ヨハネによる福音書 黙想 【見たから信じたのですか】 20250312(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 20:24~31 20:24 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 20:25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。 20:26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。 20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 20:28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」 20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」 20:30 イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。 20:31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。   イエス様は復活され、弟子たちはすでにその姿を目撃し、トマスにその事実を伝えました。しかし、トマスは自分の目で見て手で触れて確かめるまでは信じることができないと言いました。イエス様はトマスのもとに来られ、それを確かめさせ、目で見させ、手で触れさせたうえで、このようにおっしゃいました。「あなたはわたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちは幸いである。」 イエス様は、目で見ることや手で触れることよりも、さらに重要な信仰の根拠があることを示しておられるようです。 弟子たちが伝えた情報よりも、もっと重要な根拠は御言葉です。トマスだけでなく、すべての弟子たちも、イエス様がすでに語られていたその御言葉を信じていませんでした。現実に戸惑っていただけでした。目の前にイエス様がいるのでその存在を認めてはいましたが、復活と福音を真に信じていたわけではありません。今、彼らの前におられるイエス様が何を意味するのか、まだ理解していませんでした。 神を信じるということは、神を目で見たり手で触れたりすることではなく、神の御言葉を通して神と出会うことです。福音もまた、見るものや触れるものではなく、神の約束を信じる信仰によって福音の中に入ることです。言い換えれば、聖霊が来てそれを悟らせてくださるときに、はじめて福音を理解し、信じることができます。私たちはトマスのように触れることもできず、直接見ることもできませんでしたが、それでもトマスと同じように聖霊が臨んでくださり、福音とは何かを悟るようになりました。その意味で、ヨハネの福音書20章の時点にいる弟子たちよりも、私たちのほうが福音をより深く理解し、正しく信じていると言えます。 トマスの時代の信者たちは、どれほど多くの苦難と迫害を受けながら、その福音を人々に証明しなければならなかったことでしょうか。この時代においても、自分自身を見つめ、イエス・キリストの十字架と復活の恵みを見出した人は幸いです。「あなたはわたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちは幸いである。」 私はこの言葉を叱責ではなく、預言として受け取りました。私たちの周りには、いまだに目で見ることも手で触れることもできない人々がたくさんいます。しかし、その中にも、信じる人々はまだ多く残されているのです。

요한복음 묵상 【본 고로 믿느냐】 20250313(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 20:24~31 20:24 열 두 제자 중에 하나인 디두모라 하는 도마는 예수 오셨을 때에 함께 있지 아니한지라 20:25 다른 제자들이 그에게 이르되 우리가 주를 보았노라 하니 도마가 가로되 내가 그 손의 못자국을 보며 내 손가락을 그 못자국에 넣으며 내 손을 그 옆구리에 넣어 보지 않고는 믿지 아니하겠노라 하니라 20:26 여드레를 지나서 제자들이 다시 집 안에…