民数記 黙想 【アロンの死、怒りの根】 20250506(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
民数記 20:22~29 20:22 イスラエルの全会衆はカデシュを旅立ち、ホル山に着いた。 20:23 主は、エドムの国境に近いホル山で、モーセとアロンにお告げになった。 20:24 「アロンは自分の民に加えられる。彼は、わたしがイスラエルの子らに与えた地に入ることはできない。それはメリバの水のことで、あなたがたがわたしの命に逆らったからである。 20:25 あなたはアロンと、その子エルアザルを連れてホル山に登れ。 20:26 アロンの衣服を脱がせ、それをその子エルアザルに着せよ。アロンは自分の民に加えられ、そこで死ぬ。」 20:27 モーセは、主が命じられたとおりに行った。彼らは、全会衆の見ている前でホル山に登って行った。 20:28 モーセはアロンの衣服を脱がせ、それをその子エルアザルに着せた。アロンはその山の頂で死んだ。モーセとエルアザルが山から下りて来たとき、 20:29 全会衆はアロンが息絶えたのを知った。そのためイスラエルの全家は三十日の間、アロンのために泣き悲しんだ。 イスラエルがカデシュを出発してホル山に到着したとき、神様はアロンの死を命じられました。その理由は、メリバの出来事において神様の言葉に逆らったからです。アロンの祭司の衣はエルアザルに引き継がれ、アロンは山の頂で息を引き取りました。アロンはモーセの実の兄であり、モーセはこのリーダーシップの空白を避けられなかったでしょう。アロンの不在は民にも混乱をもたらしたはずです。重要な役割を果たしていた人物の死です。聖書本文は、アロンの死の理由を「メリバで神様の言葉に逆らったから」と明確に述べています。 しかし、その「逆らい」がアロンによってどのように現れたのかは、本文では具体的に描かれていません。メリバの場面を思い返すと、イスラエルの民は水がなくて不満を言い、神様はモーセに「岩に命じて水を出せ」と語られました。しかしモーセは怒り、杖で岩を二度打ちながら言いました。「…私たちがあなたがたのために、この岩から水を出せというのか」(民数記20:10)。水はすぐに湧き出ました。民は渇きを癒しましたが、神様は直ちにモーセとアロンの両者に責任を問われました。メリバの物語の最初から最後まで、モーセとアロンは一つとして語られています。神様もお二人に同時に語られ、モーセが怒りを表すときも「私」ではなく「私たち」と言いました。 モーセだけが間違ったのではなく、アロンにも自発的で積極的な関与があったのです。彼らは強い一体感の中で、民に対する怒りを共に蓄積していたのでしょう。モーセの怒りは単なる突発的な感情ではなく、アロンの不平や感情的な共鳴によって刺激され、煽られた結果だったかもしれません。もしそうであるなら、モーセの怒りは単なる爆発ではなく、二人のリーダーが共に築き上げた挫折と不信の結実でした。民の前で怒るという行為だけでなく、彼らの間で交わされた全ての言葉と沈黙、感情と表情がすでに行動となり、それが神様の聖なる御名を汚す結果となったのです。神様はこの感情の共鳴と怒りの連帯を「聖なるものを現さなかった」と見なされ、アロンはその責任を負って山の上で命を終えました。