使徒の働き 黙想20 【アイネアとタビタ】 20230712 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 9章 32~43
使徒の働き 9:32~439:32 さて、ペテロがあらゆるところを巡回していたときのことであった。彼は、リダに住む聖徒たちのところにも下って行った。9:33 そこで彼は、アイネアという名で、八年間床についている人に出会った。彼は中風であった。9:34 ペテロは彼に言った。「アイネア、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださいます。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると、彼はただちに立ち上がった。9:35 リダとシャロンに住む人々はみなアイネアを見て、主に立ち返った。9:36 またヤッファに、その名をタビタ、ギリシア語に訳せばドルカスという女の弟子がいた。彼女は多くの良いわざと施しをしていた。9:37 ところが、そのころ彼女は病気になって死んだ。人々は遺体を洗って、屋上の部屋に安置した。9:38 リダはヤッファに近かったので、ペテロがそこにいると聞いた弟子たちは、人を二人、彼のところに遣わして、「私たちのところまで、すぐ来てください」と頼んだ。9:39 そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところに来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。9:40 ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈った。そして、遺体の方を向いて、「タビタ、起きなさい」と言った。すると彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がった。9:41 そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちを呼んで、生きている彼女を見せた。9:42 このことがヤッファ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。9:43 ペテロはかなりの期間、ヤッファで、シモンという皮なめし職人のところに滞在した。 ペトロが中風病者のアイネアを起こし、すでに死んだタビタを救う話です。この場面で私たちはイエス様が38年間の中風病者を治したことを思い出し、すでに死んだ少女を生き返らせたタリタ、クムの事件も思い出します。イエス様が行っていた奇跡がペトロの時代にも再現され、イエス様のタリタ、クムはペトロのダビダ、クムになりました。 使徒時代の奇跡が今も起きるのか、今は止まったのかという神学的立場の違いから、いわゆる賜物中止論と賜物持続論の議論があります。ほとんど自分が属している教派の立場に従います。(自己信仰に無責任にも…)いわゆる福音主義または改革主義というところは賜物中止論です。奇跡や体験を求めず、御言葉を大切にする方で、一方は聖霊派、賜物派というペンテコステ系統は賜物持続主義を主張します。異言や癒し体験などを大切にしています。 私は両方とも信じていません。それは信じる問題ではなく、一生を通して経験しながら確認しなければならない問題だからです。あるのにないとは言えないし、ないのにあると言い張ることはできません。または、意味が隠れていたり、形が変わったのかもしれません。どのような教団と教派に属したからといって決まる問題ではありません。賜物中止論を支持する人も病気になったら癒しを祈りますし、賜物持続論を支持する人も病と死から逃れることはできません。 神様は今も病人を治して死んだ人を生き返らせることができる方だと信じています。しかし、神様を信じることが癒しや長生き、神秘的体験のためのものではありません。ひたすら自分のために神様の奇跡と経験を利用しようとするのことは気の毒で、神様を制限して否定するのも愚かです。私は神様の超自然的な臨在と働きを信じ、祈ります。しかし、いかなる現象や体験がなくても、それが信仰に影響しません。 治された人もいつかまた病気になり、生き返った人もまた死にます。だからこの癒しの奇跡は信じようともしない頑固な人々を注目させるためのものです。 使徒の働きにおける癒しは、魂の救いのための宣教のシグナルです。福音を信じて魂が救われる目的に向かう過程で起こることです。奇跡ではなく、行われている宣教に目を止めるべきです。