エゼキエル 黙想 【オホラとオホリバ】 20250827 (水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エゼキエル 23:1~21 23:1 次のような主のことばが私にあった。 23:2 「人の子よ、かつて二人の女がいた。同じ母の娘であった。 23:3 彼女たちはエジプトで淫行をした。若いときに淫行をした。その地で彼女たちの胸は抱きしめられ、その処女の乳房はもてあそばれた。 23:4 その名は、姉はオホラ、妹はオホリバ。二人はわたしのものとなり、息子や娘たちを産んだ。彼女たちの名のオホラはサマリアのこと、オホリバはエルサレムのことである。 23:5 オホラは、わたしのものであったのに、姦通し、その愛人アッシリアに、青い衣を着た軍人たちに欲情を抱いた。 23:6 彼らは総督や長官で、すべて若く魅惑的な男たちであり、馬に乗る騎兵であった。 23:7  オホラは彼らと姦通した。彼らはみなアッシリアの選り抜きの者であった。彼女は、自分が欲情を抱いた者たちのすべての偶像で身を汚した。 23:8 彼女はエジプト以来の淫行をやめようとしなかった。それは、彼女が若いとき、エジプト人が彼女と寝て、その処女の乳房をもてあそび、彼女に情欲を注いだからである。 23:9 それでわたしは、彼女が欲情を抱く愛人たちの手、アッシリア人の手に彼女を渡した。 23:10 彼らはオホラの裸をさらけ出し、その息子や娘たちを奪い取り、彼女を剣で殺してしまった。こうして彼女にさばきが下され、彼女は女たちの語りぐさとなった。 23:11 妹のオホリバはこれを見たが、姉よりいっそう恋情を募らせ、その淫行は姉の淫行よりひどかった。 23:12 彼女は隣のアッシリア人の総督や長官に欲情を抱いた。彼らはみな完全に武装した、馬に乗る騎兵であり、若く魅惑的な男たちであった。 23:13 わたしは彼女が身を汚すのを見たが、二人とも同じやり方であった。 23:14 オホリバは淫行を増し加え、壁に彫られた人々に目を留めた。すなわち、朱で描かれているカルデア人の肖像で、 23:15 腰に帯を締め、頭には垂れるほどのターバンを着け、みな士官のように見えた。彼らは、出生地をカルデアとするバビロン人の姿をしていた。 23:16 彼女は一目見て、彼らに欲情を抱き、使者たちをカルデアの彼らのもとに遣わした。 23:17 バビロン人は、彼女のもとに来て愛の床につき、彼女を情欲で汚した。彼女が彼らによって汚れるに及んで、彼女の心は彼らから離れ去った。 23:18 彼女は自分の淫行をさらけ出し、自分の裸をあらわにした。そのためわたしの心は、かつて彼女の姉から離れ去ったように、彼女からも離れ去った。 23:19 しかし彼女は、かつてエジプトの地で淫行をした、あの若かった日々を思い出して、淫行を重ねた。 23:20 彼女は、ろばのようなからだを持ち、馬のような精力を持つ彼らの側女になりたいと憧れた。 23:21 このように、エジプト人があなたの若い乳房をもてあそび、あなたの胸を抱きしめたあの若いときの淫らな行いを、あなたはしきりに望んだのだ。」   オホラとオホリバは、単なる歴史上のサマリアとエルサレムではない。 彼女たちは神を契約の夫として持ちながらも、より大きく、より強い帝国の懐を慕った、あらゆる時代の霊的な肖像である。文明の華やかさを慕い、神を捨ててそれをより愛した心、これこそが姦淫の本質であり、ついには自らを崩壊させる原因となった。 ウォルター・ブルッゲマンは、イスラエルの繰り返される背教を「帝国的想像力に囚われた結果」であると言った。帝国の力と繁栄は神の民にとって魅力的に見えたかもしれない。しかしそれこそが契約的想像力を蝕む毒であったのだ。実際、同盟はすぐに罠となった。イスラエルは帝国を愛したが、帝国の暴力によって滅んだ。それが自己破滅への道であった。肉的であろうと霊的であろうと、姦淫の結果は常に同じである。破壊と滅亡である。 神以外のすべての依存は偶像崇拝であり、結局は人間を奴隷にする。人間は、より大きく、より華やかで、より強い力の前で容易に卑屈になり、それを慕う。政治的権力、経済的資本、文化的トレンドは、神以上に魅力的に見えることさえある。生きている間、無数の帝国的誘惑が私たちの想像力を支配しようとするだろう。しかしそれは頼る対象ではなく、むしろ利用すべき現実にすぎない。御言葉に依り頼む霊的想像力によって希望を育みながら生きるべきである。

