ヨハネの福音書 黙想 【死で終わる病気】 20250208(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生
ヨハネの福音書 11:1-16 11:1 さて、ある人が病気にかかっていた。ベタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。 11:2 このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。 11:3 姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」 11:4 これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」 11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。 11:6 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。 11:7 それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。 11:8 弟子たちはイエスに言った。「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。」 11:9 イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるではありませんか。だれでも昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。 11:10 しかし、夜歩けばつまずきます。その人のうちに光がないからです。」 11:11 イエスはこのように話し、それから弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」 11:12 弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、助かるでしょう。」 11:13 イエスは、ラザロの死のことを言われたのだが、彼らは睡眠の意味での眠りを言われたものと思ったのである。 11:14 そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。 11:15 あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」 11:16 そこで、デドモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」 日々発達していき、注目されている科学の中でも、最も注目される分野は医学でしょう。 科学の中には、科学者ではない一般人にとって少し便利になるだけ、気になっていた疑問が解消されることに止まる分野も多い反面、医学はすべての人に適用され、すべての人が必要性を感じる分野であるためです。それなら、なぜ人は医学に必要性を感じているのでしょうか。 それは、そのすべての人に訪れてくる「死」があるためです。 その死を避けようと、少しでもその時を遅らせようと医学は発展し続けてきました。 しかし、そのような発展にもかかわらず、今もなおこの死を完全に解決することはできませんでした。 それはすべての人々が持っている一つの「病気」のためです。 今日の箇所のラザロは病気によって病み、やがて死を迎えました。 実際にイエス様も彼は死んだとをおっしゃっています。 しかし、イエス様はラザロの病気を指して、「死で終わるものではない」と言われました。 彼が死んでしまうことを知っていたにもかかわらず、そのように言われたのです。 イエス様の目線で、その病気はラザロを「完全に」死なせることはできない病気だったのです。 しかし、すべての人が持っている、その存在を完全に死なせることができる病気があります。 それは「罪」という病気です。 その病気はこの世の誰も治せない病気です。 だからこそ、その病気を治せる唯一の存在、イエス様がこの地に来られたのです。 イエス様はこの地に来られて、ただ人々の肉の病気だけを治してくださったのではありません。 人々の本質の中にある罪という病気を治すために、十字架の死と復活という唯一で、確実な処方をしてくださったのです。…