある洞穴は、ヒッタイト人たちから買ったものだ。」49:33 ヤコブは息子たちに命じ終えると、足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。   ヤコブがヨセフを祝福する時、「ヨセフは実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える」と言いました。垣を越える枝です。ヨセフが受けた祝福は宣教において最高の祝福であると思います。確かにヨセフは自分の境遇を越えました。カナンの境地を越え、絶望と忍耐の境地を越えました。まるで手を伸ばすように枝を伸ばし、自分のところを超え、他のところまで伸ばし、実を結び、その実をもってその地に仕えた人です。   枝川愛の教会には三面に海があります。その海はまるで狭い川のように流れる運河です。「川」を越える「枝」が「枝川」です。枝川は、福音を持って私たちの地境を越え、仕える祝福の管になるでしょう。ヤコブはヨセフとベニャミンを祝福して死にます。世は変わり、世代も交代します。彼らに与えられた課題も使命もそれぞれ違います。しかし、変わらない神様の救いの憐れみは続けられます。次の世代も神様の救いの働きのために地境を越えていきます。  

창세기 묵상63【담장 너머로 뻗은 나무】221121(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 49:22~3349:22 요셉은 무성한 가지 곧 샘 곁의 무성한 가지라 그 가지가 담을 넘었도다49:23 활쏘는 자가 그를 학대하며 그를 쏘며 그를 군박하였으나49:24 요셉의 활이 도리어 견강하며 그의 팔이 힘이 있으니 야곱의 전능자의 손을 힘입음이라 그로부터 이스라엘의 반석인 목자가 나도다49:25 네 아비의 하나님께로 말미암나니 그가 너를 도우실 것이요 전능자로 말미암나니 그가 네게 복을 주실 것이라 위로…