에스겔 묵상 【오홀라와 오홀리바】 20250827(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에스겔 23:1~21 23:1 여호와의 말씀이 또 내게 임하여 가라사대 23:2 인자야 두 여인이 있었으니 한 어미의 딸이라 23:3 그들이 애굽에서 행음하되 어렸을 때에 행음하여 그들의 유방이 눌리며 그 처녀의 가슴이 어루만진 바 되었었나니 23:4 그 이름이 형은 오홀라요 아우는 오홀리바라 그들이 내게 속하여 자녀를 낳았나니 그 이름으로 말하면 오홀라는 사마리아요 오홀리바는 예루살렘이니라 23:5 오홀라가 내게…

エゼキエル 黙想 【崩れたところに】 20250826 (火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エゼキエル 22:17~31 22:17  次のような主のことばが私にあった。 22:18 「人の子よ、イスラエルの家はわたしにとって金かすとなった。彼らはみな、炉の中の青銅、すず、鉄、鉛であり、銀の金かすとなった。」 22:19 それゆえ、神である主はこう言われる。「あなたがたはみな金かすとなったから、今、わたしはあなたがたをエルサレムの中に集める。 22:20 銀、青銅、鉄、鉛、すずが炉の中に集められるのは、火を吹きつけて溶かすためだ。そのように、わたしは怒りと憤りをもってあなたがたを集め、そこに入れて溶かす。 22:21 わたしがあなたがたを集め、あなたがたに向かって激しい怒りの火を吹きつけると、あなたがたは町の中で溶ける。 22:22 銀が炉の中で溶かされるように、あなたがたも町の中で溶かされる。このとき、あなたがたは、主であるわたしがあなたがたの上に憤りを注いだことを知る。」 22:23 次のような主のことばが私にあった。 22:24 「人の子よ、この都に言え。『おまえは憤りの日にきよめられず、雨も降らない地である。 22:25 そのただ中には預言者たちの陰謀がある。彼らは、獲物をかみ裂きながら吼えたける雄獅子のように人々を食らい、富と宝を奪い取り、その町にやもめの数を増やした。 22:26 その祭司たちはわたしのおしえを冒瀆し、わたしの聖なるものを冒し、聖なるものと俗なるものとを分けず、汚れたものと、きよいものとの違いを教えなかった。また、彼らはわたしの安息日をないがしろにした。こうして、わたしは彼らの間で汚されている。 22:27 その町の高官たちは、獲物をかみ裂く狼のようだ。人々の血を流し、たましいを滅ぼして、自分の利得を貪っている。 22:28 その町の預言者たちはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、漆喰で上塗りをし、主が語っていないのに「神である主はこう言われる」と言っている。 22:29 民衆も虐げを行い、物をかすめ、窮する人や貧しい人を苦しめ、寄留者を不法に虐げた。 22:30 この地を滅ぼすことがないように、わたしは、この地のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口に立つ者を彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。 22:31 それで、わたしは彼らの上に激しい憤りを注ぎ、激しい怒りの火で彼らを滅ぼし尽くし、彼らの頭上に彼らの生き方を返した──神である主のことば。』」   神の憤りは、勝手気ままな金属のかけらを溶鉱炉に投げ込み、溶かしてしまうようなものである。銀も青銅も鉄も鉛も錫も、みな火の中で溶け去るように、民の罪と不純物は神の怒りの前にさらされ、焼き尽くされるであろう。自ら尖ったかけらとして生き方を決めた時代は、炉の中に投げ込まれざるを得なかった。 神は、城壁の崩れ口に立ち、神の憤りを防ぐ一人を捜された。しかし、誰もいなかった。預言者は偽りを語り、祭司は律法を犯し、為政者たちは民を略奪し、民自身も互いを虐げた。ただ一人の義人さえ見いだすことができなかった。 その崩れ口にただ一人立ち、神の憤りを完全に受けられた方、それがイエス・キリストである。十字架において神の怒りの中に投げ込まれたのだ。人間の不純物と罪を焼き尽くし、義の純金だけを残して再び私たちに与えてくださった――それが福音である。ゆえに、ただイエスの中にあるときだけ、私たちは救いを得ることができる。 「義人はいない、ひとりもいない」という言葉は真実である。パウロの言葉は、単なる時代批判ではなく、存在そのものの嘆きである。宗教改革者たちはそれを「全的堕落」と呼んだ。人間は誰一人として、その崩れ口に立つことはなく、また立つこともできなかった。人間の堕落は徹底していた。だからこそ、十字架は苛烈であった。

