民数記 黙想 【動く幕屋、留まる臨在】 20250324(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 4:21~33 4:21 主はモーセにこう告げられた。 4:22 「あなたはまた、ゲルション族の頭数を、その一族ごと、氏族ごとに調べ、 4:23 三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で任務に当たり、奉仕をすることのできる者をすべて登録しなければならない。 4:24 ゲルション人諸氏族のなすべき奉仕と運ぶ物は次のとおりである。 4:25 幕屋の幕、会見の天幕とその覆い、その上に掛けるじゅごんの皮の覆い、会見の天幕の入り口の垂れ幕を運び、 4:26 また庭の掛け幕、幕屋と祭壇の周りを取り巻く庭の門の入り口の垂れ幕、それらのひも、およびそれらに用いるすべての用具を運び、これらに関係するすべての奉仕をしなければならない。 4:27 ゲルション族のすべての奉仕、すなわち、彼らが運ぶすべての物と彼らのすべての仕事は、アロンとその子らの命令によらなければならない。あなたがたは彼らに、任務として、彼らが運ぶ物をすべて割り当てなければならない。 4:28 以上がゲルション人諸氏族の会見の天幕における奉仕で、彼らの任務は祭司アロンの子イタマルの指揮下にある。 4:29 メラリ族について、あなたはその氏族ごと、一族ごとに、彼らを登録しなければならない。 4:30 三十歳以上五十歳までの者で、務めに就き、会見の天幕の奉仕をすることができる者たちをすべて、登録しなければならない。 4:31 会見の天幕での彼らのすべての奉仕の中で、彼らが任務として運ぶ物は次のとおりである。幕屋の板、その横木、その柱とその台座、 4:32 庭の周りの柱と、その台座、杭、ひも、これらの備品と、その奉仕に使うすべての物である。あなたがたは、彼らが任務として運ぶ備品を、名を挙げて割り当てなければならない。 4:33 これが会見の天幕でのすべての仕事に関するメラリ人諸氏族の奉仕で、これは祭司アロンの子イタマルの指揮下にある。」 イスラエルが幕屋を運ばなければならなかったのは、彼らが荒野を旅する民であったからです。出エジプトした民は、荒野でしばらくの間留まりはしますが、やがて再び出発しなければなりませんでした。そのたびに幕屋もまた共に移動しなければなりませんでした。移動は面倒で大変なことだったでしょう。しかし、いつ出発し、いつ留まるのかを決めるのは神様ご自身であり、民が移動する際に最も重要で優先すべきことは、神様のご臨在の象徴である幕屋を整えることでした。巡礼の旅路を歩む信仰者は、一か所に留まり続けることはできません。しかし、幕屋が共に移動するところには、神様がその中に宿られ、臨在されるのです。 幕屋の運搬は、誰でもできることではありませんでした。レビ族の中でも、ゲルションの子らとメラリの子らに、それぞれの職務と役割が明確に分けられていました。ゲルション族は幕屋の幕、覆い、庭の幕などを担当し、メラリ族は幕屋の板、柱、台座、縄など、構造物を担当しました。たとえて言えば、ゲルションはソフトウェアを、メラリはハードウェアを運んだようなものです。土木担当がメラリなら、内装・設計担当がゲルションといえるでしょう。彼らの働きは、祭司アロンの子イタマルの監督のもとで行われ、すべては神が定められた聖なる秩序の中で遂行されました。 幕屋に関するこのような規定は、制限ではなく、むしろ神の特別な許可であり恵みでした。誰でも触れられないということは、接近が禁止されているのではなく、神様が定められた方法によってのみ接触が許されるという、特別な許しなのです。「なぜ自分はできないのか」と問うのではなく、「どのようにして神様は道を開いてくださったのか」を思い巡らすべきです。聖なるものに近づく道は、人間の積極的な努力によって開かれるのではなく、常に神様が開いてくださる道を通してのみ可能なのです。 Ⅱサムエル6章では、ウザが契約の箱が落ちそうになるのを心配して手を伸ばし、その結果、死んでしまった出来事が描かれています。この出来事も、まさに本日の本文である民数記の規定に基づいたものです。ウザは契約の箱が心配で、それを支えようとしただけでした。しかし、その行為によって彼は命を失いました。ここで、私たちは神様の臨在に対して人間がどのような立場にあるのかという現実に直面します。幕屋が神様の臨在を象徴しているとはいえ、人間は本来、その臨在に自ら近づくことのできない存在です。人間が神様と触れ合うことができるのは、ただイエス・キリストのうちにおいてのみ、限定的に許されているのです。神様が認め、許された道を通してのみ、私たちは神様の臨在を経験することができます。だからこそ、イエス・キリストこそが「道」なのです。この制限と区別は、言い換えれば唯一無二の特別な恵みなのです。 ETC礼拝は、借りた場所を転々としなければならない移動型の礼拝です。礼拝と交わりに必要な物を持って、場所ごとに移動する必要があります。しかし、そのように運ばれてきた物が、ある借りた場所の中に配置され、礼拝が始まるとき、その場に神様が臨在してくださいます。私たちが神様の臨在を求め、経験できるのは、その空間によってでも、物によってでもありません。神様が、人間がご自身の前に出ることができるように、また人間が神様と触れ合えるように、「道」を開いてくださったからです。その道こそ、イエス・キリストです。今もなお、私たちは制限されたまま神様に近づいていきます。しかし、そのただひとつの開かれた道――それはイエス・キリストを通しての道なのです。私たちは、イエス・キリストという礼拝の装置を携えて、移動しています。

