사도행전 묵상32 【국제화와 상황화】 20230727 (목) 사도행전 15장 12~29

사도행전 15장 12~2915:12 온 무리가 가만히 있어 바나바와 바울이 하나님이 자기들로 말미암아 이방인 중에서 행하신 표적과 기사 고하는 것을 듣더니15:13 말을 마치매 야고보가 대답하여 가로되 형제들아 내 말을 들으라15:14 하나님이 처음으로 이방인 중에서 자기 이름을 위할 백성을 취하시려고 저희를 권고하신 것을 시므온이 고하였으니15:15 선지자들의 말씀이 이와 합하도다 기록된바15:16 이 후에 내가 돌아와서 다윗의 무너진 장막을…

使徒の働き 黙想31【エルサレム会議】 20230726 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 15章 1~11

使徒の働き 15章 1~1115:1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。15:2 それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。15:3 こうして彼らは教会の人々に送り出され、フェニキアとサマリアを通って行った。道々、異邦人の回心について詳しく伝えたので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。15:4 エルサレムに着くと、彼らは教会の人々と使徒たちと長老たちに迎えられた。それで、神が彼らとともにいて行われたことをすべて報告した。15:5 ところが、パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」と言った。15:6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。15:7 多くの論争があった後、ペテロが立って彼らに言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は以前にあなたがたの中から私をお選びになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされました。15:8 そして、人の心をご存じである神は、私たちに与えられたのと同じように、異邦人にも聖霊を与えて、彼らのために証しをされました。15:9 私たちと彼らの間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。15:10 そうであるなら、なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。15:11 私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」   第1次伝道旅行が終わり、第1回エルサレム議会が開かれます。議題は非ユダヤ人の救いと教会共同体への編入手続きをどうするかについてです。血統的ユダヤ人でなくても割礼を受け、従来も律法を守ることを約束するという一種の帰化を選択すれば、ユダヤ人社会に編入することができました。ところが宣教の現場ではすでに多くの非ユダヤ人が信じ、割礼も受けていない状態で洗礼を受け、教会共同体に留まっていたことあったので、これが問題になったのです。   パリサイ派出身の一人が立ち上がって洗礼を受け、聖徒になるためには、必ず割礼と律法遵守が必須であると発言します。しかし、ペトロには確信的な解答がありました。彼が記憶しているキリストの約束と命令の御言葉が内的な証拠であり、すでに宣教の現場で非ユダヤ人宣教が進まれている外的証拠があったからです。救いの信仰を持って礼拝の共同体に編入するためにユダヤ人になる必要はありません。教会共同体は聖霊の恵みを体験した人々、キリストに従う人々の集まりです。キリスト教がユダヤ教のように高い垣根を作ってはならず、私たちの心が未だに硬いバリサイ人のように排他的になってはいけません。すべての人間に、罪人という条件は、福音を受け入れ、救われることができる機会です。

사도행전 묵상31 【예루살렘 공의회】 20230726 (수) 사도행전 15장 1~11

사도행전 15장 1~1115:1 어떤 사람들이 유대로부터 내려와서 형제들을 가르치되 너희가 모세의 법대로 할례를 받지 아니하면 능히 구원을 얻지 못하리라 하니라15:2 바울과 바나바와 저희 사이에 적지 아니한 다툼과 변론이 일어난지라 형제들이 이 문제에 대하여 바울과 바나바와 및 그 중에 몇 사람을 예루살렘에 있는 사도와 장로들에게 보내기로 작정하니15:3 저희가 교회의 전송을 받고 베니게와 사마리아로 다녀가며 이방인들의 주께…

使徒の働き 黙想30【殉教の危機、宣教の可能性】 20230725 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 14章 19~28

