ヨハネの福音書 14:25-31
14:15 もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
14:16 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
14:17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。
14:19 あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
14:20 その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。
14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」
14:22 イスカリオテでないほうのユダがイエスに言った。「主よ。私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、どうしてですか。」
14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
14:24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。
14:25 これらのことを、わたしはあなたがたと一緒にいる間に話しました。
14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
14:27 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
14:28 『わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを、あなたがたは喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
14:29 今わたしは、それが起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったとき、あなたがたが信じるためです。
14:30 わたしはもう、あなたがたに多くを話しません。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることができません。
14:31 それは、わたしが父を愛していて、父が命じられたとおりに行っていることを、世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。
私たちにとって聖書は生きている神様の御言葉であり、私たちの信仰と人生の唯一の規範となるものです。 しかし、世の中にはこのような信仰を持って聖書を見ようとするのではなく、知性の目を通して聖書を研究し、その内容を調べる人々も大勢います。 彼らにとって聖書は興味深い古代文献であり、研究の対象以上でも以下でもないものです。
聖書を見るこのような観点の違いはどこから来るでしょうか。それは、 その聖書について誰から学んだのか、そのことが違いを生み出すのです。 人から聖書を学んだ人々は、人の目でその聖書を見るしかありません。 そのように学んで来たからです。 しかし、そのような方法では決して聖書を知ることはできません。 彼らの目には聖書は数多くの矛盾と神話のような物語で溢れている本であるからです。
そのため、私たちは世の中の観点、人からその御言葉を学ぶのではなく、聖書の著者からその御言葉について学ぶことが最も正確に聖書を知ることができる方法なのでしょう。 それが聖霊から聖書を学ぶことです。
私たちは御言葉を照らし、明らかにしてくださる聖霊を通して、世の中の常識、世の目でみると決して分からない神様の御言葉を学んでいきます。 この世の中の目で見れば苦難と忍耐、恐ろしいことに満ち溢れている聖書の中から、真の平安と慰め、愛を学んでいくのです。
聖霊はこのように私たちの中で働いておられます。 私たちを教え、世の中の観点、考えから私たちを守り、私たちを神様に導いてくださいます。だからこそ、私たちはその聖霊を頼りにして進んでいけば良いのです。 私たちの平安はそこにあります。
悩み事、心配事と恐れいっぱいのこの世の中で生きていきながら、どのようにそれらを乗り越えられるか日々悩みながら生きていく人々に最も必要なことは、その瞬間を乗り越えるための財力、権力、知恵ではありません。 その瞬間を何とかして乗り越えたとしても、世の中はより大きな問題を持って私たちに迫ってきます。 そのすべての問題にすでに打ち勝った神様、その子イエス・キリストとその聖霊を通して、私たちは世の中で真の平安を享受することができます。