에스겔 묵상 【무너진 곳에】 20250826(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에스겔 22:17~31 22:17 여호와의 말씀이 내게 임하여 가라사대 22:18 인자야 이스라엘 족속이 내게 찌끼가 되었나니 곧 풀무 가운데 있는 놋이나 상납이나 철이나 납이며 은의 찌끼로다 22:19 그러므로 나 주 여호와가 말하노라 너희가 다 찌끼가 되었은즉 내가 너희를 예루살렘 가운데로 모으고 22:20 사람이 은이나 놋이나 철이나 납이나 상납이나 모아서 풀무 속에 넣고 불을 불어 녹이는 것…

エゼキエル 黙想 【血を流すエルサレム】 20250825 (月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エゼキエル 22:1~16 22:1 次のような主のことばが私にあった。 22:2 「人の子よ、あなたはさばくのか。この流血の都をさばくのか。それなら、この都にその忌み嫌うべきわざを残らず告げ知らせて、 22:3 このように言え。『神である主はこう言われる。自らのただ中で血を流して自分の刑罰の時を招き、自らのために偶像を造って自分を汚す都よ。 22:4 おまえは自分が流した血で咎を負う者となり、自分が造った偶像で身を汚し、自分の日を近づかせ、自分の年を来させた。だから、わたしはおまえを国々のそしりの的とし、すべての国の笑いぐさとする。 22:5 おまえの近くにいる者も遠くにいる者も、名を汚されて大いに混乱したおまえをあざ笑う。 22:6 見よ。イスラエルの君主たちは、おまえの中でそれぞれ力をふるい、人の血を流している。 22:7 おまえの中で父や母は軽んじられ、おまえのただ中で寄留者は抑圧され、おまえの中にいるみなしごややもめは虐げられている。 22:8 おまえはわたしの聖なるものを蔑み、わたしの安息日を汚した。 22:9 おまえの中には、血を流そうと他人を中傷する者がいて、ある者は丘の上で食事をし、おまえのただ中で淫らなことをした。 22:10 おまえの中では父の裸があらわにされ、おまえの中では月のさわりのある女が犯された。 22:11 ある者は隣人の妻と忌み嫌うべきことをし、またある者は淫らなことをして嫁を汚し、ある者はおまえの中で、自分の父の娘である自分の姉妹を辱めた。 22:12 おまえの中では、血を流すために賄賂が使われ、おまえは利息と高利を取り、隣人を抑圧して利得を貪った。おまえはわたしを忘れた──神である主のことば。 22:13 見よ。おまえが得た不正な利得と、おまえの中で流された血のために、わたしは手を打ち鳴らす。 22:14 わたしがおまえをさばく日に、おまえの心は耐えられるだろうか。おまえの手は強くあり得るだろうか。