使徒の働き 14章 19~2814:19 ところが、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにした。彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出した。14:20 しかし、弟子たちがパウロを囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバとともにデルベに向かった。14:21 二人はこの町で福音を宣べ伝え、多くの人々を弟子としてから、リステラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返して、14:22 弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語った。14:23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。14:24 二人はピシディアを通ってパンフィリアに着き、14:25 ペルゲでみことばを語ってからアタリアに下り、14:26 そこから船出してアンティオキアに帰った。そこは、二人が今回成し終えた働きのために、神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。14:27 そこに着くと、彼らは教会の人々を集め、神が自分たちとともに行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。14:28 そして二人は、しばらくの間、弟子たちとともに過ごした。   パウロがリステラで伝道していた時、押し寄せてきたユダヤ人たちに石打たれ死んだと思い、捨てられました。しかしパウロは立ち上がり、リステラに入ります。パウロはデルベに行き、再びリステラに戻った後、1次伝道旅行の逆順で伝道地に巡り、礼拝の拠点を確認しながらアンティオキアに帰還します。   死ぬほど殴られ、奇跡のように生き返ったパウロは恐かったと思いますが、また、リステラに入ります。本文には登場しないですが、パウロはここで幼いテモテに会います。しばらくして2次伝道旅行の時にパウロは、死の危機を迎えていたリステラを訪れ、テモテを連れて宣教旅行を続けます。リステラで苦労した分、リステラの実は素晴らしいでした。   このように1次伝道旅行において非ユダヤ人宣教の可能性を確認することができました。何もないところへ、何も持たず、妨げ、虐げる人々に死ぬほど打たれながらキリストの福音を伝えました。非ユダヤ人はそれを聞き、信じました。パウロは死ぬところでしたが、宣教の可能性は確認したことであります。   私たちの視点からすると、すべてが無理な計画、無理な日程でした。計画と準備が緻密ではなく、宣教師の安全も確保されませんでした。準備というのは確かに必要ですが、神様は人間の合理性と計画の中に閉じ込められる方ではありません。聞き従う人を通して神様が開かれます。パウロとバルナバのいわゆる無理なチャレンジがあったこそ、一次伝道旅行は成功することができました。

사도행전 묵상30 【순교의 위기와 선교의 가능성】 20230725 (화) 사도행전 14장 19~28

사도행전 14장 19~2814:19 유대인들이 안디옥과 이고니온에서 와서 무리를 초인하여 돌로 바울을 쳐서 죽은 줄로 알고 성밖에 끌어 내치니라14:20 제자들이 둘러 섰을 때에 바울이 일어나 성에 들어갔다가 이튿날 바나바와 함께 더베로 가서14:21 복음을 그 성에서 전하여 많은 사람을 제자로 삼고 루스드라와 이고니온과 안디옥으로 돌아가서14:22 제자들의 마음을 굳게 하여 이 믿음에 거하라 권하고 또 우리가 하나님 나라에…

使徒の働き 黙想29【拒絶か、混合か】 20230724 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 14章 1~18

使徒の働き 14章 1~1814:1 イコニオンでも、同じことが起こった。二人がユダヤ人の会堂に入って話をすると、ユダヤ人もギリシア人も大勢の人々が信じた。14:2 ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちを扇動して、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。14:3 それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。14:4 すると、町の人々は二派に分かれ、一方はユダヤ人の側に、もう一方は使徒たちの側についた。14:5 異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちと一緒になり、二人を辱めて石打ちにしようと企てたとき、14:6 二人はそれを知って、リカオニアの町であるリステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、14:7 そこで福音の宣教を続けた。14:8 さてリステラで、足の不自由な人が座っていた。彼は生まれつき足が動かず、これまで一度も歩いたことがなかった。14:9 彼はパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼をじっと見つめ、癒やされるにふさわしい信仰があるのを見て、14:10 大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がり、歩き出した。14:11 群衆はパウロが行ったことを見て、声を張り上げ、リカオニア語で「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった」と言った。14:12 そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人だったことから、パウロをヘルメスと呼んだ。14:13 すると、町の入り口にあるゼウス神殿の祭司が、雄牛数頭と花輪を門のところに持って来て、群衆と一緒にいけにえを献げようとした。14:14 これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて群衆の中に飛び込んで行き、叫んだ。14:15 「皆さん、どうしてこんなことをするのですか。私たちもあなたがたと同じ人間です。そして、あなたがたがこのような空しいことから離れて、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えているのです。14:16 神は、過ぎ去った時代には、あらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むままにしておられました。14:17 それでも、ご自分を証ししないでおられたのではありません。あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです。」14:18 こう言って二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げるのを、かろうじてやめさせた。   伝道が始まれば福音に対する反応が始まります。イコニオンの人々は福音を断ってパウロとバルナバを殺すつもりだったので、一行はそこを離れ、リステラとデルベ地域に移動して福音を伝えることになります。その過程でパウロはリステラで歩けない人を治して歩かせる奇跡を起こします。   それを見た地域の人々はバルナバをゼウスと言い、パウロはヘルメスと言い、彼らに礼拝しようとします。確かにユダヤ人と異邦人、つまりヘブライ文化とローマ文化の反応がそれぞれ異なります。唯一神宗教のユダヤ人はイエス·キリストの十字架の福音に対して神聖冒涜と言って宣教師一行を殺そうとし、多神教であるローマ人は宣教師が引き起こす奇跡を見て彼らを神格化しようとしています。   今日の本文を見ると、福音伝道の反応は拒絶か、混合です。福音は各地域と文化の服を着て定着します。当然なことです。したがって、教会の建築様式や礼拝形式は変わります。それは間違いではありません。ゴシック様式の教会を建てるからといって、それが原型のキリスト教ではありません。形式がローカライズされるのは自然なことです。しかし、人格的信仰に関することを土着宗教と混ぜてはいけません。パウロとバルナバは創造主なる神様を証した後、全力を尽くして神を作ろうとする彼らの混合を制止します。パウロが伝えた福音の人格性、神が神であること、人が人であることを失ってはいけません。

