使徒の働き 黙想16 【最も恐ろしい敵】 20230705 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 7章 51~8章 1
使徒の働き 7章 51~8章 17:51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。7:53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。 いわゆる神本主義を主張する人に、その反対概念で人本主義を排撃しますが、聖書の人物を偉人伝の教訓と仰ぐことこそ人本主義の産物です。もちろん聖書の中に偉大な人もおり、教訓的なメッセージがありますが、それが主題ではありません。聖書の中から人を発見する時は、恥ずかしく、神様を発見する時は少しでも信仰が芽生えてきます。そして、それは同じものです。神様を知れば知るほど自分が見え、自分を知れば知るほど神様を求めざるえないです。 ユダヤ人は、旧約聖書の預言者たちが自分たちの血筋と信仰の祖先だと考えていました。しかし、実際には彼らの祖先は預言者たちを拒絶し、迫害し、殺した人々です。時間が経つと迫害した人が迫害された人の栄光に乗り込みます。そしてその伝統と自負心が信仰であるかのように思い込みます。その伝統というものにどのような意味があるのかを絶えず質問しなければ、ついに神様ではないものに仕えてしまいます。スデパノは、神様を信じると言いながら、矛盾している彼らの卑劣を批判します。 信仰の敵は何でしょうか。ユダヤ人は信仰の敵がスデパノであると考え、スデパノを殺しました。しかし、敵は外にいるのではありません。不信仰にあることでもありません。 最も恐ろしい敵は、私の中にある根拠のない伝統と自負心です。そのような人は聖書から神を見つけることができず、人を見つけようとします。彼らは自分に悲惨さを見つけられず、誇りを言い出します。パウロとユダヤ人は宗教的な誇りという偶像を仕え、スデパノを殺しました。歪んだ信仰というのはいかに恐ろしいことでしょうか。神様の前で素直になることで信仰は生きていることができます。