使徒の働き 黙想21【きよくないと言ってはならない】 20230713 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 10章 1~16
使徒の働き 10:1~1610:1 さて、カイサリアにコルネリウスという名の人がいた。イタリア隊という部隊の百人隊長であった。10:2 彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。10:3 ある日の午後三時ごろ、彼は幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。その御使いは彼のところに来て、「コルネリウス」と呼びかけた。10:4 彼は御使いを見つめていたが、恐ろしくなって言った。「主よ、何でしょうか。」すると御使いは言った。「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、覚えられています。10:5 さあ今、ヤッファに人を遣わして、ペテロと呼ばれているシモンという人を招きなさい。10:6 その人は、シモンという皮なめし職人のところに泊まっています。その家は海辺にあります。」10:7 御使いが彼にこう語って立ち去ると、コルネリウスはしもべたちのうち二人と、彼の側近の部下のうち敬虔な兵士一人を呼び、10:8 すべてのことを説明して、彼らをヤッファに遣わした。10:9 翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈るために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。10:10 彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。ところが、人々が食事の用意をしているうちに、彼は夢心地になった。10:11 すると天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。10:12 その中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいた。10:13 そして彼に、「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえた。10:14 しかし、ペテロは言った。「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」10:15 すると、もう一度、声が聞こえた。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」10:16 このようなことが三回あってから、すぐにその入れ物は天に引き上げられた。 コルネリウスという人はイタリア軍の将校で、当時被支配民だったユダヤ人をとても配慮した良い人でした。彼は幻の中で御使いから聞き、ペトロを招くためにしもべを送ります。しもべが着く頃に祈っていたペトロは、幻の中で不思議なことを見ていました。上から足の動物、地を這うもの、空の鳥が降りてくる際に、「立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえました。 ペトロが見たのがどんなものだったのかわかりませんが、確かに食用にしてはいけないものが降りてきたことに違いありません。根拠はレビ記です。 レビ記第11章には聖い動物と不正な動物の規例があり、ユダヤ人はこの律法に従って食べられるものと食べてはならないものが定められていました。したがって、ペトロは「屠って食べなさい」という声が聞こえても、「食べてはいけないものは今まで食べたことがなく、これからも食べられない」と言ったのです。 すると、「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。15」という声が繰り返されました。これは神様が食べ物の規定について語られたことではありません。福音にはユダヤ人と異邦人の差別がないということです。一つ目立つのは、コルネリウスという敬虔で立派な人を例えるのに不正な獣が登場することです。ユダヤ人であるペトロは、ユダヤ人ではないコルネリウスに神様の選択と救いがるとは考えていませんでした。 しかし、神様の前では、すべての人間は汚れています。ユダヤ人もクリスチャンも例外ではありません。イエス・キリストの名前によって救われる人は「善民」ではなく「選民」です。善いから救われるのではなく、哀れみによって選ばれるのです。 だから義ではないのに、義とされたとのです。神様が選び、義とされたものを誰が汚れていると言えるでしょうか?「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。ローマ書8:33,34」 腐敗し堕落したものをお呼び、お選び、義とされたのが救いです。神様の前で善い人がいません。「義人はいない。ひとりもいない。ローマ書3:10」 「イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。マルコ10:18」 ペトロもイエス様に出会った時に、最初に言った言葉が「私は罪人です」という告白でした。私は今でも相変わらず善ではなく、義でもありませんが、神様の定めによって選ばれ、義とされた恵みを信仰で告白して一日を始めたいと思います。