사도행전 묵상17 【위기와 순종】 20230706 (목) 사도행전 8장 2~13

사도행전 8장 2~138:2 경건한 사람들이 스데반을 장사하고 위하여 크게 울더라8:3 사울이 교회를 잔멸할새 각집에 들어가 남녀를 끌어다가 옥에 넘기니라8:4 그 흩어진 사람들이 두루 다니며 복음의 말씀을 전할새8:5 빌립이 사마리아 성에 내려가 그리스도를 백성에게 전파하니8:6 무리가 빌립의 말도 듣고 행하는 표적도 보고 일심으로 그의 말하는 것을 좇더라8:7 많은 사람에게 붙었던 더러운 귀신들이 크게 소리를 지르며 나가고…

使徒の働き 黙想16 【最も恐ろしい敵】 20230705 (水) 枝川愛の教会 使徒の働き 7章 51~8章 1

使徒の働き 7章 51~8章 17:51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。7:53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。   いわゆる神本主義を主張する人に、その反対概念で人本主義を排撃しますが、聖書の人物を偉人伝の教訓と仰ぐことこそ人本主義の産物です。もちろん聖書の中に偉大な人もおり、教訓的なメッセージがありますが、それが主題ではありません。聖書の中から人を発見する時は、恥ずかしく、神様を発見する時は少しでも信仰が芽生えてきます。そして、それは同じものです。神様を知れば知るほど自分が見え、自分を知れば知るほど神様を求めざるえないです。   ユダヤ人は、旧約聖書の預言者たちが自分たちの血筋と信仰の祖先だと考えていました。しかし、実際には彼らの祖先は預言者たちを拒絶し、迫害し、殺した人々です。時間が経つと迫害した人が迫害された人の栄光に乗り込みます。そしてその伝統と自負心が信仰であるかのように思い込みます。その伝統というものにどのような意味があるのかを絶えず質問しなければ、ついに神様ではないものに仕えてしまいます。スデパノは、神様を信じると言いながら、矛盾している彼らの卑劣を批判します。   信仰の敵は何でしょうか。ユダヤ人は信仰の敵がスデパノであると考え、スデパノを殺しました。しかし、敵は外にいるのではありません。不信仰にあることでもありません。 最も恐ろしい敵は、私の中にある根拠のない伝統と自負心です。そのような人は聖書から神を見つけることができず、人を見つけようとします。彼らは自分に悲惨さを見つけられず、誇りを言い出します。パウロとユダヤ人は宗教的な誇りという偶像を仕え、スデパノを殺しました。歪んだ信仰というのはいかに恐ろしいことでしょうか。神様の前で素直になることで信仰は生きていることができます。

사도행전 묵상16 【가장 두려운 적】 20230705 (수) 사도행전 7장 51~8장 1

사도행전 7장 51~8장 17:51 목이 곧고 마음과 귀에 할례를 받지 못한 사람들아 너희가 항상 성령을 거스려 너희 조상과 같이 너희도 하는도다7:52 너희 조상들은 선지자 중에 누구를 핍박지 아니하였느냐 의인이 오시리라 예고한 자들을 저희가 죽였고 이제 너희는 그 의인을 잡아준 자요 살인한 자가 되나니7:53 너희가 천사의 전한 율법을 받고도 지키지 아니하였도다 하니라7:54 저희가 이말을 듣고 마음에…

使徒の働き 黙想15 【スデパノと創世記】 20230703 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 7章 1~16

