ヨシュア 黙想 【誤解の理解】 20251222(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
ヨシュア 22:10~20 22:10 ルベン族、ガド族、マナセの半部族はカナンの地のヨルダン川の流域まで来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは遠くから見えるほど大きな祭壇であった。 22:11 イスラエルの子らは、「ルベン族、ガド族、マナセの半部族がカナンの地の国境、ヨルダン川のイスラエルの子らの側の流域に、祭壇を築いた」と聞いた。 22:12 イスラエルの子らがそれを聞いたとき、イスラエルの全会衆は彼らと戦おうとシロに集まった。 22:13 イスラエルの子らは、ギルアデの地のルベン族、ガド族、マナセの半部族のところに祭司エルアザルの子ピネハスを送った。 22:14 彼に同行したのは、イスラエルの全部族の中から一族につき族長一人ずつ、計十人の族長であった。彼らはみな、イスラエルの分団の中で一族のかしらであった。 22:15 彼らはギルアデの地のルベン族、ガド族、およびマナセの半部族のところに行き、彼らに告げた。 22:16 「主の全会衆はこう言っている。『これは何事か。あなたがたが今日、主に従うことをやめてイスラエルの神の信頼を裏切るとは。あなたがたは自分のために祭壇を築いて、今日、主に反逆したのだ。 22:17 ペオルでの不義は、私たちにとって小さなことだっただろうか。私たちは今日まで、あの不義から身をきよめていないではないか。そのために神の罰が主の会衆の上に下ったのだ。 22:18 あなたがたは今日、主に従うことをやめようとしている。あなたがたは今日、主に反逆しようとしている。明日、イスラエルの全会衆に向かって主は怒られるだろう。 22:19 ただし、あなたがたの所有地が汚れているのなら、主の幕屋が建つ主の所有地に渡って来て、私たちの間に所有地を得なさい。私たちの神、主の祭壇のほかに自分たちのために祭壇を築いて、主に反逆してはならない。私たちに反逆してはならない。 22:20 ゼラフの子アカンが、聖絶の物のことで主の信頼を裏切り、イスラエルの全会衆の上に御怒りが下ったではないか。彼の不義によって死んだ者は彼一人ではなかった。』」 第21章は、「主のすべての約束は、一つとして残らず成就した」と宣言して締めくくられている。そこには、イスラエルに何らかの責任が生じたことが暗示されている。今度は、イスラエルが約束を守る番だからである。 多くの悲劇的な問題は、状況が変わったあとに考えを変えてしまった人々によって引き起こされる。第22章の危機は、外部からの脅威ではなく、内部から生じた問題であった。それは一つの出来事として明確に規定できるものではなく、誤解が生み出した危機であった。意思疎通が鈍り、誤解が増幅される中で、共同体全体が戦争寸前にまで追い込まれていったのである。しかし、このような過程は、適切に対処されるならば、さまざまな危機とその克服を通して、共同体をより堅固にする機会ともなり得る。 ヨルダン川東岸の諸部族が、自分たちの領域に大きな祭壇を築いたのを見て、西岸の部族たちは、事実関係や意図を確認しないまま、即座に怒りを燃やした。なぜなら、聖所はシロにあり、礼拝は中央聖所であるシロにおいてのみ行われるべきだとされていたからである。それにもかかわらず、東岸の部族だけが独自の礼拝施設を建てることは、礼拝共同体の分裂を助長し、神への反逆であると解釈されたのである。西岸の人々は、中央聖所の権威を揺るがす東岸の部族に対し、戦争をも辞さない集団的対応を決議した。感情的な高ぶりも否定できないが、彼らの危機認識の背後には、正当な神学的緊張感が横たわっていた。この出来事を、ブアル・ペオルの集団的偶像礼拝や、アカンの罪という、共同体への裏切りによってもたらされた失敗と同じ系列のものだと考えたからである。 西岸の部族たちは、祭司ピネハスと部族の長たちを遣わし、東岸の部族を公式に叱責した。西岸の部族が共同体全体を案じていたことは明らかである。「あなたがたの罪が、どうしてあなたがただけの問題であり得ようか」という言葉は、イスラエル共同体は一つであり、東岸の問題はすなわち西岸の責任でもある、という意味を持っている。西岸の部族は、東岸の部族が不純な動機で祭壇を築いたと考えていた。ブアル事件やアカン事件のように、共同体性を損なう行為は、イスラエル全体が神の怒りを招くことになると理解していたからである。 しかし、今日の本文においては、まだ東岸の部族の弁明は語られていない。西岸の部族はすでに「反逆」という結論に到達しており、東岸の部族は、まだ語る機会すら与えられていなかった。真の危機とは、出来事そのものではなく、意思疎通と立場の空白のあいだで膨れ上がっていく誤解である。事実確認が不十分なまま解釈が先行し、双方向の対話よりも一方的な信念が強く働くとき、存在しない出来事のために血が流されることさえある。悪魔の最も効果的な方法は、問題を起こすことではなく、誤解を生み出すことである。誤解を用いれば、敵意と分裂の局面へと容易に人々を追い込むことができる。日本語では「思い込み」と言う。ひとりで考え、想像を重ねながら、誤解を育てていくのである。それが深まれば妄想となり、さらに進めば被害妄想に至る。思考の扉を開いて換気しなければ、人は窒息する。呼吸ができなければ、死に至る。共同体の問題を、自分の閉ざされた空間の中に持ち込み、誤解の種に水をやり続けるなら、私の内側で悪魔が育っていくのである。


