ヨハネによる福音書 黙想 【つながる関係】 20250303(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 17:20~26 17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。 17:21 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。 17:22 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 17:23 わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。 17:24 父よ。わたしに下さったものについてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見るためです。世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。 17:25 正しい父よ。この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知っています。 17:26 わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」 ヨハネの福音書17章の祈りは、イエス様の大祭司的祈りと言われます。祈りを超えて、教会と信仰の本質を説明する神学的宣言の役割を果たしています。17章は、すべてが関係の中で説明されます。神様とイエス様、イエス様と弟子たち、弟子たちと未来の不特定多数の聖徒たちとの関係です。イエス様と神様は互いに「私のうちにおられる」と言われることで、三位一体的関係を表し、イエス様と神様が本質的に一つであることを語っておられます。 世は神様を知りませんが、イエス様は神様を知っておられます。そして、イエス様を通して弟子たちは神様を知るようになります。弟子たちは福音を伝え、それによって将来救われる聖徒たちは再びこの関係へとつながります。結局、聖徒は神様との関係へと結びついていきます。すべての関係は有機的につながっています。福音の中にある聖徒は、イエス様が神様と結んでいる親密な関係の中へと招かれた存在であり、それはすなわち、聖徒の交わりが神様との交わりという関係へとつながることを意味します。 神様がイエス様に与えられた栄光とは、神様の本質と臨在です。イエス様は弟子たちに、そして弟子たちを通して聖徒たちにそれを分け与えられました。ここで重要なのは、三位一体のように聖徒も一つになることです。神様とイエス様が一体の関係の中で一つであるように、聖徒たちも教会を通して分裂することなく、一つとなるべきです。教会共同体は、個々の存在が集まった集団ではなく、有機的な関係を持つ神様の国の共同体であるべきです。 神様がイエス様のうちにおられ、イエス様が聖徒たちのうちにおられるという連合関係の根拠を通して、聖徒は一つになることができます。神様とイエス様と聖霊様は三位一体の連合を成し、イエス様と聖徒はキリストとの連合を成し、聖徒同士の連合は神様を現します。これは組織的な効率性のためではなく、共同体の中に一体となる三位の神様がおられるということを世に対する証しとするためのものです。教会の一致は、世に神様を現す聖徒のしるしです。イエス様の祈りは、神論、キリスト論、聖霊論、教会論を包括し、教会と信仰の基礎を教えておられます。

요한복음 묵상 【이어지는 관계】 20250303(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 17:20~26 17:20 내가 비옵는 것은 이 사람들만 위함이 아니요 또 저희 말을 인하여 나를 믿는 사람들도 위함이니 요17:21 아버지께서 내 안에 내가 아버지 안에 있는 것 같이 저희도 다 하나가 되어 우리 안에 있게 하사 세상으로 아버지께서 나를 보내신 것을 믿게 하옵소서 요17:22 내게 주신 영광을 내가 저희에게 주었사오니 이는 우리가 하나가 된것 같이…

ヨハネの福音書 黙想 【神の子の祈り】 20250301(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの福音書 17:1-8 17:1 これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。 17:2 あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。 17:3 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。 17:4 わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。 17:5 父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。 17:6 あなたが世から選び出して与えてくださった人たちに、わたしはあなたの御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに委ねてくださいました。そして彼らはあなたのみことばを守りました。 17:7 あなたがわたしに下さったものはすべて、あなたから出ていることを、今彼らは知っています。 17:8 あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたのもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。  イエス様は弟子たちを教えられた後、彼らのために祈られました。 これまでイエス様が待っていたその時、今日の祈りの始まりでイエス様はその「時が来ました」と祈られます。 その時はイエス様が十字架につけられる時、それと同時にご自分の人々にご自分がなさることを明らかに教えられる時であったのです。    その時の始まりをイエス様は祈りをもって、神様のために、そして人々のための祈りで始めておられます。 神様が御言葉を通して教えてくださった最大の戒め、神を愛し、隣人を愛すること、その戒めの実践の模範を示しておられるのです。    聖書は神の子であるイエス・キリスト、そしてそのお方の御霊である聖霊を通して私たちが「神の子どもとなる特権」を得たと語っています。 私たちが三位一体の神様であるイエス様そのものになるわけではありませんが、世界が始まる前からともにしていた三位一体の神様の交りの中に私たちを神の子どもとして加えてくださったのです。    イエス様がまさにこの神様の子供になった者たちの模範となります。 そして今日の祈りも同じです。 神様の子供はこのように祈るべきなのです。    私たちの祈りは現実のこと、目の前に迫ってきた苦難や、そのことへの希望などに簡単にその時間も、内容も奪われてしまいます。 忙しい日常の中で祈ることを後回しにし、ようやく確保できた祈りの時間さえも、現実の問題のために祈り、そのまま終わってしまうことが起こりうる弱さを持っている存在が、私たち人間なのです。    しかし、イエス様はご自分のその‘時’をお祈りで始められました。 そしてその内容は、目の前に迫ってきた十字架の苦痛を乗り越えるための祈りでも、神様への不平不満でもなく、神様のための祈り、そしてご自分の人々のための祈りでした。    神様の子どもであるイエス様のこのような姿を私たちが見習わなければならない理由は、私たちがまさにその方によって、神の子供になった者たちであるからです。 https://youtu.be/UB9rZKw7s1M?si=3UQtK5JqUwCm9JK_

