詩編 黙想【「でも」の恵み】20250621(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

詩編 78:9-31 78:9 エフライムの人々は弓を射る者であったが戦いの日には退却した。 78:10 彼らは神の契約を守らず神のおしえに従って歩むことを拒み 78:11 神の数々のみわざを忘れてしまった。神が見せてくださった多くの不思議を。 78:12 神は奇しいみわざを彼らの先祖の前でエジプトの地ツォアンの野で行われた。 78:13 海を分けて彼らを通らせ堰のように水を立てられた。 78:14 昼は雲で彼らを導かれた。夜は夜通し炎の光で。 78:15 荒野で神は岩を割り大いなる深淵の水を豊かに飲ませてくださった。 78:16 あふれる流れを岩からほとばしらせ水を豊かな川のように流れさせてくださった。 78:17 けれども彼らはなおも神に罪を犯し砂漠でいと高き方に逆らった。 78:18 彼らは心のうちで神を試み欲に任せて食べ物を求めた。 78:19 そのとき彼らは神に逆らって言った。「荒野で食事を備えることが神にできるのか。 78:20 確かに神が岩を打たれると水が湧き出て流れがあふれた。だが神はパンも与えることができるのか。民のために肉を用意できるのか。」 78:21 それゆえ主はこれを聞いて激しく怒られた。火はヤコブに向かって燃え怒りはイスラエルに向かって燃え上がった。 78:22 これは彼らが神を信じず御救いに信頼しなかったからである。 78:23 神は上の雲に命じて天の戸を開き 78:24 彼らの上に食べ物としてマナを降らせ天の穀物を彼らに与えられた。 78:25 それで人々は御使いのパンを食べた。神は満ちたりるほど食物を送られた。 78:26 神は東風を天に起こし御力をもって南風を吹かせられた。 78:27 彼らの上に肉をちりのように翼のある鳥を海の砂のように降らせ 78:28 それを宿営の中住まいの周りに落とされた。 78:29 彼らは食べ十分に満ち足りた。こうして彼らが欲望を満たすままにされた。 78:30 彼らがその欲望を手放さずまだ食べ物が口にあるうちに 78:31 神の怒りが彼らに向かって燃え上がり彼らのうちの最も頑丈な者たちを殺しイスラエルの若い男たちを打ちのめした。    今日の本文の始まりは、イスラエルが神様の前で罪を犯したことの記録から始まっています。イスラエルの民は荒野で神様の数々の奇跡を見ましたが、それにもかかわらず神様の御言葉を守らず、神様がなされたことを忘れてしまったことを詩人は告発しています。    でも、ここで最初の転換点が現れます。イスラエルの民のそのような姿にもかかわらず、神様が彼らに恵みを与えられることを詩人は歌っています。イスラエルの民の傲慢さと愚かさにもかかわらず、神様は彼らを見捨てず、むしろ彼らの望むものを与えてくださったのです。  でも、もう一度、焦点がイスラエルの民の姿に戻ります。それは、神様が与えられたすべてのものを享受している最中にも、自分たちの欲を捨てず、満足しない姿です。神様の恵みが過ぎ去った後ではなく、まだ彼らの口の中にあるときに、まさに享受しているときにも、彼らは神様の恵みを悟らず、自分たちがどのような存在であるかを悟らなかったのです。  神様はついに彼らを裁かれます。では神様の忍耐はそこで終わったのでしょうか。そうではないことを私たちはよく知っています。神様は確かに彼らの罪に対して怒りを示されましたが、決して彼らを見捨てませんでした。彼らの罪を裁くことで、彼らが再び神様を仰ぎ、神様に立ち返ることを待ち、辛抱しておられるのです。  イスラエルの民のそのような姿だけでなく、私たちの信仰もいつも転換点ばかりの、「でも」の連続です。いつも与えられたものを享受し感謝しながらも、「でも」私たちは神様の前で再び罪を犯してしまいます。しかし、私たちの弱い「でも」の後には、いつも神様の「でも」の恵みがあります。…

시편 묵상【그러나】20250621(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

시편 78:9-31 78:9 에브라임 자손은 무기를 갖추며 활을 가졌으나 전쟁의 날에 물러갔도다 78:10 그들이 하나님의 언약을 지키지 아니하고 그의 율법 준행을 거절하며 78:11 여호와께서 행하신 것과 그들에게 보이신 그의 기이한 일을 잊었도다 78:12 옛적에 하나님이 애굽 땅 소안 들에서 기이한 일을 그들의 조상들의 목전에서 행하셨으되 78:13 그가 바다를 갈라 물을 무더기 같이 서게 하시고 그들을…

