創世記 黙想59【旅路】221114(月) 枝川愛の教会
創世記 47:1~1247:1 ヨセフはファラオのところに来て、報告した。「私の父と兄弟たち、また、その羊の群れ、牛の群れ、そして、彼らの所有するものすべてが、カナンの地から参りました。今、ゴシェンの地におります。」47:2 彼は兄弟の中から五人を連れて来て、ファラオに引き合わせた。47:3 ファラオはヨセフの兄弟たちに尋ねた。「おまえたちの職業は何か。」彼らはファラオに答えた。「しもべどもは羊を飼う者で、私どもも、私どもの先祖もそうでございます。」47:4 また、彼らはファラオに言った。「私たちはこの地に寄留しようとして参りました。カナンの地は飢饉が激しくて、しもべどもの羊のための牧草がございません。どうか、しもべどもをゴシェンの地に住まわせてください。」47:5 ファラオはヨセフに言った。「おまえの父と兄弟たちが、おまえのところに来た。47:6 エジプトの地はおまえの前にある。最も良い地に、おまえの父と兄弟たちを住まわせなさい。彼らをゴシェンの地に住まわせるがよい。彼らの中に有能な者たちがいるのが分かったなら、その者たちを私の家畜の係長としなさい。」47:7 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。47:8 ファラオはヤコブに尋ねた。「あなたの生きてきた年月は、どれほどになりますか。」47:9 ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」47:10 ヤコブはファラオを祝福し、ファラオの前から立ち去った。47:11 ヨセフは、ファラオが命じたとおりに、父と兄弟たちの住まいを定め、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地に所有地を与えた。47:12 またヨセフは、父と兄弟たちとその一族全員を、扶養すべき者の数に応じて、食物を与えて養った。 エジプトに到着したヤコブは、エジプトの王ファラオに会います。ファラオがヤコブの年齢を尋ねると、130歳だと言い、旅人の道でいろいろなわざわいがある年月を送ったと言います。ヤコブの口からわざわいの人生ということを聞くと、彼の人生が走馬灯のように流れます。エジプトに下る道でヤコブは何を考えたのでしょうか。ヨセフに会えること喜びですが、老年に定着したところを離れて食べ物を求めて移住しているヤコブはとても悲しかったと思います。確かにヤコブの人生は旅人の人生でした。だからヤコブの祝福というのは、安定して安らぎを楽しむ祝福ではありませんでした。「生きるということは何か」という質問は忘れたらまたくださる神様の質問です。しかし、生きることが何であるかは誰にもわかりません。与えられた時間を生きていくだけです。 ファラオの質問に対するヤコブの答えは、自分自身の憐憫を超え、人生の本質を告白したことだと思います。ヤコブだけがそうではありません。すべての人生は神様の中で旅人です。昨日の説教で「神様がくださる時間と空間の提供が終わるのが人間の死」と言いました。与えられた時間と空間を生きる人間にとって、旅人という言葉ほど正確にアイデンティティを表すことはありません。誰もが旅人の道を生きていきます。執着せずに生きたいです。今朝の祈祷会で伝道書を読みました。 「人の労苦はみな、自分の口のためである。しかし、その食欲は決して満たされない。6:7」満たされない食欲、食べられないという不安のために何かを捕まえていきますが、思った通りになりません。旅立ちなので可哀想です。しかし、それよりもっとかわいそうなのは、この地にあるものを捕まえて死なないように執着して生きていく愚かさでしょう。