ヨハネによる福音書 黙想 【産みの苦しみ】 20250227(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
ヨハネによる福音書 16:16~24 16:16 しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、またしばらくすると、わたしを見ます。」 16:17 そこで、弟子たちのうちのある者たちは互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る』、また『わたしは父のもとに行くからだ』と言われるのは、どういうことなのだろうか。」 16:18 こうして、彼らは「しばらくすると、と言われるのは何のことだろうか。何を話しておられるのか私たちには分からない」と言った。 16:19 イエスは、彼らが何かを尋ねたがっているのに気づいて、彼らに言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る』と、わたしが言ったことについて、互いに論じ合っているのですか。 16:20 まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。あなたがたは悲しみます。しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。 16:21 女は子を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、一人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません。 16:22 あなたがたも今は悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。 16:23 その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。 16:24 今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。 イエス様は、ご自身が十字架にかかる日が近づいていることを弟子たちに告げられました。しかし、弟子たちはその意味を理解することができませんでした。しかし、聖霊が下る時、彼らはイエス様の言葉を思い起こし、十字架の死が敗北ではなく、勝利であることを知るようになるでしょう。彼らにとって悪夢のようであった十字架が、実は神の偉大な愛の表れであったことを悟るのです。そのため、イエス様は今は理解できない十字架の秘密を前もって告げておられるのです。 福音を知る前は、十字架は呪いのように見えました。しかし、福音を知った後は、十字架は安堵であり、喜びであり、感謝となります。イエス様は「その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。16:22」と言われました。これこそが十字架の逆説です。十字架の苦しみの先には復活があり、終わりだと思われた絶望の先には、ついに救いの希望が訪れます。「いつも喜びなさい」という言葉は、単なる感情的な喜びを保つことではなく、福音の喜びを日々新たにしなさいという意味なのです。 イエス様は、十字架の苦しみを女性の出産になぞらえて説明されました。「女は子を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、一人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません。16:21」 出産の時が近づくと、女性は不安と激しい痛みを経験します。しかし、新しい命を宿した赤ちゃんが生まれる瞬間、その恐れは安堵と喜びへと変わり、その痛みはもはや記憶されなくなるのです。 パウロもまた、この出産の比喩を用いて語っています。彼はガラテヤ書の中で、聖徒と教会を建て上げる働きを「私の子どもたち。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。ガラテヤ4:19」出産の恐れと痛みを乗り越えなければ、新しい命は誕生しません。十字架の道の先には復活があり、出産の苦しみの先には新しい命が待っているのです。