詩編 黙想【残す義務】20250620(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

詩編 78:1-8 78:0 アサフのマスキール。 78:1 私の民よ私の教えを耳に入れ私の口のことばに耳を傾けよ。 78:2 私は口を開いてたとえ話を昔からの謎を語ろう。 78:3 それは私たちが聞いて知っていること。私たちの先祖が語ってくれたこと。 78:4 それを私たちは息子たちに隠さず後の時代に語り告げよう。主の誉れを主が行われた力ある奇しいみわざを。 78:5 主はヤコブのうちにさとしを置きイスラエルのうちにみおしえを定め私たちの先祖に命じてその子らに教えるようにされた。 78:6 後の世代の者生まれてくる子らがこれを知りさらに彼らがその子らにまた語り告げるため 78:7 彼らが神に信頼し神のみわざを忘れずその命令を守るために。 78:8 先祖たちのように強情で逆らう世代心定まらない世代霊が神に忠実でない世代とならないために。     文明が長い時間にわたって発展し、その発展した技術が後の世代に影響を与え、さらに発展していくための土台となってきたように、私たちの信仰もまたそのように継承されてきました。四千年の間、積み重ねられてきた信仰と、神様を知る知識は、今の私たちがより神様に近づき、より深く神様を知っていくための土台となっているのです。      しかし、このような形で継承されていくものには、常に失われ、忘れられてしまう危険性が伴っています。列王記に登場するヨシヤ王の時代に、失われていた律法の書が発見され、それを中心として宗教改革が行われたということは、それまでその大切なものが忘れられていたという事実を示しています。      もし私たちが神様の御言葉を忘れているならば、悲しみと苦しみ、そして悲惨な日々を過ごすことになるでしょう。しかし、今の私たちは神様の御言葉を持って生きています。誰かがその御言葉を途切れることなく伝え続けてきたからこそ、それが今の私たちにまで届いているのです。      クリスチャンに与えられた伝道の義務は、今目の前にいる人々、今を共に生きている人々に対してだけに限られているわけではありません。私たちの次の世代、いつか私たちの生き方を通して信仰を受け継ぎ、その信仰をさらに発展させていく彼らのために、私たちの信仰の姿を残すこと、それもまたクリスチャンに与えられた大切な伝道の義務です。      ときには、誰にも見せたくない自分の姿、失敗を恥ずかしく思い、伝えたくない、繰り返してほしくないと願う時もあるでしょう。しかし、なおさら彼らのためにその姿を残すべきです。私たちの失敗を通しても、彼らは神様に近づく道を学んでいくのです。それこそが、自分を捨てて彼らを愛する伝道者の姿なのです。 https://youtu.be/nEc2dPltgNI?si=vzFcEnu8qLisHyBM

시편 묵상【남길 의무】20250620(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

시편 78:1-8 78:1 내 백성이여, 내 율법을 들으며 내 입의 말에 귀를 기울일지어다 78:2 내가 입을 열어 비유로 말하며 예로부터 감추어졌던 것을 드러내려 하니 78:3 이는 우리가 들어서 아는 바요 우리의 조상들이 우리에게 전한 바라 78:4 우리가 이를 그들의 자손에게 숨기지 아니하고 여호와의 영예와 그의 능력과 그가 행하신 기이한 사적을 후대에 전하리로다 78:5 여호와께서 증거를…

詩篇 エッセイ 【主の道が海の中にあった日】 20250618(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