민수기 묵상 【움직이는 성막, 머무는 임재】 20250324(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 4:21~33 4:21 여호와께서 또 모세에게 일러 가라사대 4:22 게르손 자손도 그 종족과 가족을 따라 총계하되 4:23 삼십 세 이상으로 오십 세까지 회막 봉사에 입참하여 일할 만한 모든 자를 계수하라 4:24 게르손 가족의 할 일과 멜 것은 이러하니 4:25 곧 그들은 성막의 앙장들과 회막과 그 덮개와 그 위의 해달의 가죽 덮개와 회막 문장을 메이며 4:26…

民数記 黙想 【厳粛なレビ人の始まり】 20250319(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

民数記 1:47~54 1:47 しかしレビ人は、彼らとともに父祖の部族ごとに登録されることはなかった。 1:48 主はモーセに告げられた。 1:49 「レビ部族だけは、ほかのイスラエルの子らとともに登録してはならない。また、その頭数を調べてはならない。 1:50 あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびすべてそれに付属するものを管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これに仕え、幕屋の周りに宿営しなければならない。 1:51 幕屋が進むときはレビ人がそれを取り外し、幕屋が張られるときはレビ人がこれを組み立てなければならない。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。 1:52 イスラエルの子らは、軍団ごとに、それぞれ自分の宿営、自分の旗のもとに天幕を張るが、 1:53 レビ人は、あかしの幕屋の周りに宿営しなければならない。わたしの怒りがイスラエルの会衆の上に臨むことがあってはならない。レビ人はあかしの幕屋に関わる任務に当たる。」 1:54 イスラエルの子らは、このようにし、すべて主がモーセに命じられたとおりに行った。 *昨日の本文と今日の本文を取り違えてしまいました。そのため、今日は本来の本文がないので、昨日の本文に戻って黙想します。 レビ人に他の部族と区別された役割を与えられたのは、彼らの身分が特別だったからではなく、彼らに委ねられた職務が特別である必要があったからです。レビ人は幕屋を管理し、礼拝の奉仕をし、イスラエルの民に神様の怒りが下らないように守らなければなりませんでした。 これは非常に厳粛な命令であり、区別された者の生き方は厳粛であるべきです。その目的はレビ人自身のためではなく、神様と民のためだったからです。彼らが警戒すべきなのは、倫理的な正当性よりも宗教権力の弊害だったでしょう。職分が聖なるものであったとしても、人間は本来そのような能力を持つ存在ではありません。人間は堕落し、朽ち果てる存在です。イスラエルのレビ人も、教会の牧師も、誰もが堕落した人間の本性を持っています。 レビ人にとって最も危険なのは、自分が選ばれ区別されたというエリート意識や、政治的・宗教的権力への志向です。もし職分にふさわしく生きられない者であれば、悲しみ嘆くこともあるでしょう。しかし、制度化された宗教的権威を武器にする者は、決して自分の問題に気づくことも、悔い改めることもないでしょう。聖なることは特権ではなく、責任なのです。 皮肉なことに、神のために区別されたレビ人が、神の御子を十字架につけてしまいました。宗教に酔いしれた彼らには、わずかな良心すら残っていませんでした。厳粛なレビ人の区別から始まったにもかかわらず、その権力がイエス様を殺したのです。昨日見過ごしてしまったこの本文で、私たちが見落としてはならないのは、レビ人の特権ではなく、彼らを通して守るべき民と礼拝なのです。

민수기 묵상 【엄중한 레위인의 시작】 20250319(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 1:47~54 1:47 오직 레위인은 그 조상의 지파대로 그 계수에 들지 아니하였으니 1:48 이는 여호와께서 모세에게 일러 가라사대 1:49 레위 지파만은 너는 계수치 말며 그들을 이스라엘 자손 계수 중에 넣지 말고 1:50 그들로 증거막과 그 모든 기구와 그 모든 부속품을 관리하게 하라 그들은 그 장막과 그 모든 기구를 운반하며 거기서 봉사하며 장막 사면에 진을 칠지며…

