ローマ人への手紙 黙想【悪に負けないよう】20251003(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生
ローマ人への手紙 12:15-21 12:15 喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。 12:16 互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。 12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。 12:18 自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。 12:19 愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。 12:20 次のようにも書かれています。「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」 12:21 悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 誰かと共に喜び、共に悲しむこと、つまり他人のことを自分のことのように思い、共感することは、私たちにとって本当に難しいことです。なぜなら、私たちはどうしても自分のことが先である、自己中心的な存在だからです。 ですから、私たちは自分の周りの人が置かれている状況に共感し、共に喜び、共に悲しもうと努力はしますが、思うほど簡単ではありません。しかも、その対象が自分の敵であるならば、その難しさはさらに増すでしょう。 敵が喜んでいるときに自分が悲しみ、敵が悲しんでいるときに自分が喜ぶこと、それは私たちにとってあまりにも簡単で当たり前のことのように思えます。しかしそれは、悪に悪を返すことと同じことなのです。今日の御言葉は「すべての人の前で善を図り、できる限りすべての人と和睦しなさい」と語っています。私たちは彼らの不幸を願ったり、彼らの幸福を悲しむのではなく、周囲の人々に対してするように、彼らの喜びに共に喜び、彼らの悲しみに共に悲しまなければならないのです。 本日の本文の最後の節を、もう少し原文の意味を生かして読むならば、「悪に征服(勝利)されてはいけません。むしろ善をもって悪を征服(勝利)しなさい。」と解釈することができます。この意味を念頭に置いたまま、先の内容を振り返ると、「悪に負けてはいけない」というのは、単に敵に負けてはいけない以上の意味があることが分かります。 私たちの内にある悪い心、悪に悪を返してやりたいという思い、そうした罪に負けてはならないと語っているのです。私たちがそのようなものに打ち勝つためには、また敵に勝利するためには、彼らの前においても善を図り、彼らとも和睦しなければならないのです。これこそが、クリスチャンが戦っていくべき敵、すなわち罪と敵に勝利する方法なのです。 では、なぜこのようなことが私たちの勝利となるのでしょうか。それは、神様が喜ばれる人の姿がまさにこの姿だからです。その神様が、ご自分の喜ばれる子どもたちを助け、勝利させてくださるからです。 この御言葉の実践があまりにも難しく、逃げ出したくなるときに、私たちは「できる限り」という条件に頼ってしまいがちです。しかしイエス様はきっぱりと、「『できるものなら』とはどういうことか。信じる者にはすべてのことができる」と語られました。そのイエス様の御言葉どおり、信じる者には不可能なことはありません。 https://youtu.be/2KqgSaLNAcE?si=WCKQEPp76y-t-i6F