伝道者の書 黙想9【労苦に添えてくださる快楽】221222(水) 枝川愛の教会
伝道者の書 8:9~178:9 私はこのすべてを見て、私の心を注いだ。日の下で行われる一切のわざについて、人が人を支配して、わざわいをもたらす時について。8:10 すると私は、悪しき者たちが葬られて去って行くのを見た。彼らは、聖なる方のところから離れ去り、わざを行ったその町で忘れられる。これもまた空しい。8:11 悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は、悪を行う思いで満ちている。8:12 悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。8:13 悪しき者には幸せがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らが神の御前で恐れないからだ。8:14 空しいことが地上で行われている。悪しき者の行いに対する報いを受ける正しい人もいれば、正しい人の行いに対する報いを受ける悪しき者もいる。私は言う。「これもまた空しい」と。8:15 だから私は快楽を賛美する。日の下では、食べて飲んで楽しむよりほかに、人にとっての幸いはない。これは、神が日の下で人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。8:16 私が昼も夜も眠らずに知恵を知り、地上で行われる人の営みを見ようと心に決めたとき、8:17 すべては神のみわざであることが分かった。人は日の下で行われるみわざを見極めることはできない。人は労苦して探し求めても、見出すことはない。知恵のある者が知っていると思っても、見極めることはできない。 パズルのピースはパズル全体について知りません。例えば、風景画のパズルがあるとすれば、そのパズル全体の中で地の一部であるピースは空について知らず、風景全体についても知りません。地の一切れに過ぎません。しかし、そのピースはなくてはならないです。そのようなピースの役割が集まって絵は完成されます。神様は人間を宇宙のパズルを合わせる存在にしたのではなく、それを構成する一つのピースに創造されました。なので始まりと終わりを知らず、矛盾だらけの中を生きる人は全体について知らないです。 ソロモンはそのような人生に、もう一度食べて飲んで楽しむ快楽についてお勧めします。食べて飲んで楽しむということ、それはまるで食いつぶすような快楽主義と思いがちですが、この快楽の背景は明らかに「労苦に添えてくださるもの」です。ですから、食べて飲んで楽しむことは日常を営むということでしょう。始まりと終わり、その意味を知ろうとしても知らない人生に知恵者は今日の安息を大切にしなさいという結論を下します。1日3回、食卓につき人のあるべき感情は「感謝」でなければならず、食べて飲むことは「楽しみ」、ともにいる人たちとは「喜び」でなければなりらないと思います。