使徒の働き 1~167:1 大祭司は、「そのとおりなのか」と尋ねた。7:2 するとステパノは言った。「兄弟ならびに父である皆さん、聞いてください。私たちの父アブラハムがハランに住む以前、まだメソポタミアにいたとき、栄光の神が彼に現れ、7:3 『あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地へ行きなさい』と言われました。7:4 そこで、アブラハムはカルデア人の地を出て、ハランに住みました。そして父の死後、神はそこから彼を、今あなたがたが住んでいるこの地に移されましたが、7:5 ここでは、足の踏み場となる土地さえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。しかし神は、まだ子がいなかった彼に対して、この地を彼とその後の子孫に所有地として与えることを約束されました。7:6 また、神は次のように言われました。『彼の子孫は他国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。』7:7 また、神は言われました。『彼らが奴隷として仕えるその国民を、わたしはさばく。それから彼らは出て来て、この場所でわたしに仕えるようになる。』7:8 そして、神はアブラハムに割礼の契約を与えられました。こうして、アブラハムはイサクを生み、八日目にその子に割礼を施しました。それからイサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長たちを生みました。7:9 族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神は彼とともにおられ、7:10 あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王ファラオの前で恵みと知恵を与えられたので、ファラオは彼をエジプトと王の全家を治める高官に任じました。7:11 すると、エジプトとカナンの全地に飢饉が起こり、大きな苦難が襲って来たので、私たちの父祖たちは食べ物を手に入れることができなくなりました。7:12 しかし、ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まず私たちの父祖たちを遣わしました。7:13 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分のことを打ち明け、ヨセフの家族のことがファラオに明らかになりました。7:14 そこで、ヨセフは人を遣わして、自分の父ヤコブと七十五人の親族全員を呼び寄せました。7:15 こうして、ヤコブはエジプトに下り、そこで彼も私たちの父祖たちも死にました。7:16 彼らはシェケムに運ばれ、かつてアブラハムがいくらかの銀でシェケムのハモルの子らから買っておいた墓に、葬られました。   スデパノの説教が始まります。スデパノはユダヤ人であり、この説教は自分を迫害するユダヤ人を対象とした説教です。スデパノは神殿主義、形式主義に陥っていたユダヤ宗教に対して旧約聖書のインサイトを通してキリスト教論に接近し、イエス·キリストがメシアであるということを弁証しています。そのため、今日の本文は創世記のところから述べています。   信仰の父、アブラハムから始まり、ヨセフに至るまで一貫してすべての出来事と過程の主語は神様です。神様が呼び、神様が送りました。人間が神様に何かをしたことではなく、神様に召され、導かれ、祝福と救いの恵みを受けたのです。神殿より神様が先におられ、律法より恵みが先にありました。   しかし、形式主義と権威主義に変質したユダヤ宗教は神殿と宗教的権威に挑戦すると考え、スデパノを神殿冒涜、神聖冒涜で起訴しました。宗教には信仰を汚す恐れがあります。本質に戻る努力をしなければ、形式的宗教に陥没し、真の信仰の姿を失ってしまいます。形式と権威が信仰に代わり、階級が愛に代わり、形式化され、強制された宗教は聖書からキリストの意味を読み取ることができません。聖書は誰もが読みますが、固まった人間は神のメッセージを読み取ることができません。神殿は礼拝のためにあり、律法は人になるためにあり、御言葉は愛を伝えるためにあるのです。

사도행전 묵상15 【스데반과 창세기】 20230703 (월) 사도행전 7장 1~16

사도행전 7장 1~167:1 대제사장이 가로되 이것이 사실이냐7:2 스데반이 가로되 여러분 부형들이여 들으소서 우리 조상 아브라함이 하란에 있기 전 메소보다미아에 있을 때에 영광의 하나님이 그에게 보여7:3 가라사대 네 고향과 친척을 떠나 내가 네게 보일 땅으로 가라 하시니7:4 아브라함이 갈대아 사람의 땅을 떠나 하란에 거하다가 그 아비가 죽으매 하나님이 그를 거기서 너희 시방 거하는 이 땅으로 옮기셨느니라7:5…

使徒の働き 黙想14 【御使いの顔】 20230702 (日) 枝川愛の教会 使徒の働き 6章 8-15

使徒の働き 6章 8-15 6:8 さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。 6:9 ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。 6:10 しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。 6:11 そこで、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは、彼がモーセと神を冒瀆することばを語るのを聞いた」と言わせた。 6:12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。 6:13 そして偽りの証人たちを立てて言わせた。「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。 6:14 『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」 6:15 最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。 聖書に書かれているステパノの行跡は、いつもステパノ自身の力ではなく、聖霊の力で生きていった者でした。その知恵と聖霊に語ったステパノには、当時、学問で有名な町から来た人々も対抗することができませんでした。それ故、その人々がステパノに勝てる唯一の方法は卑怯な術を使うことでした。 真実を基にした嘘が一番効果的だという話があります。ステパノとの議論に勝てられなかった彼らは巧みに仕組まれた嘘をつき、ステパノを最高法院に引いて行くところまでは成功しました。 そこで、最高法院で席に着いていた人々がステパノを見た時の彼らの反応について聖書は‘彼の顔は御使いのように見えた’と語っています。この‘御使いのような顔’はいったいどんな顔でしょうか。現代の私たちは‘御使いのような顔’と言われたら、思い出すイメージが何個かあります。きれいな赤ちゃんの顔、純粋で良い人に見える顔、もしくは、だれもが見ても美しい、ハンサムな顔だと思われる顔など。しかし、今日聖書が語っているステパノの顔がこのような顔だったでしょうか。少し考えて見る必要があります。 今まで御使いに対してイスラエル民が持っていた思いはこのようにただ美しいだけのイメージではありません。彼らにとって神様に遣わされた御使いは偉大な存在であり、恐れるべきの存在であったでしょう。マタイの福音書ではこの姿がよく現れています。 “すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来sて石をわきに転がし、その上に座ったからである。その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった。その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、死人のようになった。”(マタイ28:2-4) 最高法院の人々がステパノから見た御使いの顔はこのように聖い、恐れるべきの顔だったかも知れません。 どれほど巧みに仕組まれた嘘も勝てないことがあります。それは‘真実’です。真理であるイエス・キリストを正しく伝えたステパノから見えた御使いの顔は、このような‘真実’から出て来た顔だったでしょう。私たちが信じているこの福音はこの世が巧みに仕組んだ嘘では勝てない‘真実’なものです。このような信仰をもって、大胆に福音を伝える私たちの顔も、最高法院の人々がステパノから見た顔と同じ顔でしょう。

