시편 묵상【의심에서 확신으로】20250704(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

시편 88:1-18 88:1 여호와 내 구원의 하나님이여 내가 주야로 주 앞에서 부르짖었사오니 88:2 나의 기도가 주 앞에 이르게 하시며 나의 부르짖음에 주의 귀를 기울여 주소서 88:3 무릇 나의 영혼에는 재난이 가득하며 나의 생명은 스올에 가까웠사오니 88:4 나는 무덤에 내려가는 자 같이 인정되고 힘없는 용사와 같으며 88:5 죽은 자 중에 던져진 바 되었으며 죽임을 당하여 무덤에…

詩篇 黙想 【シオンの住所】 20250701(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 87:1~7 87:1 主の礎は聖なる山にある。 87:2 主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。 87:3 神の都よあなたについて誉れあることが語られている。セラ 87:4 「わたしはラハブとバビロンをわたしを知る者として記憶しよう。見よペリシテとツロクシュもともに。『この者はこの都で生まれた』と。」 87:5 しかしシオンについてはこう言われている。「この者もあの者もこの都で生まれた。いと高き方ご自身がシオンを堅く建てられる」と。 87:6 主が「この者はこの都で生まれた」と記して国々の民を登録される。セラ 87:7 歌う者も踊る者も「私の泉はみなあなたにあります」と言う。   シオンとは、ある民族の中心地を意味するものではありません。聖書が語るシオンとは、神の救いが始まり、諸国に広がっていく霊的な中心を指しています。ラハブ、バビロン、ペリシテ、ツロ、クシュが登場しますが、ここでのラハブはエジプトを意味しています。つまり、これらはすべて異邦人です。ところが詩人は、彼らが「シオンで生まれた」と言っているのです。これはすなわち、シオンが民族的な概念ではないことを意味します。誰もがシオンの市民になれるという、普遍的な救いの観点です。シオンとは、神の選びと救いの普遍性が調和する共同体精神でなければなりません。 神がイスラエルを選ばれたのは、彼らだけを救うためではありません。イスラエルは祝福の通路であり、救いの出発点として召されたのです。そして神は、彼らを通して諸国の民が祝福を受ける計画を立てられました。神の選びは、人間に与えられた特権ではなく、責任と使命を伴う特別な召しと遣わしなのです。 旧約聖書を福音の視点から読まなければ、聖書全体の流れが断たれ、新約や教会のアイデンティティも混乱してしまいます。民族主義的に、あるいは文字通りにのみ解釈すると、律法主義やユダヤ主義へと逸れていく矛盾を生むことになります。逆に、旧約を無視して新約だけを読むと、福音は歴史や人間理解という根拠を失い、表面的なものに流れてしまいがちです。 イエス・キリストにおいて、シオンはもはや地理的なエルサレムではありません。「シオンで生まれた」という言葉は、キリストにあって新しく生まれたことを意味しています。シオンの歴史性を否定するわけではありません。シオンは確かに福音の土台でしたが、その意味はキリストにあって拡張され、普遍化されたのです。ゴスペルソングなどでよく使われる「エルサレム」という表現が、現代国家イスラエルの首都や民族主義的終末論の象徴として誤解されないよう注意しなければなりません。 教会がイスラエルを廃して代わりになったというのではありません。キリストの福音の中で、ユダヤ人も異邦人も共に一つの体をなす新しい共同体が築かれたのです。教会は霊的なイスラエルであり、教会こそが成就されたシオンの姿なのです。シオンの住所は、今ここ、キリストの中にあり、私たちが属する教会こそが、隣人を救いに導く現場であるべきなのです。

시편 묵상 【시온의 주소】 20250703(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 87:1~7 87:1 그 기지가 성산에 있음이여 87:2 여호와께서 야곱의 모든 거처보다 시온의 문들을 사랑하시는도다 87:3 하나님의 성이여 너를 가리켜 영광스럽다 말하는도다(셀라) 87:4 내가 라합과 바벨론을 나를 아는 자 중에 있다 말하리라 보라 블레셋과 두로와 구스여 이도 거기서 났다 하리로다 87:5 시온에 대하여 말하기를 이 사람, 저 사람이 거기서 났나니 지존자가 친히 시온을 세우리라 하리로다…

