エゼキエル 黙想 【明確な神の御声】 20250814 (木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エゼキエル 17:1~10 17:1 次のような主のことばが私にあった。 17:2 「人の子よ。イスラエルの家に謎をかけ、たとえを語れ。 17:3 『神である主はこう言われる。大きな翼、長い羽、色とりどりの豊かな羽毛の大鷲が、レバノンに飛んで来て、杉のこずえを取り去り、 17:4 その若枝の先を摘み取り、それをカナンの地へ運び、商人の町に置いた。 17:5 また、その地の種も取って来て、肥えた土地に植え、豊かな水のそばに柳のように植えた。 17:6 それは生長し、丈は低いが、よく生い茂るぶどうの木となった。その枝は鷲の方に向き、根は鷲の下に張り、こうして、ぶどうの木となって、枝を作り、若枝を出した。 17:7 さて、大きな翼と豊かな羽毛を持つもう一羽の大鷲がいた。すると、このぶどうの木は、潤いを得るために根をその鷲の方に向けて伸ばし、その枝を、自分が植わっているところからその鷲の方に伸ばした。 17:8 このぶどうの木は、枝を伸ばし、実を結んで見事なぶどうの木となるように、水の豊かな良い地に植えられていた。』 17:9 言え。『神である主はこう言われる。それはうまく育つであろうか。その根は抜き取られ、その実は摘み取られ、芽の付いた若枝はことごとく枯れないだろうか。それは枯れる。それを根こそぎ引き抜くのに、大きな力や多くの人々を必要としない。 17:10 見よ。それは植えられたが、うまく育つだろうか。東風がそれに吹きつけると、すっかり枯れてしまわないだろうか。その芽を出した苗床で、それは枯れてしまう。』」   本文は、バビロンとエジプトという大国に挟まれたイスラエルの緊迫した国際情勢を比喩した啓示である。近東は、エジプトが衰退し、バビロンが支配する秩序へと再編されるだろう。ゆえに、イスラエル最後の王ゼデキヤの責任は重大であった。しかしゼデキヤは、同盟国であるエジプトとの間で右往左往した。大義や義理を考えたのかもしれないが、それ以上に重要な「民の命」という優先順位を守ることができなかった。 神はエレミヤとエゼキエルを通して、バビロンを刺激してはならないというメッセージを繰り返し与えられた。それは「誰が味方か」という陣営選択の問題ではない。ゼデキヤは、最優先で民を生かす道を探さなければならなかった。神の御心は、国際情勢の判断や政治的分析の上に、神の啓示と御言葉によって養われた識別力を通して聞こえる。バビロンに仕えよと仰せられたのは敗北主義ではなく、一人でも多くの民を救うための道であった。 その時、近東のゼデキヤは地の変化を読み取ることができなかった。別の時代、極東の半島でも同じことがあった。明から清へ、清から日本帝国へと秩序が再編されるたびに、守旧派は事大の観念に囚われていた。義理や伝統、感情や人脈に縛られ、民がより多く死なねばならない道を選んだ。それが不従順であり、背信である。民を生かす道こそが従順であり、信仰である。 信仰があると言いながらも、命に対する責任と良心がなく、救わねばならないという使命がないなら、それは信仰ではなかったことの証明である。ゼデキヤが滅んだのは政治的判断を誤ったからではなく、民を救うべき良心と使命に目を閉じたからであり、その結果として目をえぐられたのだ。神の御声を聞くということは、神の心にかなった思いを抱くことであり、現実を認識する土台の上に良心と使命が生きているとき、神の御声は聞こえるのである。

에스겔 묵상 【선명한 하나님의 음성】 20250814(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에스겔 17:1~10 17:1 여호와의 말씀이 내게 임하여 가라사대 17:2 인자야 너는 수수께끼와 비유를 이스라엘 족속에게 베풀어 17:3 이르기를 주 여호와의 말씀에 채색이 구비하고 날개가 크고 깃이 길고 털이 숱한 큰 독수리가 레바논에 이르러 백향목 높은 가지를 취하되 17:4 그 연한 가지 끝을 꺾어 가지고 장사하는 땅에 이르러 상고의 성읍에 두고 17:5 또 그 땅의 종자를…