主であるわたしが語り、事を行う。 22:15 わたしはおまえを諸国の間に散らし、国々に追い散らし、おまえの汚れをすっかり取り除く。 22:16 国々の民が見ている前で、おまえはおまえ自身によって汚される。そのときおまえは、わたしが主であることを知る。』」   本文は、エルサレムの罪に対する告発と、それに伴う神の裁きを語っている。明らかにされた罪の姿は、無実の者を殺す暴力、権力を用いた民への圧迫、隣人の財産を奪い搾取する盗み、賄賂の授受や高利貸しによって不義の利益を追い求める悪行であった。また、両親を侮り、異国人を虐げ、孤児ややもめを害し、性的な淫らさによって家庭倫理と人倫を破壊していた。神はそのようなエルサレムを「血を流す町」と呼ばれた。 現代のニュースを耳にして生きる私には、エルサレムの堕落の姿は決して見慣れないものではない。神を捨てた人間は、結局欲望を追い求めるしかない。キリスト教が街頭で声を上げるとすれば、それはキリスト教という宗教の政治的・社会的利益のためではなく、権力の暴圧に犠牲となる人々、家族や財産を失い苦しむ人々、不公正な社会の中で不利益を被る人々、居場所を持たない移住労働者たち、そして社会的・経済的弱者の権利のためであるべきだ。 信仰の外見だけが残った宗教が欲望に囚われると、すべては堕落の道具となる。学問も、権力や地位も、資本も、結局は悪のための手段に成り下がる。エルサレムの罪は共同体全体に深く浸透し、指導者も祭司も民も皆その堕落に関わっており、その先頭に宗教が立っていた。 神は必ず裁きを行うと宣言された。その結果、エルサレムは辱めと嘲笑を受け、諸国の間に散らされるであろう。その過程において、彼らは神が誰であるかを悟るようになる。神は人格的なお方であるがゆえに、自動的に人間性を高めるようにはされない。悔い改めない人間の人間性を回復する唯一の方法は、滅ぼすことである。裁きを通して高慢を打ち砕き、滅ぼすことによって、再び自分自身が何者であるか、そして神が誰であるかを知るようにされるのだ。滅びることなく生きる唯一の道が何であるかを人々は知っているはずだが、欲に駆られ、日々の忙しさに追われる者たちは、決してその道を見出すことはできないであろう。

에스겔 묵상 【피 흘리는 예루살렘】 20250825(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에스겔 22:1~16 22:1 여호와의 말씀이 또 내게 임하여 가라사대 22:2 인자야 네가 국문하려느냐 이 피 흘린 성읍을 국문하려느냐 그리하거든 자기의 모든 가증한 일을 그들로 알게 하라 22:3 너는 이르기를 주 여호와의 말씀에 자기 가운데 피를 흘려 벌 받을 때로 이르게 하며 우상을 만들어 스스로 더럽히는 성아 22:4 네가 흘린 피로 인하여 죄가 있고 네가 만든…