詩篇 77:10~20 77:10 私はこう言った。「私が弱り果てたのはいと高き方の右の手が変わったからだ」と。 77:11 私は主のみわざを思い起こします。昔からのあなたの奇しいみわざを思い起こします。 77:12 私はあなたのなさったすべてのことを思い巡らしあなたのみわざを静かに考えます。 77:13 神よあなたの道は聖です。私たちの神のように大いなる神がいるでしょうか。 77:14 あなたは奇しいみわざを行われる神。国々の民の中で御力を現される方。 77:15 あなたは御腕をもって贖われました。ご自分の民ヤコブとヨセフの子らを。セラ 77:16 神よ水はあなたを見ました。水はあなたを見てわななきました。大いなる水も震え上がりました。 77:17 雨雲は水を注ぎ出し雷雲は雷をとどろかしあなたの矢もひらめき飛びました。 77:18 あなたの雷の声は戦車のように鳴り稲妻は世界を照らし地は震え揺れ動きました。 77:19 あなたの道は海の中。その通り道は大水の中。あなたの足跡を見た者はいませんでした。 77:20 あなたはモーセとアロンの手によってご自分の民を羊の群れのように導かれました。   苦痛と絶望のただ中で、神を求めながらも、心は混乱と不安に包まれる。まるで神が遠くにおられるような現実の中で、詩人は過去に体験した神の恵みを思い起こそうとする。しかし、それは単なる“昔がよかった”という感傷的な嘆きではない。記憶を手がかりに、現在を解釈し、未来に希望をつなぐ信仰的物語なのだ。この詩篇を通じて私たちは、「記憶の霊性」と「振り返ることによる神学的解釈」という胸躍るテーマに出会う。まるで泥に埋もれた真珠を見つけ出すように、自らの過去から輝く輝石を取り出し、丁寧に磨きあげるような喜びがある。 よく考えてみれば、神が行われた不思議な業、救いの業、海を分けたあの日も鮮やかに浮かんでくる。詩人は出エジプトの記憶を払い起こし、「主の道は海にあった」と告白する。あの日、紅海を渡った人々は混乱し、すぐに空腹になり、喉が渇いて不満を口にした。そしてその時は、ただ「水を飲めてよかった」「マナが美味しかった」程度にしか思っていなかった。しかし時間が経ち、振り返ってみれば、確かに海の中に道があり、神がその道を共に歩まれたことに気づく。記憶とは、信仰を回復するだけでなく、その意味を解き明かすための道具でもあるのだ。世界の泥水に足を取られた時も、信仰者は自らの内にある“真珠”を探し出し、それによって喜び、自分の崇高なアイデンティティを確認できる。 私自身も、人生の重要な分岐点で神に出会った証をする時、涙を堪えることができない。いつも意識して声を出そうとしても、語り終えるころには涙が込み上げ、その理由もわからないまま、口元が震える。証しを重ねるほど、鈍感になるのではなく、本当に真実なことを語れば語るほど、その意味はますます鮮やかになり、真珠の輝きが増すように感じる。これは、自分自身を磨いて鍛えるプロセスでもある。詩人による出エジプトの歴史観も、単なる年代記の羅列ではなく、神の痕跡を探し求める解釈の営みである。 現代の信仰教育において、私たちは「評価」というプロセスがないことに気づいているだろうか。本来、すべての教育には評価が伴う。レポートを書き、試験を受け、発表をし、論文を書く。それをクリアして初めて履修と認められる。だが劣悪な教育ほど評価を省略する。一方、教会の信仰教育には評価がない。そのため、長い間聖書を学んでも「書く・語る」が欠けている。自分の言葉で語り、文章としてまとめないため、信仰が構造化されないのだ。聖書勉強会に参加し、伝道者、リーダーシップ訓練を受けても、自分でまとめないと消化されない。つまり「履修した」ですらない。学校ではレポートを書かせ、試験をさせ、プレゼンをさせ、ディスカッションさせ、論文を書かせる。その経験なしには「何を学んだのか」「何を理解したのか」はわからない。生徒は書くことによって成長するが、信仰者は書かないがために、「自分は何を信じているのか」もわからないまま過ごしてしまう。 一生祈っているのに、人前で整理された祈りをできないと自分を責める人がいる。それは霊性や話術の問題ではない。自分の祈りを書いてみたことがないからだ。自分の祈りを録音して後で聞いてみれば、無駄な言葉や意味不明な言葉が多いことに気づくだろう。それはイエス様が「くどくどと祈るな(重言附言)」と言ったそのものなのだ。決まった信仰告白を復唱することには慣れていても、自分の言葉で神に語りかける方法は学んでいない。信仰者の人生には神の痕跡が溢れているのが当然なのに、「特別な証しはない」と言う人がいる。それでも信じていることが不思議なほどだ。 証しがないのではない。振り返って記憶せず、記録せず、記念しなかっただけだ。人生の出来事を解釈し、そこに意味を見出さなかったからだ。つまり、「黙想しなかった」ということだ。信仰の混乱を文章にしたことがないから、「神と歩んだ人生」という構造が残らない。感情に流されて祈るよりも、各自が書いた祈りを朗読し、分かち合う練習が、より深い信仰の密度を生むと私は信じる。聞くより語ること、読むより書くことの方がずっと重要だ。アウトプットしなければインプットは保たれない。出エジプト記を書いたモーセがいたから旧約聖書が与えられ、書き残したパウロがいたから新約の大部分が残った。記録しない人は記憶しない人であり、記憶しない人は神を自ら消していく人である。  