詩篇 黙想 【祈るために詩を書くダビデ】 20250702(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 86:1~17 86:1 主よ耳を傾けて私に答えてください。私は苦しみ貧しいのです。 86:2 私のたましいをお守りください。私は神を恐れる者です。あなたのしもべをお救いください。あなたは私の神。私はあなたに信頼します。 86:3 主よ私をあわれんでください。絶えず私はあなたを呼んでいます。 86:4 このしもべのたましいを喜ばせてください。主よ私のたましいはあなたを仰ぎ求めています。 86:5 主よまことにあなたはいつくしみ深く赦しに富みあなたを呼び求める者すべてに恵み豊かであられます。 86:6 主よ私の祈りに耳を傾け私の願いの声を心に留めてください。 86:7 苦難の日に私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです。 86:8 主よ神々のうちであなたに並ぶ者はなくあなたのみわざに比べられるものはありません。 86:9 主よあなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て伏し拝みあなたの御名をあがめます。 86:10 まことにあなたは大いなる方奇しいみわざを行われる方。あなただけが神です。 86:11 主よあなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。 86:12 わが神主よ私は心を尽くしてあなたに感謝しとこしえまでもあなたの御名をあがめます。 86:13 あなたの恵みは私の上に大きくあなたが私のたましいをよみの深みから救い出してくださるからです。 86:14 神よ高ぶる者どもは私に向かい立ち横暴な者の群れが私のいのちを求めます。彼らはあなたを前にしていません。 86:15 しかし主よあなたはあわれみ深く情け深い神。怒るのに遅く恵みとまことに富んでおられます。 86:16 御顔を私に向け私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与えあなたのはしための子をお救いください。 86:17 私にいつくしみのしるしを行ってください。そうすれば私を憎む者どもは見て恥を受けます。主よあなたが私を助け慰めてくださるからです。   今日の詩篇86編の黙想は、日常の言葉にしました。聖書の言葉が宗教的にしか聞こえず、心に届かないと感じるとき、自分の言葉に置き換えてみると、意外とよく伝わるものです。詩篇はダビデだけのものではありません。いつでも自分の心を吐き出せば、それが詩篇になるのです。本当に辛く苦しいときは、祈りの言葉すら出てきません。ダビデのように、祈りを「書く」こともできます。そして書き直し、整えて、神様に捧げるのです。今朝の黙想は、ダビデの詩篇86編を私自身の言葉に変えてみた、「私の詩篇86編」です。 86:1 主よ、最近ちょっと疲れて、心がしんどいです。どうか助けてください。 86:2 私は主だけを信じて、頼って生きています。私の心を守って、どうか抱きしめてください。 86:3 今日は辛すぎて、一日中主の名を呼んで、主だけを見上げています。 86:4 主を待ち望む私の魂に、どうか喜びを注いでください。 86:5 主よ、あなたは優しくて、憐れみに満ちた方。私の叫びを聞き流さないお方です。 86:6 今日も、私の声に耳を傾けてください。 86:7 私が苦しくてどうしようもない状況なのを、主はご存じでしょう?これまでも泣きながら主のもとに来たら、いつも応えてくださいました。 86:8 この世界にあるどんなものも、主のようにはなれません。 86:9 主はすべての栄光の持ち主。いつかすべての人が主の前にひざまずき、あなたの御名をたたえるでしょう。 86:10 あなたのなさることは、みな驚くべきことばかり。主だけが神なのです。 86:11 だから、今、私はどう生きればよいかを教えてください。 86:12 もっと主を知りたい。心のすべてをもって、あなたに従いたいのです。 86:13 あなたが私を救い出してくださったあの時、深い闇の中から引き上げてくださいましたね。 86:14 人々が私を軽く扱い、傷つけようとしても、それは彼らが主を知らないからでしょう。 86:15 でも、主は私のことをあわれんでくださって、助けてくださると信じています。 86:16 それでも、やっぱり辛いです。どうか力を与えて、支えてください。 86:17 そして、主が私と共におられるというしるしを、誰かが見られるように見せてください。そうすれば、私を傷つけようとしていた人たちも、あなたが私の味方でいてくださることを知るでしょう。主よ、あなたこそが私の助け、私の慰めです。

시편 묵상 【기도하기 위해 시를 쓰는 다윗】 20250702(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 86:1~17 86:1 여호와여 나는 곤고하고 궁핍하오니 귀를 기울여 내게 응답하소서 86:2 나는 경건하오니 내 영혼을 보존하소서 내 주 하나님이여 주를 의지하는 종을 구원하소서 86:3 주여 나를 긍휼히 여기소서 내가 종일 주께 부르짖나이다 86:4 주여 내 영혼이 주를 우러러 보오니 주여 내 영혼을 기쁘게 하소서 86:5 주는 선하사 사유하기를 즐기시며 주께 부르짖는 자에게 인자함이 후하심이니이다…