사도행전 묵상14 【천사의 얼굴】 20230702 (일) 사도행전 6장 8-15

사도행전 6장 8-15 6:8 스데반이 은혜와 권능이 충만하여 큰 기사와 표적을 민간에 행하니 6:9 이른 바 자유민들 즉 구레네인, 알렉산드리아인, 길리기아와 아시아에서 온 사람들의 회당에서 어떤 자들이 일어나 스데반과 더불어 논쟁할새 6:10 스데반이 지혜와 성령으로 말함을 그들이 능히 당하지 못하며 6:11 사람들을 매수하여 말하게 하되 이 사람이 모세와 하나님을 모독하는 말을 하는 것을 우리가 들었노라…

使徒の働き 黙想13 【信仰の表彰状】 20230701 (土) 枝川愛の教会 使徒の働き 6章 1-7

使徒の働き 6章 1-7 6:1 そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。 6:2 そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。 6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、 6:4 私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」 6:5 この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、 6:6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。 6:7 こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。     日々その人数が増えていくエルサレム教会は、人が多くなったため、色々な問題を直面します。教会のリーダーとして奉仕してきた使徒たちは、毎日忙しい日常を過ごしながら、少しは疲れていたかもしれません。そこで、使徒たちは一つの大きな決断をします。 ‘そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。’(使徒6:1-7) 使徒たちはあまりにも忙しくて、お祈りに専念するように心を決めました。教会の中で起こっている色々な問題の原因が自分たちがお祈りしなかったことだと思っていたかも知れません。しかし、そのためには今まで使徒たちがしてきた奉仕を代わりにしてくれる人々を選らばなければなりませんでした。ここで驚くべきことが起こります。それはこの決断について聞いた弟子たちの反応です。彼らはこの状況を重荷に感じなく、‘喜んで受け入れ’、自分たちの中で教会に仕える人々を選びました。 その基準は‘御霊と知恵に満ちた、評判の良い人’でした。この言葉を私たちの言葉に変えると、‘信仰と日常の姿が他人の模範になる人’とも言えるでしょう。まるで、どこかの表彰状のようです。選ばれた七人の人々にこの事柄は、ただの重荷のような仕事を任されることではなく、一つの表彰状をもらったようだったかも知れません。 絶対とは言えないが、多くの子どもたちは、少なくとも幼いごろの私は表彰状をもらうと、それにもっと合う人になるために努力します。周りの子たちは、表彰された子がそれに合わない行いをすると、批判することもあるでしょう。このように表彰状はただの褒めを超え、後の行動にも影響を与えます。 神様はいつも私たちにこの表彰状を与えながら励ましてくださいます。既に私たちを義と認める素晴らしい表彰状を与えてくださいました。私たちが奉仕するのは他の表彰状をもらうためにも、奉仕するための能力があるからでもありません。既に私たちに表彰状を与えてくださった神様にお返しする喜びの反応です。 それ故、私たちの奉仕はエルサレム教会のような喜びに満ちる奉仕にならなければなりません。喜びがない、重荷のような奉仕は結局、問題を生み出します。私たちを義と認め、日々励ましてくださる神様に向かう感謝と喜びをもって、互いに仕え、教会に仕える私たちになりますように祈ります。      

사도행전 묵상13 【믿음의 표창장】 20230701 (토) 사도행전 6장 1-7

사도행전 6장 1-7 6:1 그 때에 제자가 더 많아졌는데 헬라파 유대인들이 자기의 과부들이 매일의 구제에 빠지므로 히브리파 사람을 원망하니 6:2 열두 사도가 모든 제자를 불러 이르되 우리가 하나님의 말씀을 제쳐 놓고 접대를 일삼는 것이 마땅하지 아니하니 6:3 형제들아 너희 가운데서 성령과 지혜가 충만하여 칭찬 받는 사람 일곱을 택하라 우리가 이 일을 그들에게 맡기고 6:4 우리는…