ヨシュア 黙想 【誓いと啓示のあいだ】 20251127(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨシュア 9:16~27 9:16 彼らと盟約を結んでから三日たったとき、人々は彼らが近くの者たちで、自分たちのただ中に住んでいるということを聞いた。 9:17 そこでイスラエルの子らは出発し、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とはギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。 9:18 イスラエルの子らは彼らを討たなかった。会衆の上に立つ族長たちがイスラエルの神、主にかけて彼らに誓ったからである。しかし、全会衆は族長たちに向かって不平を言った。 9:19 族長たちはみな全会衆に言った。「私たちはイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。 9:20 私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下ることはないだろう。」 9:21 族長たちは全会衆に言った。「彼らを生かしておこう。」彼らは全会衆のために薪を割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らについて言ったとおりである。 9:22 ヨシュアは彼らを呼び寄せて、彼らに言った。「あなたがたは私たちのただ中に住んでいながら、なぜ、『私たちは、あなたがたからとても遠いところの者です』と言って私たちを欺いたのか。 9:23 今、あなたがたはのろわれる。あなたがたの中から、奴隷たち、私の神の家のために薪を割る者と水を汲む者が絶えることはない。」 9:24 彼らはヨシュアに答えた。「しもべどもは、はっきり知らされました。あなたの神、主がこの全土をあなたがたに与え、その地の全住民をあなたがたの前から根絶やしにするように、しもべモーセにお命じになったことを。それで私たちは、自分のいのちのことであなたがたを非常に恐れ、このようなことをしたのです。 9:25 ご覧ください。今、私たちはあなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちを扱ってください。」 9:26 ヨシュアは彼らが言うようにし、彼らをイスラエルの子らの手から救った。それで彼らは殺されなかった。 9:27 ヨシュアはその日、彼らを会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれる場所で薪を割る者と水を汲む者とし、今日に至っている。   ギブオンがイスラエルを欺いて契約を結んだ事実が明らかになったにもかかわらず、イスラエルは神の名によって誓ったがゆえに、彼らを滅ぼすことができないというもう一つの神の命令との間で深いジレンマに陥った。神の名によってなされた誓いは破棄できず、結局ギブオンの人々を生かしつつ、イスラエルの奴隷とする決断を下すことになる。主の名によって行われた誓いは必ず守らねばならないという倫理は確かに存在しており、その真剣さと厳粛さは、今もなお私たちが学ぶべき姿勢である。 しかし、この事件は信仰が単なる規則遵守ではなく、啓示の原理をどのように解釈し、適用するかという「識別」の問題であることを深く考えさせる。士師エフタは誓いを守るために自分の娘を人身供犠としてささげ、サウルもまた、自らの無謀な誓いのゆえに息子ヨナタンを殺そうとした。もし無知から生まれた誓いでさえも無条件に拘束力を持つとするならば、その責任はどこまで人間に帰せられるのかという問いが残る。 神の啓示は具体的な説明を伴わずに与えられることもあり、その隙間において、神の御心を知ろうとする人間は必然的に解釈と選択を迫られる。信仰とは啓示を機械的に従うことではなく、その啓示を基盤として神の御心を追い求める過程そのものである。神のご性質と原理に深く根ざした者こそが、複雑な現実の中にあっても、神の御心にかなう信仰的判断を下すことができるであろう。 「誓ったことは必ず守らねばならない」という原則と、「カナンの民は必ず滅ぼさねばならない」という命令の狭間で、イスラエルは誓いを守るという選択をした。その選択は倫理的には責任ある態度であったと言える。しかしイスラエルはすでに一度、神の御心を問わぬ選択によって失敗してはいなかっただろうか。この問題こそ、改めて問い直すべきではなかったのだろうか。神の啓示は再び人間の解釈を通る可能性が高いのである。何が優先されるべきか、何が前提であり上位の原理であるのかを解釈し、識別しなければならない。そのためには、人間の内にみ言葉が幾層にも積み重ねられていなければならないだろう。しなかったのではなく、なお自分自身の方向設定が明確でなかったことに問題があったのである。

여호수아 묵상 【맹세와 계시 사이】 20251127(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

