使徒の働き 黙想22【アンティオキア教会】 20230717 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 10章 1~16
使徒の働き 11:19~3011:19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。11:20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。11:21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。11:22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。11:23 バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。11:24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、11:26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。11:28 その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。11:29 弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。11:30 彼らはそれを実行し、バルナバとサウロの手に託して長老たちに送った。 ステパノ執事の殉教後、エルサレム教会の聖徒たちは広域的に散り、一部はアンティオキアに行って定着しました。アンティオキアは当時、ローマ帝国の中でローマとアレクサンドリアの次に栄えた大都市でした。そんなアンティオキアに比べればエルサレムは田舎です。アンティオキアという大都市に集まった聖徒たちはユダヤ人にもローマ人にも福音を伝え、多くの人々が福音を聞き、イエス·キリストを信じ、教会の一員になりました。このニュースがエルサレムに伝わると、エルサレム教会はバルナバを送り、バルナバはパウロを招き、共同牧会を始めます。 パウロとバルナバが教え始めた後、アンティオキア教会の聖徒たちは、キリスト者と呼ばれるようになります。内外的にアイデンティティが確認され、キリスト者としての共同体性は強固になったのです。アンティオキア教会は散らばったことで予期せず建てられた教会でしたが、アジアとマゲドニア、そしてギリシャとローマまで宣教を拡張していく大切な宣教の前哨基地になります。 アンティオキアはユダヤの地に飢饉が入り、苦しい時、エルサレム教会に支援金を送ります。礼拝と伝道と宣教と救済において最初から模範となった教会です。誰もアンティオキア教会を開拓したことはありません。迫害という状況の中で、アンティオキアに教会が建てられたのです。神様は宣教拡張のためにアンティオキアという大都市に福音の拠点を置き、ローマ世界伝道に準備されたバルナバとパウロを送りました。人々は厳しい環境の中でも福音を伝えることと、教会を建てることに献身しました。