民数記 黙想 【あなたを祝福する者は】 20250517(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生
民数記 23:27-24:9 23:27 バラクはバラムに言った。「では、私はあなたを、もう一つ別の場所へ連れて行きましょう。もしかしたら、それが神の御目にかなって、あなたは私のために、そこから彼らに呪いをかけることができるかもしれません。」 23:28 バラクはバラムを、荒れ野を見下ろすペオルの頂上に連れて行った。 23:29 バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七匹の雄羊をここに用意してください。」 23:30 バラクはバラムが言ったとおりにして、祭壇に雄牛と雄羊を献げた。 24:1 バラムはイスラエルを祝福することが主の目にかなうのを見て、これまでのようにまじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。 24:2 バラムが目を上げると、イスラエルがその部族ごとに宿っているのが見えた。すると、神の霊が彼の上に臨んだ。 24:3 彼は、彼の詩のことばを口にして言った。「ベオルの子バラムの告げたことば。目の開かれた者の告げたことば。 24:4 神の御告げを聞く者、全能者の幻を見る者、ひれ伏し、目の開かれた者の告げたことば。 24:5 なんとすばらしいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。 24:6 それは、広がる谷のよう、また川のほとりの園のようだ。主が植えたアロエのよう、また水辺の杉の木のようだ。 24:7 その手桶からは水があふれ、種は豊かな水に潤う。王はアガグよりも高くなり、王国は高く上げられる。 24:8 彼をエジプトから導き出された神は、彼にとっては野牛の角のようだ。彼は自分の敵の国々を食い尽くし、彼らの骨をかみ砕き、矢をもって撃ち砕く。 24:9 雄獅子のように、また雌獅子のように、彼は身を伏せ、横たわる。だれがこれを起こせるだろう。あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。」 昨日に引き続き、バラムはバラクがイスラエルを呪うように諦めていませんでした。そこでまた別の場所からイスラエルを見つめ、今度こそ呪われるのではないかと期待を抱きます。 しかし、当たり前なことで、結果は変わりません。バラムは再び神様の御霊に導かれてイスラエルを祝福し始めます。昨日の本文と同様に、神様がご自身の言葉を成し遂げておられる姿です。 そして今日の本文ではもう一つ、神様が昔から語られてきた約束が現れています。イスラエルの起源、先祖アブラハムに対する神様の約束、「あなたを祝福する者は祝福を受け、あなたを呪う者は呪いを受ける」という約束です。 今日の本文のバラムは明らかに三度もイスラエルを祝福しました。そんなバラムを神様は確かに祝福されました。まるで目を閉じたまま偶像に頼る占いをしていたバラムが、その目を開き、神様の言葉を聞く者、全能者の幻を見る者となったのです。 神様が善しとされたのは、イスラエルを祝福したバラムではありません。バラムに祝福をもたらしたイスラエルであり、そのイスラエルと結ばれた約束なのです。 もしバラムがこのまま聖書の舞台から去ったならば、私たちはバラムが神様の祝福を受けて生涯を過ごしたと推測し、その人生をまとめられたでしょう。しかしその後の出来事を通して、バラムがイスラエルを呪い、その呪いの代価として自らも呪われ、悲惨な人生の終わりを迎える様子を目にします。 これは単なる「因果応報」の姿ではありません。神様の「約束」によるものです。私たちに与えられた救いもまた同じです。私たちの救いは、私たちのどんな善い行い、行いから得られる報酬によるのではありません。その救いは神様の約束によって私たちに与えられるのです。 だからこそ、私たちは安心しても良いです。バラムのように私たちも変わってしまうのではないかと心配になるかもしれませんが、神様はその後、さらに多くの約束を私たちに与えられ、私たちを必ず救いへ導くという御心を示してくださいました。私たちはただその約束を信頼し、神様の御心を感じながら、日々感謝して生きていけばよいのです。 https://youtu.be/VKfQkkszy4E?si=O9r1p2xMHpcc4rii