ピリピ人への手紙 黙想9【パウロの最後の祝祷】230120(金) 枝川愛の教会
ピリピ 4:14~234:14 それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。4:18 私はすべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロディトからあなたがたの贈り物を受け取って、満ち足りています。それは芳ばしい香りであって、神が喜んで受けてくださるささげ物です。4:19 また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。4:20 私たちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。4:21 キリスト・イエスにある聖徒の一人ひとりに、よろしく伝えてください。私と一緒にいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。4:22 すべての聖徒たち、特にカエサルの家に属する人たちが、よろしくと言っています。4:23 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。 今朝を持ってピリピへの手紙は終わります。パウロが56年と57年にピリピを訪問してからピリピへの手紙はその後パウロがローマの監獄に監禁された時、61年から62年の間に書き送られた手紙です。パウロがローマの投獄されると、ピリピ教会はエパフロディトという人をローマに送ってパウロの必要を満たしました。ところが、エパフロディトが重い病気になって危険でしたが、幸いに治ってピリピに帰れるようになりますが、「ピリピ人への手紙」はその時エパフロディトがピリピに持って行った手紙です。 ピリピ教会は、パウロがマケドニア、つまりヨーロッパ大陸に入って初めて開拓した教会で、ピリピの開拓後、テサロニゲを経由し、ギリシャ半島まで伝道した時、できたばかりのピリピ教会はパウロの財政的後援者になっていました。そういう意味で、ピリピ教会は一つの開拓地ではなく、アンディオクとヨーロッパをつなぐ重要な宣教的拠点の役割をしたのです。パウロにとって、ピリピ教会への感謝と愛情は特別なものだったと思います。 しかし、ピリピ教会の人々はこれ以上にパウロに会うことはできず、パウロの手紙を受け取ることもできませんでした。数年後、パウロは斬首刑で死ぬことになるからです。ネロ皇帝のキリスト教迫害の暗雲が始めた時でした。一時的に釈放されますが、パウロは最後の瞬間までヨーロッパの端、スペインまで行って伝道しようと思っていました。というわけで、今日の本文のお別れが、パウロが送るピリピ教会への最後のメッセージです。 イエス様と同じように、パウロも成功ではなく死刑で終わりました。しかし、それが失敗ではなく成功です。イエス様が成就し、パウロが伝え、私たちが伝えている救いの福音は肉体の成功のためのものではありません。命をかけて信じるのではなく、もともと福音は肉体の生命を超えた永生に関するものだからです。そのなかでも、ピリピに感謝の気持ちを持っているパウロは、ピリピ教会の聖徒たちに神様が報いてくださり、豊かになることを祝福しながら祈ります。宣教のために仕えるところが神様によって豊かに報われることをパウロに従って祝願します。 パウロに会えないピリピの聖徒たちは、その日にエパフロディトが持ってきたこの手紙を受け取って喜びと悲しみを持って読んだと思います。その重さが私たちに伝わっていただきたいと願います。パウロの最後の挨拶が余韻を残してピリピへの手紙は終わります。「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。23」これ以上に良い祝福はありません。パウロが肉体の命と変えたそのキリストの恵みが私たちの心と霊の中にあることを願います。