ヨハネによる福音書 黙想 【嫌われる勇気】 20250123(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
ヨハネによる福音書 7:1~13 7:1 その後、イエスはガリラヤを巡り続けられた。ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていたので、ユダヤを巡ろうとはされなかったからである。 7:2 時に、仮庵の祭りというユダヤ人の祭りが近づいていた。 7:3 そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った。「ここを去ってユダヤに行きなさい。そうすれば、弟子たちもあなたがしている働きを見ることができます。 7:4 自分で公の場に出ることを願いながら、隠れて事を行う人はいません。このようなことを行うのなら、自分を世に示しなさい。」 7:5 兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。 7:6 そこで、イエスは彼らに言われた。「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも用意ができています。 7:7 世はあなたがたを憎むことができないが、わたしのことは憎んでいます。わたしが世について、その行いが悪いことを証ししているからです。 7:8 あなたがたは祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りに上って行きません。わたしの時はまだ満ちていないのです。」 7:9 こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。 7:10 しかし、兄弟たちが祭りに上って行った後で、イエスご自身も、表立ってではなく、いわば内密に上って行かれた。 7:11 ユダヤ人たちは祭りの場で、「あの人はどこにいるのか」と言って、イエスを捜していた。 7:12 群衆はイエスについて、小声でいろいろと話をしていた。ある人たちは「良い人だ」と言い、別の人たちは「違う。群衆を惑わしているのだ」と言っていた。 7:13 しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はだれもいなかった。 イエス様を殺そうとする勢力のため、イエス様はユダ地方を離れ、ガリラヤに留まっておられました。ガリラヤはイエス様の故郷であり、そこにはイエス様の実の兄弟たちがいました。その時はちょうど仮庵の祭りの期間であり、兄弟たちはイエス様に対して、エルサレムに行き奇跡を行い、自らを公に示せと言いました。しかしそれは、まだイエス様を信じていない兄弟たちによる嘲りでした。イエス様を歓迎する人はおらず、イエス様が頼れる人もいませんでした。イエス様の使命の道は、憎まれるべき道だったのです。 仮庵の祭りは、出エジプトの時代にイスラエルの民が仮の住まい(幕屋)で生活したことを記念する祭りです。この祭りは、荒野の生活の中で神様の守りを覚え、仮の住まいである幕屋を通して人生という幕屋が永遠ではなく、旅人としての一時的なものであることを思い出させます。しかし、イエス様の時代の人々は、仮庵の祭りにおいてさえも自分たちの利益を考え、イエス様を殺そうとしていました。 イエス様は「時はまだ満ちていない」と言われました。人々だけでなく「時」さえもイエス様の味方ではありませんでした。イエス様は人々には時を気にする必要はないと言われました。世がイエス様を憎むのは、イエス様が世を責めたからです。人々はいつでも世と共に生きることができますが、イエス様はご自身を敵視する世の中で使命を果たすため、神様の定めた時に従って行動されなければなりませんでした。それは、逃避や回避のための時ではなく、十字架の時のためです。イエス様に従い、世に嫌われる勇気がある人であれば、イエス様に倣って時を見分け、その与えられた時に集中力を発揮することができるでしょう。