ローマ人への手紙 黙想 【ローマ人への手紙は「手紙」です】 20251008 (水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
ローマ人への手紙 15:1~13 15:1 私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。 15:2 私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。 15:3 キリストもご自分を喜ばせることはなさいませんでした。むしろ、「あなたを嘲る者たちの嘲りが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりです。 15:4 かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。 15:5 どうか、忍耐と励ましの神があなたがたに、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。 15:6 そうして、あなたがたが心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。 15:7 ですから、神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。 15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者たちのしもべとなられました。父祖たちに与えられた約束を確証するためであり、 15:9 また異邦人もあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。「それゆえ、私は異邦人の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います」と書いてあるとおりです。 15:10 また、こう言われています。「異邦人よ、主の民とともに喜べ。」 15:11 さらに、こうあります。「すべての異邦人よ、主をほめよ。すべての国民が、主をたたえるように。」 15:12 さらにまたイザヤは、「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方が。異邦人はこの方に望みを置く」と言っています。 15:13 どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。 ローマ人への手紙はしばしば「福音の精髄」と呼ばれ、キリスト教神学の完成された神学論文であると言われる。福音理解のための論理が卓越しているという意味であろう。しかし、現代の学問体系において論文とは、事実や解釈を体系的かつ客観的に提示し、検証可能な根拠によって正当化する文章形式である。したがって、このジャンルの本質は客観的叙述であり、必然的に著者の感情や直観は排除されなければならない。 ローマ人への手紙が福音を証しする過程で論理性を持つことは確かである。しかし、それは科学的な論証ではなく、パウロの感情的な訴えを含んでいる。また、それは学問的・言語的体系ではなく、キリスト者の生き方について語っているという点を見落としてはならない。ローマ人への手紙は「手紙」である。パウロは論文を書いたのではなく、ただ手紙を送ったにすぎない。福音を体系化しようとしたのではなく、福音に捕らえられ、その力に導かれてローマ教会に伝えようとしただけである。 ローマ人への手紙は、第1章から第11章までで福音を定義し、第12章から最後までで福音を生きることについて語っている。前半の論理的な雰囲気のために、ローマ人への手紙を神学的論文と呼ぶ人もいるが、実際には後半のほうが重要である。手紙という物語の中で定義されたこと、教理としてまとめられたことは、必ず生活の物語として解きほぐされなければならない。ローマ人への手紙の後半において、福音は学問的命題ではなく、人と人とを和解させる物語であった。論文には、そのようなことは書かれない。 パウロは論理的に理解させようとしたのではなく、その真理に従うように招いた。福音は頭で整理される概念ではなく、人生の中で悟り、応答する力である。自分の福音がどのようなものか言葉で整理できないなら、誰かに伝えてみればわかる。自分の福音が何であるかを確かめたいなら、共同体の中で人々と関わりながら生きてみればよい。ローマ人への手紙を読む正しい姿勢は、理解ではなく従順である。