여호수아 9:16~27 9:16 그들과 언약을 맺은 후 삼일이 지나서야 그들은 근린에 있어 자기들 중에 거주하는 자라 함을 들으니라 9:17 이스라엘 자손이 진행하여 제 삼일에 그들의 여러 성읍에 이르렀으니 그 성읍은 기브온과 그비라와 브에롯과 기럇여아림이라 9:18 그러나 회중 족장들이 이스라엘 하나님 여호와로 그들에게 맹세한 고로 이스라엘 자손이 그들을 치지 못한지라 그러므로 회중이 다 족장들을 원망하니 9:19…

여호수아 묵상 【합리적 판단과 일관적 순종】 20251126(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

여호수아 9:1~15 9:1 요단 서편 산지와 평지와 레바논 앞 대해변에 있는 헷 사람과 아모리 사람과 가나안 사람과 브리스 사람과 히위 사람과 여부스 사람의 모든 왕이 이 일을 듣고 9:2 모여서 일심으로 여호수아와 이스라엘로 더불어 싸우려 하더라 9:3 기브온 거민들이 여호수아의 여리고와 아이에 행한 일을 듣고 9:4 꾀를 내어 사신의 모양을 꾸미되 해어진 전대와 해어지고 찢어져서…

여호수아 묵상 【언약을 확인하는 것이 승리】 20251125(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

여호수아 8:24~35 8:24 이스라엘이 자기를 광야로 따르던 아이 모든 거민을 들에서 죽이되 그들을 다 칼날에 엎드러지게 하여 진멸하기를 마치고 온 이스라엘이 아이로 돌아와서 칼날로 죽이매 8:25 그 날에 아이 사람의 전부가 죽었으니 남녀가 일만 이천이라 8:26 아이 거민을 진멸하기까지 여호수아가 단창을 잡아 든 손을 거두지 아니하였고 8:27 오직 그 성읍의 가축과 노략한 것은 여호와께서 여호수아에게…

ヨシュア 黙想 【合理的判断と一貫した従順】 20251126(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師   

ヨシュア 9:1~15 9:1 さて、ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバノンに至る大海の全沿岸のヒッタイト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞くと、 9:2 ともに集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。 9:3 ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、 9:4 彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、 9:5 繕った古い履き物を足にはき、古びた上着を身に着けた。彼らの食糧のパンはみな乾いて、ぼろぼろになっていた。 9:6 彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」 9:7 イスラエルの子らはそのヒビ人たちに言った。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」 9:8 彼らはヨシュアに言った。「私たちは、あなたのしもべです。」ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたは何者か。どこから来たのか。」 9:9 彼らは彼に言った。「しもべどもは、あなたの神、主の名のゆえにとても遠い国から参りました。主のうわさ、および主がエジプトで行われたすべてのこと、 9:10 主がヨルダンの川向こうのアモリ人の二人の王、ヘシュボンの王シホン、およびアシュタロテにいたバシャンの王オグになさった、すべてのことを聞いたからです。 9:11 私たちの長老や、私たちの国の住民はみな私たちに言いました。『旅のための食糧を手にして彼らに会いに出かけなさい。そして彼らに、「私たちは、あなたがたのしもべです。今、どうか私たちと盟約を結んでください」と言いなさい。』 9:12 これが私たちのパンです。私たちがあなたがたのところに来ようと出た日、それぞれ自分の家で食糧として準備したときには、まだ温かかったのですが、今はご覧のとおり、干からびて、ぼろぼろになってしまいました。 9:13 これがぶどう酒の皮袋です。私たちがこれらを満たしたときには新しかったのですが、ご覧のとおり破れてしまいました。これが私たちの上着と私たちの履き物です。とても長い旅のため古びてしまいました。」 9:14 そこで人々は彼らの食糧の一部を受け取った。しかし、主の指示を求めなかった。 9:15 ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。   エリコの城とアイの町が崩れ落ちると、残されたカナンの諸部族は恐れを感じ、連合してイスラエルと戦うことを決意した。しかし、ギブオンだけは別の道を選んだ。彼らは自らを欺きながら、イスラエルのしもべになることを申し出たのである。そうすれば、滅ぼし尽くされることを免れ得ると考えたからであろう。それはギブオンにとっても、イスラエルにとっても、合理的で魅力的な条件であった。ギブオンの立場からすれば生き延びることができ、イスラエルの側からすれば、戦わずして勝利を得るだけでなく、現地の部族をしもべとして従わせることができたからである。 しかし本文は、「彼らは主の御心を求めなかった」(14節)という言葉によって、この事件の本質を伝えている。すなわち、彼らの判断と選択に誤りがあったことを示しているのである。イスラエルは神に何を問うべきであったのだろうか。ギブオンをしもべとすべきか、それとも拒むべきか、と問うべきだったのだろうか。「主に問わなかった」とは、すべてのことを漏れなく神に祈った後でなければ決断してはならない、という意味なのだろうか。 イスラエルにはすでに、「カナンの諸族をことごとく滅ぼせ」という神の上位命令が与えられていたではないか。その命令は性質上、例外を許さない絶対的なものであった。イスラエルには、カナンの民の中から誰かをしもべとすることも、彼らと共存することも許されていなかった。なぜ彼らを滅ぼさねばならなかったのかという問いは、今日の主題ではないが、それは不純なものの影響力を完全に排除し、新しいものへの再生を象徴する行為として理解できるであろう。 「神に問わなかった」というのは、祈る行為を怠ったという意味ではない。イスラエルはそれなりに慎重であり、悩み、最善を尽くして合理的な判断を下したはずである。問題はその「合理性」にあった。彼らはすでに与えられていた神の命令を基準とせず、状況に応じた合理的判断を優先したのである。こうして彼らは、神の上位命令を自分たちの判断で勝手に調整してしまった。 しかし、この種の合理性はやがて妥協となり、不従順となる。問題は慈悲にあったのではなく、命令を自分なりの基準で再解釈したことにあった。聖書は、それこそが神の御心から逸脱することであると厳しく警告している。神が自分を導いておられる方向をすでに知っていながら、状況の合理性に従うことは、神の方向に逆らうことであり、妥協することであり、それこそが「神に問わなかった」こととなる。祈りという行為をしなかったのではなく、なお自分自身の方向設定が明確でなかったことに問題があったのである。