エゼキエル 黙想 【私を支えてくださる神の恵み】 20250821 (木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エゼキエル 20:27~32 20:27 それゆえ、人の子よ、イスラエルの家にこう告げよ。『神である主はこう言われる。あなたがたの先祖は次のことにおいても、わたしの信頼を裏切ることにより、わたしを冒瀆している。 20:28 わたしが、彼らに与えると誓った地に彼らを連れて行くと、彼らは高い丘や茂った木を見て、どこででもいけにえを献げた。彼らはそこで主の怒りを引き起こすささげ物を献げ、そこで芳ばしい香りを供え、そこで注ぎのぶどう酒を注いだ。 20:29 それで、わたしは彼らに言った。「あなたがたが通う高き所とは何なのか」と。今日でもその名はバマと呼ばれている。』 20:30 それゆえ、イスラエルの家に言え。『神である主はこう言われる。あなたがたは父たちの生き方をまねて自分自身を汚し、彼らの忌まわしいものを慕って姦淫を犯そうとするのか。 20:31 しかも、ささげ物を供え、幼子に火の中を通らせて、今日まであらゆる偶像で身を汚してきた。イスラエルの家よ。わたしはどうして、あなたがたの求めに応じられるだろうか。わたしは生きている──神である主のことば──。わたしは決してあなたがたの求めに応じない。 20:32 あなたがたが、「私たちは、木や石を拝んでいる異邦の民、国々の諸族のようになろう」と言っている、その霊の思いは決して実現しない。   イスラエルの歴史は、絶え間ない背教の歴史である。先祖たちが偶像に従ったように、その子孫たちも再び高き所や木の下で祭りをささげ、自ら異邦人のように生きようとした。それは彼らにとって、より魅力的に見えたのだろう。だから今もなお神から離れていく人は多く、それはアダム以降の人間の本性である。人は心に神を置くことを嫌い、この世を追い求める。 人間の歴史はその繰り返しにすぎないが、注目すべきは人間ではなく、その歴史の中で契約を守り続ける神である。神はイスラエルが異邦人のようになりたいと望む時でさえ、「あなたがたはそのようにはならない」と言われた。人間の堕落と裏切りの慣性にもかかわらず、神の契約の引力はそれ以上に強かった。ご自分の民を決して捨てないという神の契約的誠実さが、不従順な人間の歴史を荷車に載せて引き導いておられるのだ。 信仰とは、もしかすると「つかむこと」ではなく、「つかまれていること」なのかもしれない。おそらくそうであろう。私は何度も手を離してしまうが、神はその手を決して離されない。神に選ばれた者は最後まで守られ、誰もそこから奪い去ることはできない。「あなたがたは異邦人のようにはなれない」という言葉は、すなわち「あなたはわたしのものだ」という宣言である。これこそが聖徒の堅忍である。ここで信仰のない人々は「予定か、それとも意志か」という終わりのない議論を繰り返すが、その間に信仰の人々は神の愛を発見するのだ。

에스겔 묵상 【나를 붙드시는 하나님의 은혜】 20250821(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에스겔 20:27~32 20:27 그런즉 인자야 이스라엘 족속에게 고하여 이르기를 주 여호와의 말씀에 너희 열조가 또 내게 범죄하여 나를 욕되게 하였느니라 20:28 내가 그들에게 주기로 맹세한 땅으로 그들을 인도하여 들였더니 그들이 모든 높은 산과 모든 무성한 나무를 보고 거기서 제사를 드리고 격노케 하는 제물을 올리며 거기서 또 분향하고 전제를 부어 드린지라 20:29 이에 내가 그들에게 이르기를…

エゼキエル 黙想 【何に対する従順なのか】 20250820 (水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