사도행전 묵상29 【안 믿거나 틀리게 믿거나】 20230724 (월) 사도행전 14장 1~18

사도행전 14장 1~1814:1 이에 이고니온에서 두 사도가 함께 유대인의 회당에 들어가 말하니 유대와 헬라의 허다한 무리가 믿더라14:2 그러나 순종치 아니하는 유대인들이 이방인들의 마음을 선동하여 형제들에게 악감을 품게 하거늘14:3 두 사도가 오래 있어 주를 힘입어 담대히 말하니 주께서 저희 손으로 표적과 기사를 행하게 하여 주사 자기 은혜의 말씀을 증거하시니14:4 그 성내 무리가 나뉘어 유대인을 좇는 자도…

使徒の働き 黙想28 【価値観】 20230723 (日) 枝川愛の教会 使徒の働き 13章 42-52

使徒の働き 13章 42-52 13:42 二人が会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。 13:43 会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した。 13:44 次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。 13:45 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。 13:46 そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。」 13:47 主がわたしたちに、こう命じておられるかれです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」 13:48 異邦人たちはこれを聞いて喜び、主のことばを賛美した。そして、永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。 13:49 こうして主のことばは、この地方全体に広まった。 13:50 ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町のおもだった人たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出した。 13:51 二人は彼らに対して足のちりを払い落して、イコニオンに行った。 13:52 弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。 パウロが宣べ伝えた福音を聞いた人々は、その福音を受け入れ、求めるようになりました。その福音について再び聞きたい気持ちに満ちました。しかし、頑固な人たちは、その福音を受け入れるどころか、福音を聞くために集まった群衆を見て、妬みに燃えました。彼らが妬んだのは福音ではなく、その福音を聞くために集まった‘群衆’でした。 自分たちに富と名誉をもたらした群衆たちが、福音を聞いてパウロとバルナバの所に集まっている姿を見た彼らは、今まで持っていた富と名誉を失うかも知れない心配に恐れました。彼らにとって大事な価値は真理ではなく、この世と人にあったのです。 ユダヤ人はイエス・キリストの福音をだれよりも近くで、速く聞くことが許される特権を持っている人たちでした。パウロはこの事実を知っていました。この特権についてのパウロの考えはローマ人への手紙で見つけることができます。しかし、だれよりも速く聞くことは、だれよりも速く受け入れることだとは言えません。逆にそれは、だれよりも速く裁きに至ることもあるということです。 ”悪を行うすべての者の上には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、苦難と苦悩が下り、善を行うすべての者には、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。”(ローマ2:9-10) だからこそパウロは当然にまずユダヤ人たちに福音を宣べ伝えました。しかし、ユダヤ人たちはそのチャンスを捕まえられませんでした。パウロとバルナバはピシディアのアンティオキアを去りながら、足のちりを払い落としました。これは、イエス様が弟子たちに命じたことで、裁きのしるしでした。 ”だれかがあなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家や町を出て行くときに足のちりを払い落としなさい。まことに、あなたがたに言います。さばきの日には、ソドムとゴモラの地のほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです。”                   (マタイ10:14-15) 福音を拒み、パウロとバルナバの所に集まった人々を妬んだユダヤ人たちは、この世の物を追いかける価値観を持っていました。しかし、福音を受け入れた人たちは違います。彼らはパウロとバルナバが迫害されて町を去るときにも喜びと聖霊に満たされていました。パウロとバルナバの次は自分たちの番であることを、彼らも知っていたはずです。それにもかかわらず、彼らに恐れはありませんでした。彼らはすでにこの世の何物にも換えられない価値を持っている福音を得たからです。 今を生きていく私たちは何を追いかけていますか。何に恐れ、何に喜んでいますか。福音を受け入れた私たちが、今もなおこの世のことに一喜一憂する生き方をしているなら、私たちの価値観を改める必要があります。 この世の何にも換えられない、何よりも大切な福音によって、生きていく全ての瞬間が喜びと感謝に満ち溢れる私たちになることを願います。

