伝道者の書 黙想8【権威に対する積極的対処】221221(水) 枝川愛の教会
伝道者の書 8:1~88:1 知恵のある者とされるにふさわしいのはだれか。物事の解釈を知っているのはだれか。人の知恵は、その人の顔を輝かせ、その顔の固さを和らげる。8:2 私は言う。王の命令を守れ。神への誓約があるから。8:3 王の前から慌てて出て行くな。悪事に荷担するな。王は自分の望むままを行うから。8:4 王のことばには権威がある。だれが、王に「何をするのか」と言えるだろうか。8:5 命令を守る者はわざわいを知らない。知恵ある者の心は時とさばきを知っている。8:6 すべての営みには時とさばきがある。人に降りかかるわざわいは多い。8:7 何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかを、だれも告げることはできない。8:8 風を支配し、風をとどめておくことのできる人はいない。死の日を支配することはできず、この戦いから免れる者はいない。そして、悪は悪の所有者を救い得ない。 ソロモンは王の命令に逆らわず、王の権威に服従せよと言います。しかし、それは王のためのものではないと思います。なぜなら王に対する服従を言いながら、それを「物事の解釈」と言い、「時とさばきを知る」と言ったからです。ですから、究極的には王のためではなく、自分または共同善のためです。 王権時代にあった王の権威に対する服従を現在の政治構造に適用することはできません。 古代王国では国家は王のものであり、民も王の所有でしたが、代議民主主義では主権は国民にあり、主人である国民は国家公務員に権力を委任したものですから、厳密に言えば、命令権者は国民です。 権力者はすべての権力が国民から出るという主権在民の上位権威を忘れてはならず、同時に国民は手続きに従って選出され、任命された権力者の政務的権威を認めなければなりません。したがって、国民は権力機関の意思決定に服従しなければならず、権力者はいかなる場合も権力を私有化しない憲法的価値を守護しなければなりません。それは命令権者の国民を裏切ることだからです。それこそ、「物事の解釈」であり、「時とさばきを知る」ことです。 ソロモンの意図は、王権を強化しようとするものでもなく、民の権利を擁護しようとするものでもありません。誰にでも現在、自分の上にたっている何らかの権威があります。ソロモンは、その権威者と権威的行為が不当な時にそれに逆らってしまう愚かさのゆえに、一人の個人が機会を逃したり、失敗することがないようにするためです。命令権者の不当さに「積極的に対処すること」が権威への服従です。「積極的な対処」とは人の器によって異なります。脱権威の時代に生きていますが、決定権を持つ権威はなくなりません。結局器を作り出す人に多くの機会が与えられます。