民数記 黙想 【私が守るべきところ】 20250318(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 2:1~34 2:1 主はモーセとアロンに告げられた。 2:2 「イスラエルの子らは、それぞれ自分たちの旗のもと、自分の一族の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の周りに、距離をおいて宿営しなければならない。 2:3 前方、すなわち東側に宿営する者は、軍団ごとのユダの宿営の旗の者でなければならない。ユダ族の族長はアミナダブの子ナフションである。 2:4 彼の軍団は、登録された者が七万四千六百人である。 2:5 その隣に宿営するのはイッサカル部族であり、イッサカル族の族長はツアルの子ネタンエルである。 2:6 彼の軍団は、登録された者が五万四千四百人である。 2:7 その次はゼブルン部族で、ゼブルン族の族長はヘロンの子エリアブである。 2:8 彼の軍団は、登録された者が五万七千四百人である。 2:9 ユダの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十八万六千四百人。彼らが先頭を進まなければならない。 2:10 南側は、軍団ごとのルベンの宿営の旗の者たちである。ルベン族の族長はシェデウルの子エリツルである。 2:11 彼の軍団は、登録された者が四万六千五百人である。 2:12 その隣に宿営するのはシメオン部族で、シメオン族の族長はツリシャダイの子シェルミエルである。 2:13 彼の軍団は、登録された者が五万九千三百人である。 2:14 その次はガド部族で、ガド族の族長はデウエルの子エルヤサフである。 2:15 彼の軍団は、登録された者が四万五千六百五十人である。 2:16 ルベンの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十五万一千四百五十人。彼らは二番目に進まなければならない。 2:17 次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営が、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。宿営する場合と同じように、彼らはそれぞれ自分の場に就いて、自分の旗に従って進まなければならない。 2:18 西側は、軍団ごとのエフライムの宿営の旗の者たちである。エフライム族の族長はアミフデの子エリシャマである。 2:19 彼の軍団は、登録された者が四万五百人である。 2:20 その隣はマナセ部族で、マナセ族の族長はペダツルの子ガムリエルである。 2:21 彼の軍団は、登録された者が三万二千二百人である。 2:22 その次はベニヤミン部族で、ベニヤミン族の族長はギデオニの子アビダンである。 2:23 彼の軍団は、登録された者が三万五千四百人である。 2:24 エフライムの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十万八千百人。彼らは三番目に進まなければならない。 2:25 北側は、軍団ごとのダンの宿営の旗の者たちである。ダン族の族長はアミシャダイの子アヒエゼルである。 2:26 彼の軍団は、登録された者が六万二千七百人である。 2:27…

민수기 묵상 【내가 지킬 자리】 20250318(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 2:1~34 2:1 여호와께서 모세와 아론에게 일러 가라사대 2:2 이스라엘 자손은 각각 그 기와 그 종족의 기호 곁에 진을 치되 회막을 사면으로 대하여 치라 2:3 동방 해 돋는 편에 진 칠 자는 그 군대대로 유다의 진기에 속한 자라 유다 자손의 족장은 암미나답의 아들 나손이요 2:4 그 군대는 계수함을 입은 자 칠만 사천 육백 명이며 2:5…

民数記 黙想 【レビ人の職務】 20250312(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 1:47~54 1:47 しかしレビ人は、彼らとともに父祖の部族ごとに登録されることはなかった。 1:48 主はモーセに告げられた。 1:49 「レビ部族だけは、ほかのイスラエルの子らとともに登録してはならない。また、その頭数を調べてはならない。 1:50 あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびすべてそれに付属するものを管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これに仕え、幕屋の周りに宿営しなければならない。 1:51 幕屋が進むときはレビ人がそれを取り外し、幕屋が張られるときはレビ人がこれを組み立てなければならない。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。 1:52 イスラエルの子らは、軍団ごとに、それぞれ自分の宿営、自分の旗のもとに天幕を張るが、 1:53 レビ人は、あかしの幕屋の周りに宿営しなければならない。わたしの怒りがイスラエルの会衆の上に臨むことがあってはならない。レビ人はあかしの幕屋に関わる任務に当たる。」 1:54 イスラエルの子らは、このようにし、すべて主がモーセに命じられたとおりに行った。 民数記のヘブライ語のタイトルは「荒野で」です。しかし、韓国語での「民数記」という名前は「民の数を数える」という意味を持っています。これは、出エジプトしたイスラエルの民が荒野で軍隊を編成するために、2回にわたって人口調査を行ったことに由来します。最初の人口調査は民数記1章で行われ、2回目の人口調査は26章で再び実施されます。 民数記1章では、神がモーセにイスラエルの子孫の人口を調査するよう命じました。この調査は戦闘力を持つ20歳以上の男子を対象に行われました。そのため、各部族から族長が代表として選ばれ、最終的に603,550人が集計され、軍隊が編成されました。 しかし、レビ族は軍隊の徴集から除外されました。これは、レビ族がアロンの子孫として祭司の職務を遂行しなければならない特別な役割を担っていたからです。彼らは幕屋を管理し、緊急時には幕屋を守ることに専念しなければなりませんでした。この規則は非常に厳しく、レビ人でない者が幕屋に近づくと殺されるべきとされていました。 私たちはしばしば祭司の役割を宗教的な職務だけに限定して考えますが、当時の社会は政教一致の社会でした。したがって、レビ人や祭司は単に儀式を執り行うだけでなく、社会の秩序を維持し、共同体の聖さを守る役割を果たしました。彼らの使命は共同体の中で神の臨在を守り、イスラエルの民を霊的に導くことでした。 レビ人の使命は特定の職業に限定されるものではなく、社会全体に分配された召命でした。兵士は戦争を遂行し、法律家は法律を執行し、医療者は治療を担い、教育者は教えを担当するように、レビ人は共同体が神の前で聖さを保つことを助ける役割を果たしました。すべての人々が神の共同体を聖く守るために、選別された生き方をしなければならないのです。 今日の民主主義社会において、レビ人の役割を文字通りに適用することはできません。しかし、新約聖書ではレビ人の使命がどのように変化したのか、そして私たちはそれをどのように解釈すべきかを理解することが重要です。そのために、へブル人への手紙7章以降とペテロの手紙第一の2章を読まなければなりません。旧約と新約が矛盾しているのではありません。それらの間でイエス・キリストがなされた働きを深く理解することが鍵となります。

