10月箴言黙想 【上位の原則】20231011(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
箴言 6:20~356:20 わが子よ、あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨ててはならない。6:21 それをいつも心に結び、首に結び付けよ。6:22 あなたが歩くときには、それがあなたを導き、寝ているときには、あなたを見守り、目覚めるときには、あなたに話しかける。6:23 命令はともしび、おしえは光、訓戒のための叱責は、いのちの道であるからだ。6:24 それはあなたを悪い女から、見知らぬ女の滑らかな舌から守る。6:25 その女の美しさを心に慕うな。そのまぶたに捕らえられないようにせよ。6:26 遊女の代償はひとかたまりのパンだが、人妻は尊いいのちをつけ狙うからだ。6:27 人が火を懐にかき込んだら、その衣服は焼けないだろうか。6:28 もし人が、燃えている炭火の上を歩いたら、その足は焼けないだろうか。6:29 隣人の妻と姦淫する者は、これと同じこと。その女に触れる者はだれも罰を免れない。6:30 盗人が飢え、食欲を満たすために盗みをしたら、人々はその者を蔑まないだろうか。6:31 見つかったら、彼は七倍を償い、自分の家の全財産を与えなければならない。6:32 女と姦淫する者は良識がない。自分自身を滅ぼす者がこれを行う。6:33 彼は傷と恥辱を受ける。彼の汚名は消し去ることができない。6:34 女の夫は嫉妬から激しく憤り、復讐するとき、容赦をしない。6:35 彼はどんな償い物も受けつけず、あなたが多くの贈り物をしても、受け入れない。 韓国で姦通罪が廃止される前には不倫の当事者たちは自分の顔を隠しましたが、姦通罪がなくなった最近は相互合意を証明するために顔をあげます。相互合意だと主張する人のその家族の気持ちはどうだろうかと思います。姦通が刑事上の罪ではなくなり、処罰されなくなったから恥じとも思わなくなったようです。姦通罪が廃止されたのは、憲法上の自己決定権を性的なものに拡大して認めるということでした。だからといって、家族や隣人を裏切り、幸せを破壊する決定権が与えられたわけではありません。法が廃止されたのは、姦通をしても良いということではなく、自分が決めて自分で責任を負わなければならないということです。牢屋の中には入りませんが、牢屋を背負って歩くことになります。神様の法を無視する人は、人生の失敗を通じてその責任を負わなければなりません。 倫理も法律も時代によって変わります。「わが子よ、あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨ててはならない。それをいつも心に結び、首に結び付けよ。6:20、21」親の言葉を聞けということは、親を通して神様の法を学び、それに従うということです。世の中の可変的な法律と倫理ではなく、人間に与えられた上位の原則を守ることです。姦通罪が廃止されたのは姦通に賛成するということではありません。法というのが最小限であるということを雄弁するものです。法より悪い良心、法より悪い信仰を持っては守るべきものを守ることはできません。箴言4章で「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。4:23」と言いました。自分の心の法を神の法の中で改正し、強化しなければなりません。結婚式の時、神様と人の前で約束したことを守ることが、政権によって変わる法律より大切です。