여호수아 묵상 【경험의 함정】 20251124(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

여호수아 8:10~23 8:10 여호수아가 아침에 일찌기 일어나서 백성을 점고하고 이스라엘 장로들로 더불어 백성 앞서 아이로 올라가매 8:11 그를 좇은 군사가 다 올라가서 성읍 앞에 가까이 이르러 아이 북편에 진치니 그와 아이 사이에는 한 골짜기가 있었더라 8:12 그가 오천명 가량을 택하여 성읍 서편 벧엘과 아이 사이에 또 매복시키니 8:13 이와 같이 성읍 북편에는 온 군대가 있고…

テモテへの手紙 第二 黙想【パウロの助言】20251101(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

テモテへの手紙 第二 1:1-8 1:1 神のみこころにより、またキリスト・イエスにあるいのちの約束にしたがって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、 1:2 愛する子テモテへ。父なる神と、私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。 1:3 私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。 1:4 私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。 1:5 私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。 1:6 そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。 1:7 神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。 1:8 ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。    テモテへの手紙第二は、パウロの書簡の中でも「獄中書簡」と呼ばれます。さらにその中でも、使徒パウロが生涯の最後に書いた手紙であると考えられています。ローマの牢獄で人生の終わりを迎えようとしていたパウロが、信仰の子であるテモテに心を込めて書き送った手紙なのです。    この手紙の冒頭が、今日の本文の箇所です。ここでパウロがテモテに願い、勧めていることは、これからの安楽な人生のための祝福や、健康、名誉などではありませんでした。むしろ、パウロ自身がそうであったように、福音のために苦難を受けることでした。  人生の最後に、自分の息子のような存在に伝えたかった言葉は、パウロが与えられる最も良い助言であったはずです。使徒パウロにとってそれは、神様の力により福音とともに苦難にあずかるということでした。  私たちは聖書を通して使徒パウロの生涯を知っています。文字で読むだけでも、数多くの死の危険を乗り越え、無視や迫害に耐え、御言葉を伝えるための資金を自ら働いてまで賄いながら、神様の御言葉を宣べ伝えた人物がパウロでした。しかし私たちが文字で感じ取る以上に、テモテはその姿をすぐ傍で見ていたので、誰よりもパウロの無事を祈り、その手紙を待っていたことでしょう。  そんなパウロが人生の終わりに語った「あなたも私と同じように、福音のために苦難を受けなさい」という言葉は、テモテにとって大きな衝撃と挑戦であったに違いありません。相当な恐れもあったことでしょう。しかしパウロは言います──神様が私たちにお与えになったのは、恐れる心ではないと。  私たちが福音のために生きるということは、確かに多くの苦難を伴う道です。小さな心配や不安から、ある者には命に関わる問題にまで及ぶこともあります。けれどもその中で私たちに与えられているのは、恐れではありません。神様は私たちに、力と愛と慎みの心、すなわちあらゆる苦難を乗り越える力を与えてくださっているのです。だからこそ私たちは今日も、福音のために生き、伴う苦難にくじけることなく、その道を歩むことができるのです。 https://youtu.be/CvVj2_Lhg7A?si=3naI8lWryBRfQiDK

