クリスマス黙想 【魂の慰め】 20251225(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
ルカ 2:25~35 2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。 2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。 2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。 2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。 2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。 2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。 2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。 2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」 2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。 2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。 2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの ― 12月20日 枝川愛の教会・「故郷の家・東京」 高齢者合同キャンドルサービス説教 「神に出会う時間」より ― 人生は出会いによって形づくられます。数えきれない人々の中で、私たちは自分の両親と出会い、配偶者と出会い、そして子どもと出会いました。偶然のように見えますが、奇跡と言わずにはいられません。喜びに満ちた出会いもあれば、心を痛める出会いもありました。しかし、そのすべての出会いが、今の私をここまで導いてきた人生のかけらです。人生を形づくってきた出会いは、思っているほど多くはありません。けれども、その少ない出会いが、私たちの人生全体を作り上げてきたのです。誰と出会うかということは、それほどまでに大切なことなのです。 ルカによる福音書のイエスの誕生物語には、前後の説明もなく、シメオンという一人の老人が登場します。聖書は彼について多くを語りません。ただ彼が「イスラエルの慰めを待ち望んでいた人」であったと記しています。ルカは、彼が死ぬ前にメシアを見るという啓示を受けていたと伝えます。彼の人生にも多くの出会いがあったことでしょう。しかし彼は、最後に残された一つの出会いを待っていました。必ず出会わなければならないお方を、待ち続けていたのです。 シメオンは聖霊の導きによって神殿に入り、ちょうど両親の腕に抱かれた幼子イエスと出会います。彼はその瞬間、幼子を見てすぐに悟りました。シメオンは幼子を抱き、神を賛美して言います。「主よ、今こそ、あなたのお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。」それは、この出会いによって何かが完成したという宣言でした。同時に、避けることのできない人生の苦労の果てに神の慰めに出会った彼には、もはや執着すべきものは何も残っていなかったのです。 クリスマスは今年も変わらず巡ってきました。そして今もなお、その出会いを待ち続けている人々がいます。あまりに遅くなる前に、死ぬ前に、必ず出会わなければならないお方。まだ出会っていないけれど、必ず出会うべき出会いです。シメオンが待ち望んだ慰めは、人生と死の間に境界のない慰めでした。その慰めに出会ってこそ、苦労の多かった人生をも安らかに手放すことができるのです。過ぎ去ってしまう季節の高揚ではなく、永遠に終わることのない魂の慰めを受け取るクリスマスとなることを、心から願っています。


