使徒の働き 黙想2 【言葉が通じる人々】 20230620 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 2章 1~13
使徒の働き 2:1~132:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、2:6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。2:7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。2:8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。2:9 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、2:10 フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」2:12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。 五旬節に聖霊が臨まれます。聖霊が臨んでから人々は他国の言語で話し始めました。異言の祈りについては神学的背景によって意見が分かれていますが、神様の霊の働きを制限することはできません。異言の祈りはないと言えなければ、異言だけだとも言えません。それぞれ自分の祈り方で祈ればいいことです。 ただし、今朝の本文の核心は異言の祈りではありません。五旬節の聖霊降臨にあって他国の言葉は、神様に対する祈りの言語ではなく、人々とのコミュニケーションの言語でした。聞き取れない言葉で祈り始めたのではなく、言語が違って聞き取れなかった人たちが聞き取れるようにしゃべり始めた事件です。 ですから、聖霊が来られて一番先にされたことは福音が伝われる道に妨げている壁を崩したことです。言語が同じでも聞こうとしない人に伝える方法はありません。しかし、言語が違っても、聖霊の人が聖霊の人に会えば通じます。信仰と希望と愛の言葉は国境を超えて通じます。宣教ができない制限はありません。聖霊の言語を携えていきたいと願います。