민수기 묵상 【레위인의 직무】 20250317(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 1:47~54 1:47 오직 레위인은 그 조상의 지파대로 그 계수에 들지 아니하였으니 1:48 이는 여호와께서 모세에게 일러 가라사대 1:49 레위 지파만은 너는 계수치 말며 그들을 이스라엘 자손 계수 중에 넣지 말고 1:50 그들로 증거막과 그 모든 기구와 그 모든 부속품을 관리하게 하라 그들은 그 장막과 그 모든 기구를 운반하며 거기서 봉사하며 장막 사면에 진을 칠지며…

ヨハネの福音書 黙想 【終わらない記録】 20250315(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの福音書 21:15-25 21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」 21:16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」 21:17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。 21:18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」 21:19 イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」 21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。 21:21 ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。 21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」 21:23 それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。 21:24 これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。 21:25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。  今日の箇所の中には、イエス様がペテロに三度「わたしを愛していますか」と尋ねられた御言葉、イエス様がペテロに尋ねられた愛(アガペ)とペテロが答えた愛(フィレオ)の違い、イエス様から羊を託されるペテロ、ペテロの将来とヨハネの将来についての御言葉など、多くの内容が記されています。そして、ヨハネの福音書という一つの記録の中にも、今まで多くのことが記されていました。    しかし、非常に膨大で深い内容を取り扱っているヨハネの記録は、まだ終わっていません。ヨハネの記録に記すことができなかったイエス様が行われた多くの御業があるからです。そして、その御業は、今この瞬間にも増え続けています。    その記録は、今も私たちの日々の中で、人々の心の中で、記され続けています。たとえそれがヨハネの福音書のような一つの福音書として記録されることはなくても、確かにこの瞬間にもイエス様は働いておられるからです。    私たちの信仰の記録は、ある瞬間にとどまり、その記録が終わってしまってはなりません。世の終わりまで私たちと共におられるイエス様が、私たちの隣で今も働いておられます。イエス様についての私たちの記録は、消えてしまってもならない、常に更新されなければならないものです。    私たちがイエス様の働きをすべて記録することはできないでしょう。時には忘れてしまったり、イエス様の働きに気づくことができなかったり、自らの記録を残すことに心を奪われてしまう時もあるでしょう。しかし、確かなことは、その瞬間にもイエス様は働いておられるということです。人がすべてを証しすることができない、イエス様ご自身の終わらない記録を、絶えず増やしいっておられるのです。 https://youtu.be/l8-Dp_psNhA?si=JP9oDr4Faw1vFnk8

요한복음 묵상 【끝나지 않는 기록】 20250315(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한복음 21:15-25 21:15 그들이 조반 먹은 후에 예수께서 시몬 베드로에게 이르시되 요한의 아들 시몬아 네가 이 사람들보다 나를 더 사랑하느냐 하시니 이르되 주님 그러하나이다 내가 주님을 사랑하는 줄 주님께서 아시나이다 이르시되 내 어린 양을 먹이라 하시고 21:16 또 두 번째 이르시되 요한의 아들 시몬아 네가 나를 사랑하느냐 하시니 이르되 주님 그러하나이다 내가 주님을 사랑하는 줄…