디모데후서 묵상【바울의 조언】20251101(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

디모데후서 1:1-8 1:1 하나님의 뜻으로 말미암아 그리스도 예수 안에 있는 생명의 약속대로 그리스도 예수의 사도 된 바울은 1:2 사랑하는 아들 디모데에게 편지하노니 하나님 아버지와 그리스도 예수 우리 주께로부터 은혜와 긍휼과 평강이 네게 있을지어다 1:3 내가 밤낮 간구하는 가운데 쉬지 않고 너를 생각하여 청결한 양심으로 조상적부터 섬겨 오는 하나님께 감사하고 1:4 네 눈물을 생각하여 너 보기를…

ゼカリヤ書 黙想【自由を与える統治】20251031(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ゼカリヤ書 14:16-21 14:16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。 14:17 地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族の上には、雨が降らない。 14:18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、疫病が彼らに下る。これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つ疫病である。 14:19 これが、エジプトの罪への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々の罪への刑罰となる。 14:20 その日、馬の鈴の上には「主への聖なるもの」と刻まれ、主の宮の中の鍋は祭壇の前の鉢のようになる。 14:21 エルサレムとユダのすべての鍋は、万軍の主への聖なるものとなる。いけにえを献げる者はみなやって来て、その一つを取ってそれで煮るようになる。その日、万軍の主の宮にはもう商人がいなくなる。     ゼカリヤ書の最後では、「イスラエルの神」「イスラエルの主」であった神様が、「全地の王」「万軍の主」として、その統治の範囲がイスラエルから全世界へ広がる、回復されることが示されています。    それと同時に、その神様の民となった全世界の人々には、「律法」を守ることが義務づけられます。律法とは、神様がご自身の民に与えられた命令であるからです。また、その律法を守らない者に与えられる裁きも、同じく存在します。    しかし、それは決して異邦人を律法の下に縛りつけるための支配ではありません。むしろこのような出来事は、全地のすべての者が、万軍が、神様の恵みのもとにおいて、その御子イエス・キリストによって救いを得るための、神様の特別な御計画なのです。    神様を自らの王と告白する者には、救いの名であるイエス・キリストが共に与えられます。神様の国の民となるということは、新たな抑圧ではなく、あらゆる抑圧からの自由と解放を意味するのです。    私たちの人生の主権は、「自分」という存在から神様へと移されました。私たちが「主よ」と呼ぶのが、まさにそのような信仰の告白なのです。私たちが神様に自分を委ねることは、決して自由を奪われることではありません。むしろそれは、真の自由を得る道なのです。 https://youtu.be/SzTIIzahEaw?si=uI-MrQ1UwNrdFbUp

스가랴 묵상【자유를 주는 통치】20251031(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

스가랴 14:16-21 14:16 예루살렘을 치러 왔던 이방 나라들 중에 남은 자가 해마다 올라와서 그 왕 만군의 여호와께 경배하며 초막절을 지킬 것이라 14:17 땅에 있는 족속들 중에 그 왕 만군의 여호와께 경배하러 예루살렘에 올라오지 아니하는 자들에게는 비를 내리지 아니하실 것인즉 14:18 만일 애굽 족속이 올라오지 아니할 때에는 비 내림이 있지 아니하리니 여호와께서 초막절을 지키러 올라오지 아니하는…