시편 에세이 【주의 길이 바다에 있던 날】 20250619(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 77:10~20 77:10 또 내가 말하기를 이는 나의 연약함이라 지존자의 오른손의 해 77:11 곧 여호와의 옛적 기사를 기억하여 그 행하신 일을 진술하리이다 77:12 또 주의 모든 일을 묵상하며 주의 행사를 깊이 생각하리이다 77:13 하나님이여 주의 도는 극히 거룩하시오니 하나님과 같이 큰 신이 누구오니이까 77:14 주는 기사를 행하신 하나님이시라 민족들 중에 주의 능력을 알리시고 77:15 주의…

詩篇 黙想 【絶対性原理】 20250618(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 77:1~9 77:1 私は神に声をあげて叫ぶ。私が神に声をあげると神は聞いてくださる。 77:2 苦難の日に私は主を求め夜もすがらたゆまず手を差し伸ばした。けれども私のたましいは慰めを拒んだ。 77:3 神を思い起こして私は嘆き悲しむ。思いを潜めて私の霊は衰え果てる。セラ 77:4 あなたは私のまぶたを閉じさせません。私の心は乱れてもの言うこともできません。 77:5 私は昔の日々遠い昔の年月について考えました。 77:6 夜には私の歌を思い起こし自分の心と語り合い私の霊は探り求めます。 77:7 「主はいつまでも拒まれるのか。もう決して受け入れてくださらないのか。 77:8 主の恵みはとこしえに尽き果てたのか。約束のことばは永久に絶えたのか。 77:9 神はいつくしみを忘れられたのか。怒ってあわれみを閉ざされたのか。」セラ     苦難の中、夜通し嘆きながら祈っても、神からの慰めを得ることができず、心はかえって混乱に陥ります。かつて神から受けた恵みを思い出そうとしても、それが現在の状況とあまりにもかけ離れていて、むしろ心はさらに苦しくなります。神はもはや私を愛しておられないのか、交わした約束を忘れてしまわれたのか、今の神は以前のように誠実ではないのか――疑念と混乱だけが深まっていきます。過去の恵みと今の苦しみの対比があまりにも鮮明で、まるで神が変わってしまわれたかのように感じるのです。 しかし、それは現実ではなく、「相対的な知覚」の問題なのかもしれません。観察者の位置や速度によって、時間や空間の経験が変化するというのが相対性理論です。信仰の認識も、立つ場所や視点のスピードによって誤解や歪みが生じることがあります。神が変わられたのではなく、苦難という状況が精神と肉体を圧迫し、神を認識する感覚が変化しただけなのです。暗闇の中にいるかもしれませんが、光が消えたわけではありません。ただ閉ざされた視野の中で、一時的にその光が見えないだけなのです。 新約時代にも、ユダヤ人キリスト者たちは信仰の混乱や迫害、律法への回帰という誘惑に直面し、神の愛を疑う者がいました。そんな彼らに、へブル人への手紙は神の不変性を力強く語ります。「エス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。へブル人への手紙13:8」ヘ信仰の中心と根は、変わらぬ神の性質と契約を疑わないことにあります。感情は主観的で、状況は流動的ですが、神の誠実さは決して変わりません。人の言葉や状況に左右される心をしっかりと保ってこそ、神を信じることができるのです。 状況に揺さぶられる認識の相対性を乗り越える力――それが信仰です。中心も基準も持たない人間は、状況に応じて変わってしまいます。しかし、変わりゆくこの世界の中で、変わらぬ神の御言葉を中心に据えて生きる者の信仰は揺るぎません。観察者の立場によって現実が異なって見える相対性を超えて、神の視点から自分と世界を見直す「認識の転換」が必要なのです。状況も人間も変わります。しかし、信仰とは神のもとへと何度でも立ち返る旅なのです。詩篇77篇の混乱の叫びも、やがて変わらぬ神への賛美と信頼へと帰っていくことでしょう。  