エゼキエル 20:10~26 20:10 こうしてわたしは、エジプトの地から彼らを導き出し、荒野に導き入れ、 20:11 わたしの掟を彼らに与え、わたしの定めを告げ知らせた。人は、それらを行うなら、それらによって生きるからである。 20:12 わたしはまた、彼らにわたしの安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとし、わたしが彼らを聖なる者とする主であることを、彼らが知るようにした。 20:13 しかし、イスラエルの家は荒野でわたしに逆らった。彼らはわたしの掟に従って歩まず、わたしの定めを忌み嫌った。人は、それらを行うなら、それらによって生きるのに。さらに、彼らはわたしの安息日を甚だしく汚した。そこでわたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らを絶ち滅ぼそうと考えた。 20:14 しかし、わたしはわたしの名のことを思い、彼らを導き出すのを見ていた国々の目の前で、わたしの名が汚されないようにした。 20:15 だがわたしは、わたしが与えた、乳と蜜の流れる地、どの地よりも麗しい地に、彼らを導き入れない、と荒野で彼らに誓った。 20:16 それは、彼らがわたしの定めを忌み嫌い、わたしの掟に歩まず、わたしの安息日を汚したからだ。それほど彼らの心は偶像を慕っていた。 20:17 それでも、わたしは彼らをあわれんで滅ぼさず、荒野で彼らを滅ぼし尽くさなかった。 20:18 わたしは荒野で彼らの子どもたちに言った。「あなたがたの父たちの掟に従って歩むな。彼らの慣わしを守るな。彼らの偶像で身を汚すな。 20:19 わたしがあなたがたの神、主である。わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行え。 20:20 また、わたしの安息日を聖なるものとせよ。これをわたしとあなたがたとの間のしるしとし、わたしがあなたがたの神、主であることを知れ」と。 20:21 しかし、子どもたちはわたしに逆らった。彼らはわたしの掟に従って歩まず、わたしの定めを忌み嫌った。人は、それらを行うなら、それらによって生きるのに。さらに、彼らはわたしの安息日を汚した。そこで、わたしは、荒野でわたしの憤りを彼らの上に注ぎ、彼らにわたしの怒りを出し尽くそうと思った。 20:22 しかし、わたしは手を引いた。わたしの名のことを思い、彼らを導き出すのを見ていた国々の目の前で、わたしの名が汚されないようにした。 20:23 だがわたしは、彼らを諸国の間に散らし、国々に追い散らす、と荒野で彼らに誓った。 20:24 彼らがわたしの定めを行わず、わたしの掟を忌み嫌い、わたしの安息日を汚し、彼らの心が父たちの偶像を慕ったからである。 20:25 わたしもまた、良くない掟と、それによっては生きられない定めを彼らに与えた。 20:26 彼らがすべての初子に火の中を通らせたとき、わたしはそのささげ物で彼らを汚した。それは、わたしが彼らを滅ぼすため、わたしが主であることを彼らが知るためである。』   この本文から読み取るべきことは何だろうか。彼らは不従順であったが、私は従順して滅びないようにしなければならない――そうした教訓的なメッセージだけで十分なのだろうか。本当は、この本文は彼らの不従順をただ咎めているのではなく、イスラエルの歴史、いや人間の本性そのものに内在する「繰り返される不従順と裏切りの構造」を告発しているのではないだろうか。 彼らは荒野においてさえも不従順で反逆した。救いの途上にあってさえ、不従順を止めなかったのである。時が良くても悪くても、絶えず神を裏切り続けた。私たちがそれを読む理由は、数千年前に生きていた人々の行いを非難するためではない。むしろ、神と人間をより正確に理解するためなのである。 「従順しなければならない」という自責や勧告ではなく、私たちが本質的に従順できない存在であることを根本的に自覚しなければならない。イスラエルの不従順は、ある時代に限定された問題ではなく、人間存在全体が抱えている罪の性質の問題なのである。パウロがローマ書で告白したように、「善を行いたいという意思はあっても、実際には不従順へと傾かざるを得ない」というのが人間の現実である。 私たちが信じるのはイスラエルの歴史でも律法でもない。私たちが信じるのはただ福音である。ユダヤ教の亜流ではなく、福音のレンズを通して旧約を読むことこそ当然の姿勢である。したがって、福音の人が追い求める従順とは、イエス・キリストに対するものでなければならない。従順は自己の決意や意志ではなく、キリストの従順に連なる生活の中でのみ可能だからである。 このように、エゼキエル20章は人間の無能と不従順を明らかにすると同時に、神の恵みと憐れみを語っている。神はご自身の名と契約のゆえにイスラエルを最後まで捨てなかったように、その一貫した救済のためにキリストにおいて新しい道を開かれたのである。従順とは私の達成ではなく、救済の恵みに献身することによって生きる生活である。信仰において何よりも重要なのは、イエス・キリストに対する明確な告白である。

에스겔 묵상 【무엇에 대해 순종할 것인가】 20250820(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

에스겔 20:10~26 20:10 그러므로 내가 그들로 애굽 땅에서 나와서 광야에 이르게 하고 20:11 사람이 준행하면 그로 인하여 삶을 얻을 내 율례를 주며 내 규례를 알게 하였고 20:12 또 나는 그들을 거룩하게 하는 여호와인줄 알게 하려하여 내가 내 안식일을 주어 그들과 나 사이에 표징을 삼았었노라 20:13 그러나 이스라엘 족속이 광야에서 내게 패역하여 사람이 준행하면 그로 인하여…