ヨハネの福音書 黙想 【神の子の祈り】 20250301(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生
ヨハネの福音書 17:1-8 17:1 これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。 17:2 あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。 17:3 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。 17:4 わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。 17:5 父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。 17:6 あなたが世から選び出して与えてくださった人たちに、わたしはあなたの御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました。そして彼らはあなたのみことばを守りました。 17:7 あなたがわたしに下さったものはすべて、あなたから出ていることを、今彼らは知っています。 17:8 あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたのもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。 イエス様は弟子たちを教えられた後、彼らのために祈られました。 これまでイエス様が待っていたその時、今日の祈りの始まりでイエス様はその「時が来ました」と祈られます。 その時はイエス様が十字架につけられる時、それと同時にご自分の人々にご自分がなさることを明らかに教えられる時であったのです。 その時の始まりをイエス様は祈りをもって、神様のために、そして人々のための祈りで始めておられます。 神様が御言葉を通して教えてくださった最大の戒め、神を愛し、隣人を愛すること、その戒めの実践の模範を示しておられるのです。 聖書は神の子であるイエス・キリスト、そしてそのお方の御霊である聖霊を通して私たちが「神の子どもとなる特権」を得たと語っています。 私たちが三位一体の神様であるイエス様そのものになるわけではありませんが、世界が始まる前からともにしていた三位一体の神様の交りの中に私たちを神の子どもとして加えてくださったのです。 イエス様がまさにこの神様の子供になった者たちの模範となります。 そして今日の祈りも同じです。 神様の子供はこのように祈るべきなのです。 私たちの祈りは現実のこと、目の前に迫ってきた苦難や、そのことへの希望などに簡単にその時間も、内容も奪われてしまいます。 忙しい日常の中で祈ることを後回しにし、ようやく確保できた祈りの時間さえも、現実の問題のために祈り、そのまま終わってしまうことが起こりうる弱さを持っている存在が、私たち人間なのです。 しかし、イエス様はご自分のその‘時’をお祈りで始められました。 そしてその内容は、目の前に迫ってきた十字架の苦痛を乗り越えるための祈りでも、神様への不平不満でもなく、神様のための祈り、そしてご自分の人々のための祈りでした。 神様の子どもであるイエス様のこのような姿を私たちが見習わなければならない理由は、私たちがまさにその方によって、神の子供になった者たちであるからです。 https://youtu.be/UB9rZKw7s1M?si=3UQtK5JqUwCm9JK_