エゼキエル 黙想 【私を支えてくださる神の恵み】 20250821 (木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エゼキエル 20:27~32 20:27 それゆえ、人の子よ、イスラエルの家にこう告げよ。『神である主はこう言われる。あなたがたの先祖は次のことにおいても、わたしの信頼を裏切ることにより、わたしを冒瀆している。 20:28 わたしが、彼らに与えると誓った地に彼らを連れて行くと、彼らは高い丘や茂った木を見て、どこででもいけにえを献げた。彼らはそこで主の怒りを引き起こすささげ物を献げ、そこで芳ばしい香りを供え、そこで注ぎのぶどう酒を注いだ。 20:29 それで、わたしは彼らに言った。「あなたがたが通う高き所とは何なのか」と。今日でもその名はバマと呼ばれている。』 20:30 それゆえ、イスラエルの家に言え。『神である主はこう言われる。あなたがたは父たちの生き方をまねて自分自身を汚し、彼らの忌まわしいものを慕って姦淫を犯そうとするのか。 20:31 しかも、ささげ物を供え、幼子に火の中を通らせて、今日まであらゆる偶像で身を汚してきた。イスラエルの家よ。わたしはどうして、あなたがたの求めに応じられるだろうか。わたしは生きている──神である主のことば──。わたしは決してあなたがたの求めに応じない。 20:32 あなたがたが、「私たちは、木や石を拝んでいる異邦の民、国々の諸族のようになろう」と言っている、その霊の思いは決して実現しない。   イスラエルの歴史は、絶え間ない背教の歴史である。先祖たちが偶像に従ったように、その子孫たちも再び高き所や木の下で祭りをささげ、自ら異邦人のように生きようとした。それは彼らにとって、より魅力的に見えたのだろう。だから今もなお神から離れていく人は多く、それはアダム以降の人間の本性である。人は心に神を置くことを嫌い、この世を追い求める。 人間の歴史はその繰り返しにすぎないが、注目すべきは人間ではなく、その歴史の中で契約を守り続ける神である。神はイスラエルが異邦人のようになりたいと望む時でさえ、「あなたがたはそのようにはならない」と言われた。人間の堕落と裏切りの慣性にもかかわらず、神の契約の引力はそれ以上に強かった。ご自分の民を決して捨てないという神の契約的誠実さが、不従順な人間の歴史を荷車に載せて引き導いておられるのだ。 信仰とは、もしかすると「つかむこと」ではなく、「つかまれていること」なのかもしれない。おそらくそうであろう。私は何度も手を離してしまうが、神はその手を決して離されない。神に選ばれた者は最後まで守られ、誰もそこから奪い去ることはできない。「あなたがたは異邦人のようにはなれない」という言葉は、すなわち「あなたはわたしのものだ」という宣言である。これこそが聖徒の堅忍である。ここで信仰のない人々は「予定か、それとも意志か」という終わりのない議論を繰り返すが、その間に信仰の人々は神の愛を発見するのだ。

에스겔 묵상 【나를 붙드시는 하나님의 은혜】 20250821(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에스겔 20:27~32 20:27 그런즉 인자야 이스라엘 족속에게 고하여 이르기를 주 여호와의 말씀에 너희 열조가 또 내게 범죄하여 나를 욕되게 하였느니라 20:28 내가 그들에게 주기로 맹세한 땅으로 그들을 인도하여 들였더니 그들이 모든 높은 산과 모든 무성한 나무를 보고 거기서 제사를 드리고 격노케 하는 제물을 올리며 거기서 또 분향하고 전제를 부어 드린지라 20:29 이에 내가 그들에게 이르기를…