사도행전 묵상28 【가치관】 20230723 (일) 사도행전 13장 42-52

사도행전 13장 42-52 13:42 그들이 나갈새 사람들이 청하되 다음 안식일에도 이 말씀을 하라 하더라 13:43 회당의 모임이 흩어진 후에 유대인과 유대교에 입교한 경건한 사람들이 많이 바울과 바나바를 따르니 두 사도가 더불어 말하고 항상 하나님의 은혜 가운데 있으라 권하니라 13:44 그 다음 안식일에는 온 시민이 거의 다 하나님의 말씀을 듣고자 하여 모이니 13:45 유대인들이 그 무리를…

使徒の働き 黙想27 【純粋な福音】 20230722 (土) 枝川愛の教会 使徒の働き 13章 32-41

使徒の働き 13章 32-41 13:32 私たちもあなたがたに、神が父祖たちに約束された福音を宣べ伝えています。 13:33 神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩編の第二編に、『あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。』と書かれているとおりです。 13:34 そして、神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もやは朽ちて滅びることがない方とされたことについては、こう言っておられました。『わたしはダビデへの確かで真実な約束を、あなたがたに与える。』 13:35 ですから、ほかの箇所でもこう言っておられます。『あなたは、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せになりません。』 13:36 ダビデは、彼の生きた時代に神のみこころに仕えた後、死んで先祖たちの仲間に加えられ、朽ちて滅びることになりました。 13:37 しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちて滅びることがありませんでした。 13:38 ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、 13:39 この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。 13:40 ですから、預言者たちの書に言われているようなことが起こらないように、気をつけなさい。 13:41 『見よ、嘲る者たち。驚け。そして消え去れ。わたしが一つの事をあなたがたの時代に行うからだ。それは、だれかが告げても、あなたがたには信じがたいことである。』」 パウロはユダヤ人の会堂、礼拝の中でイエス・キリストの福音を宣べ伝えています。この福音はユダヤ人に合わせた優しい形ではなく、ユダヤ人も、当時のギリシア文化の影響を受けた人々も、理解ができない話し、純粋なイエス・キリストの福音そのものでした。 本来、この福音はユダヤ教にとって冒涜であり、憎らしい異端教でありました。ひょっとすれば、以前、パウロがクリスチャンたちを迫害したように、パウロも訴えられ、その場で殺される可能性もあります。しかし、パウロは福音を宣べ伝えることに迷いがありませんでした。ただの分かりやすい福音を伝えるだけではだめだということを、彼は知っていたからです。 ”私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。”(ローマ1:16) この直前、パウロは確かユダヤ人に合わせて、わかりやすく福音を宣べ伝えました。しかい、そのわかりやすい福音だけで終わりませんでした。彼の結論は遠く回して宣べ伝える福音ではなく、ありのままの、純粋な福音でした。 最初からこの純粋な福音を聞いて、受け入れる人はあまりいません。従って、わかりやすい福音、彼らに合わせた伝え方で福音を伝わなければなりません。しかし、純粋な福音がなければ、イエス様の弟子にはなれません。だからこそ、私たちの結論はいつも純粋な福音にならなければなりません。 純粋な福音を宣べ伝えるにはいつも多くの苦難が伴います。しかい、純粋な福音なしで育つ教会は自ら最も多くの苦難を生みます。 純粋な福音を持って成長し、次の世代を育てる私たちになることを願います。