ローマ人への手紙 黙想 【負い目のある者】 20250902 (火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
ローマ人への手紙 1:8~17 1:8 まず初めに、私はあなたがたすべてについて、イエス・キリストを通して私の神に感謝します。全世界であなたがたの信仰が語り伝えられているからです。 1:9 私が御子の福音を伝えつつ心から仕えている神が証ししてくださることですが、私は絶えずあなたがたのことを思い、 1:10 祈るときにはいつも、神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ、何とかしてあなたがたのところに行けるようにと願っています。 1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。 1:12 というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。 1:13 兄弟たち、知らずにいてほしくはありません。私はほかの異邦人たちの間で得たように、あなたがたの間でもいくらかの実を得ようと、何度もあなたがたのところに行く計画を立てましたが、今に至るまで妨げられてきました。 1:14 私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。 1:15 ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。 1:16 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。 1:17 福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。 パウロが自分を「ギリシア人にも未開人にも、知恵ある者にも愚かな者にも負い目のある者」と告白したのは、福音の恵みを先に受けた者がどのような存在として召されているかを力強く語るものである。恵みは本質的に神に返すべき債務ではない。恵みは全く無償であり、人間の行為や償いによって報いることのできない神の賜物である。 しかし、恵みを受けた人は他の人々にその恵みを伝える責任を負っている。パウロはそれを「負債」と呼んだ。それはやってもよいことではなく、やらなければならないことなのである。信仰を私的な所有物として抱え込むことはできない。恵みは溜まった水ではなく、流れる川のようなものである。恵みを受けた者はその恵みを流し出さなければならず、その責任を無視する時、その人の中にある福音の認識は歪められ、縮小されてしまうであろう。 富める者は貧しい者に負債がある。学んだ者は学ばない者に負債を負っている。富を得、学問的知識を身につけ、社会的地位を得た人々は、それを私的利益としてのみ所有してはならず、社会的弱者に仕え、公的善を実現する責任を持っている。孔子は「学んだ者は必ず教えなければならない」と言った。善い負債意識を持つ人々は怠惰にならず、自らの功績を誇示することもない。彼らはただ、その負債を返すことができることを喜びとし、感謝するのである。