시편 묵상 【절대성 원리】 20250618(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 77:1~9 77:1 내가 내 음성으로 하나님께 부르짖으리니 하나님께 내 음성으로 부르짖으면 내게 귀를 기울이시리로다 77:2 나의 환난날에 내가 주를 찾았으며 밤에는 내 손을 들고 거두지 아니하였으며 내 영혼이 위로 받기를 거절하였도다 77:3 내가 하나님을 생각하고 불안하여 근심하니 내 심령이 상하도다 (셀라) 77:4 주께서 나로 눈을 붙이지 못하게 하시니 내가 괴로워 말할 수 없나이다 77:5…

詩篇 黙想 【高慢の正体】 20250617(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 76:1~12 76:1 神はユダにご自分を示される。イスラエルにその御名の偉大さを。 76:2 その仮庵はサレムにその住まいはシオンにある。 76:3 神はそこで弓の火矢を砕かれる。盾と剣も戦いも。セラ 76:4 あなたは輝かしく獲物で満ちる山々にまさって威厳があります。 76:5 剛胆な者たちは略奪され深い眠りに陥りました。どの勇士たちにも手の施しようがありませんでした。 76:6 ヤコブの神よあなたが叱りつけると戦車も馬も倒れ伏しました。 76:7 あなたは実にあなたは恐ろしい方。お怒りになればだれが御前に立てるでしょう。 76:8 天からあなたの宣告が聞こえると地は恐れて沈黙しました。 76:9 神がさばきのために地のすべての貧しい者たちを救うために立ち上がられたそのときに。セラ 76:10 まことに人の憤りまでもがあなたをたたえあなたはあふれ出た憤りを身に帯びられます。 76:11 あなたがたの神主に誓いを立てそれを果たせ。主の周りにいる者はみな恐るべき方に贈り物を献げよ。 76:12 主は君主たちの霊を刈り取られる。地の王たちにとって恐るべき方。   詩篇76篇において、神はシオンに臨在される栄光の王であり、人間の戦いをやめさせる平和の主権者であり、高慢な者を砕く義の裁き主です。これは救いの神を賛美する詩であると同時に、すべての人が神の御前に立つときの畏れを抱くべきことを告げる、緊張感ある宣言でもあります。ここで私たちは、恐れをもって「誰が高慢な者なのか」「どのような人が高慢なのか」と自らに問いかけなければなりません。 では、高慢な人とはどのような人なのでしょうか?無礼で偉そうに振る舞い、自慢ばかりする人は、もしかするとただ未熟なだけで、本当の意味での「高慢な人」ではないかもしれません。むしろ高慢な人は、礼儀正しく、丁寧で、マナーをわきまえている可能性が高いのです。謙遜に見える言動こそ、高慢な人々が巧みに使うテクニックでもあるからです。謙遜を装った高度な高慢――それは人間が演出する宗教的・道徳的な仮面の中でも、最も精巧なものです。表に現れる態度だけでは、謙遜と高慢を見分けることはできません。 高慢とは、はるかに本質的で根源的なものであり、神を信じていようがいまいが、自分の立場、自分の分、人間の限界や虚しさを理解していない状態、すなわち、自分が被造物であることを忘れ、創造主の主権を侵そうとする内なる愚かさのことです。高慢な者は、自分の存在が依存的であることを知りません。知ろうともしません。こうした人々は、自分より劣っていると見なした他者を見下し、差別します。だからこそ、高慢と愚かさは一体なのです。 高慢な人は、神を知らないゆえに自分自身のことも分かりません。一方で謙遜な人は、神を畏れることにより、自分が何者であるかを知る人です。詩篇に一貫して登場する「悪しき者」、すなわち高慢な人間とは、自分の存在を神の御前に置こうとしない者、神を否定して生きるすべての人のことです。人が自分の最善と思っていた武器を手放し、自慢したかった舌を止め、神を認めるとき、ようやく謙遜が始まるのです。  

시편 묵상 【교만의 정체】 20250617(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 76:1~12 76:1 하나님이 유다에 알린 바 되셨으며 그 이름은 이스라엘에 크시도다 76:2 그 장막이 또한 살렘에 있음이여 그 처소는 시온에 있도다 76:3 거기서 저가 화살과 방패와 칼과 전쟁을 깨치시도다(셀라) 76:4 주는 영화로우시며 약탈한 산에서 존귀하시도다 76:5 마음이 강한 자는 탈취를 당하여 자기 잠을 자고 장사는 자기 손을 놀리지 못하도다 76:6 야곱의 하나님이여 주께서 꾸짖으시매…