エゼキエル 黙想 【悔い改め、その恥の告発】 20250813水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エゼキエル 16:53~63 16:53 わたしは彼女たちを元どおりにする。ソドムとその娘たち、サマリアとその娘たち、また彼女たちの中にいるあなたを元どおりにする。 16:54 こうして、あなたは自分自身の恥辱を負い、あなたが彼女たちを慰めたときにしたすべてのことによって、辱めを受ける。 16:55 あなたの姉妹たち、ソドムとその娘たちは元のところに帰り、サマリアとその娘たちも元のところに帰り、あなたとあなたの娘たちも元のところに帰って来る。 16:56 あなたは、高ぶっていたときには、あなたの妹ソドムを悪いうわさの種にしていたではないか。 16:57 しかしそれは、あなたの悪がさらけ出される前のことであって、今はアラムの娘たちや、その周りのすべての者、およびペリシテ人の娘たちのそしりの的となっている。彼女たちはあなたを四方から侮っている。 16:58 あなたは、自分の淫らな行いと忌み嫌うべきわざの報いを受けている──主のことば。 16:59 まことに、神である主はこう言われる。わたしは、あなたがしたとおりのことをあなたに返す。あなたは誓いを蔑んで、契約を破ったのだ。 16:60 だが、わたしは、あなたが若かった日々にあなたと結んだ契約を覚えて、あなたと永遠の契約を立てる。 16:61 わたしがあなたの姉と妹を選び取って、あなたとの契約には含まれていないものの、わたしが彼女たちをあなたの娘としてあなたに与えるとき、あなたは自分の生き方を思い出し、恥じることになる。 16:62 わたしがあなたとの契約を新たにするとき、あなたは、わたしが主であることを知る。 16:63 こうして、わたしが、あなたの行ったすべてのことについてあなたを赦すとき、あなたはそれらを思い出して恥を見、もう自分の恥辱のために口を開くことはない──神である主のことば。』」   エゼキエル書16章は、神がエルサレムを契約の妻として選ばれたにもかかわらず、その妻が淫行と裏切りを犯したことを告発している。神は裁かれるが、その裁きの後には回復も約束された。ただし、回復はすぐには訪れない。まずエルサレムは自分の恥を覚え、その恥に向き合わなければならない。恥を認め、責任を受け入れる場所でこそ、恵みが真実に経験されるからである。恥を知ってこそ、それを覆ってくださる感謝を知り、絶望を知ってこそ、救いの喜びが何であるかを知ることができる。 人は本能的に恥ずかしいことを隠したくなる。だから私たちは回避する。言い訳をしたり、状況や他人のせいにしたりする。そして自分自身をも欺く。しかし、だからといって恥の根が消えるわけではない。それは手のひらで空を覆い、目隠しして「見えていないふり」をしているに過ぎない。 信仰は、恥に向き合う勇気を必要とする。だから常に痛みが伴う。自分自身を認めることは苦しいことだからである。しかし、人が神の前で恥をさらけ出す瞬間、ただ神のご性質にだけ頼ることになる。自分の恥を神に告げることのできる勇気ある人の欠点を、神が覆ってくださるのだ。神の前で自分の恥を隠したままで保てるものは何もない。ゆえに、魂が正直でない者は悔い改めることができない。 「この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び…」(ヘブル12:2)イエス様も恥を受けられた。十字架は侮辱的で恥ずかしい刑罰であった。イエス様は人類の罪を背負われただけではなく、私が認め、告白する私自身の恥を代わりに背負われたのである。そのためにキリストは恥を避けられなかった。それを告白できないなら、十字架はまだ私のものではない。 しかし、私たちは十字架の前でさえ、自分の恥を告白する勇気を持たない。悔い改めの祈りと言っても、多くの場合「聖なる言葉」で飾られている。口では罪人だと告白しながらも、その告白がかえって敬虔な人だという拍手を受けることになる。安全に見えるが、真実ではない。それは恥に向き合うのではなく、巧みに隠すことだ。だから、恥をさらして祈ることは非常に難しく、真の悔い改めの祈りは稀である。必要なのは自己憐憫ではなく、悔い改めである。悔い改めは、人前で言葉にするものではなく、静かな時の中で深い内面において行うものである。

에스겔 묵상 【회개, 그 수치의 고발】 20250813(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에스겔 16:53~63 16:53 내가 그들의 사로잡힘 곧 소돔과 그 딸들의 사로잡힘과 사마리아와 그 딸들의 사로잡힘과 그들 중에 너의 사로잡힌 자의 사로잡힘을 돌이켜서 16:54 너로 네 수욕을 담당하고 너의 행한 모든 일을 인하여 부끄럽게 하리니 이는 네가 그들에게 위로가 됨이라 16:55 네 아우 소돔과 그 딸들이 옛 지위를 회복할 것이요 사마리아와 그 딸들도 그 옛 지위를…