伝道者の書 黙想11【時と機会】221227(火) 枝川愛の教会
伝道者の書 9:11~189:11 私は再び、日の下を見た。競走は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。パンは知恵のある人のものではなく、富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではない。すべての人が時と機会に出会うからだ。9:12 しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、罠にかかった鳥のように、人の子らも、わざわいの時が突然彼らを襲うと罠にかかる。9:13 私はまた、知恵について、日の下でこのようなことを見た。それは私にとって大きなことであった。9:14 わずかの人々が住む小さな町があった。そこに大王が攻めて来て包囲し、それに対して大きな土塁を築いた。9:15 その町に、貧しい一人の知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を救った。しかし、だれもその貧しい人を記憶にとどめなかった。9:16 私は言う。「知恵は力にまさる。しかし、貧しい者の知恵は蔑まれ、その人のことばは聞かれない」と。9:17 知恵のある者の静かなことばは、愚かな者の間での支配者の叫びよりもよく聞かれる。9:18 知恵は武器にまさり、一人の罪人は多くの良いことを打ち壊す。 夜明けに起きて夜明けに眠るまで一日中働いても家族の三食を食べさせることができなかった貧しい時代がありました。死ぬほど働きましたが、時代が貧しかったので、いつもお腹が空いていなければなりませんでした。今この時代に食べて生きることを自分自身の誠実と有能のお陰だと思うのは傲慢です。私たちはこの時代からもらう九つの恵みの上に一つぐらいの努力をしているだけです。富を自慢することが恥ずかしいです。この時代が私たちを裏切るなら、努力してもまた食べられない時代は戻ってきます。食べられる時代に生きることがありがたいです。 速いこと、強いこと、技術と知恵がすべて有能な条件ですが、それが時というものに出会わなければ光も放つことはできません。才能のために興じる人もいれば、才能のために滅びる人もいます。有能な条件があっても人に会い、時が会わなければなりません。時というのは神様の中にあります。人と時に出会う祝福があれば、九つがなくても、一つだけ持っていることで成功しますが、その恵みがなければ九つを持っても照らされません。賜物も、才能も、実力も大切ですが、それをつなぐのは確かに人との出会いであり、それは時を統べ治める神様の中にあります。その恵みのために祈ります。