요한복음 묵상 【하나님 자녀의 기도】 20250301(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한복음 17:1-8 17:1 예수께서 이 말씀을 하시고 눈을 들어 하늘을 우러러 이르시되 아버지여 때가 이르렀사오니 아들을 영화롭게 하사 아들로 아버지를 영화롭게 하게 하옵소서 17:2 아버지께서 아들에게 주신 모든 사람에게 영생을 주게 하시려고 만민을 다스리는 권세를 아들에게 주셨음이로소이다 17:3 영생은 곧 유일하신 참 하나님과 그가 보내신 자 예수 그리스도를 아는 것이니이다 17:4 아버지께서 내게 하라고 주신…

ヨハネの福音書 黙想 【凱旋】 20250228(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの福音書 16:25-33 16:25 わたしはこれらのことを、あなたがたにたとえで話しました。もはやたとえで話すのではなく、はっきりと父について伝える時が来ます。 16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めます。あなたがたに代わってわたしが父に願う、と言うのではありません。 16:27 父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。 16:28 わたしは父のもとから出て、世に来ましたが、再び世を去って、父のもとに行きます。」 16:29 弟子たちは言った。「本当に、今あなたははっきりとお話しくださり、何もたとえでは語られません。 16:30 あなたがすべてをご存じであり、だれかがあなたにお尋ねする必要もないことが、今、分かりました。ですから私たちは、あなたが神から来られたことを信じます。」 16:31 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは今、信じているのですか。 16:32 見なさい。その時が来ます。いや、すでに来ています。あなたがたはそれぞれ散らされて自分のところに帰り、わたしを一人残します。しかし、父がわたしとともにおられるので、わたしは一人ではありません。 16:33 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」  現代のように通信技術が発達されていなかった昔の時代、戦争の勝敗を知るためには必ず誰かがそのお知らせを伝えに来なければなりませんでした。 そのため、ある人たちは不安に怯えながら、ある人たちは期待を持ってそのお知らせを伝えに来る人を待っていたでしょう。    イエス様が来られる前の時代、すでに多くの人が罪と闘いながら、いずれ神様が勝利されることを待っていました。 そこにはすでに神様が勝利されたことを確信していた人たちもいます。 しかし、彼らが直接その勝利を見ることはできませんでした。 ただ、信仰でその勝利を確信していただけです。 彼らは勝利のお知らせを聞いたのではありません。 ただ圧倒的な戦力の差で、この戦いは勝つしかないと確信していたのです。  そして、今の私たちもなお、いつも私たちの目の前にある罪の問題と戦っています。 私たちはそのような霊肉の苦難の中で、何を希望として生きていけるのでしょうか。 それは、そのすべての問題をイエス様がすでに打ち勝ったということ、その勝利のお知らせです。  私たちはその勝利の知らせを聞くために遠くに行かなくても良いです。 これ以上比喩を通してその勝利を予測しなくてもいいです。 その勝利したイエス様が送ってくださったご自身の霊が、私たちにその勝利のお知らせを伝え、イエス様が勝利されただけでなく、私たちもなおその戦いで勝利したことを伝えてくださるからです。  今の私たちが信じるべきことは、徹底した分析により予測された勝利、比喩を通して予想される勝利ではなく、勝利されたそのお方が送ってくださった聖霊が、私たちに伝えてくださった確実な勝利のお知らせ、その「良い知らせ」なのです。 それがまさに「福音」です。  私たちはこの良いお知らせによって、やがてこの世の中に生きていきながらも、イエス様の中で平安を得て、勇気を持つことができるのです。 https://youtu.be/oA7pzzRheFc?si=62LvYPYJMmTZG6Rb

요한복음 묵상 【승전보】 20250228(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한복음 16:25-33 16:25 이것을 비유로 너희에게 일렀거니와 때가 이르면 다시는 비유로 너희에게 이르지 않고 아버지에 대한 것을 밝히 이르리라 16:26 그 날에 너희가 내 이름으로 구할 것이요 내가 너희를 위하여 아버지께 구하겠다 하는 말이 아니니 16:27 이는 너희가 나를 사랑하고 또 내가 하나님께로부터 온 줄 믿었으므로 아버지께서 친히 너희를 사랑하심이라 16:28 내가 아버지에게서 나와 세상에…

ヨハネによる福音書 黙想 【産みの苦しみ】 20250227(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 16:16~24 16:16 しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、またしばらくすると、わたしを見ます。」 16:17 そこで、弟子たちのうちのある者たちは互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る』、また『わたしは父のもとに行くからだ』と言われるのは、どういうことなのだろうか。」 16:18 こうして、彼らは「しばらくすると、と言われるのは何のことだろうか。何を話しておられるのか私たちには分からない」と言った。 16:19 イエスは、彼らが何かを尋ねたがっているのに気づいて、彼らに言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る』と、わたしが言ったことについて、互いに論じ合っているのですか。 16:20 まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。あなたがたは悲しみます。しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。 16:21 女は子を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、一人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません。 16:22 あなたがたも今は悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。 16:23 その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。 16:24 今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。   イエス様は、ご自身が十字架にかかる日が近づいていることを弟子たちに告げられました。しかし、弟子たちはその意味を理解することができませんでした。しかし、聖霊が下る時、彼らはイエス様の言葉を思い起こし、十字架の死が敗北ではなく、勝利であることを知るようになるでしょう。彼らにとって悪夢のようであった十字架が、実は神の偉大な愛の表れであったことを悟るのです。そのため、イエス様は今は理解できない十字架の秘密を前もって告げておられるのです。 福音を知る前は、十字架は呪いのように見えました。しかし、福音を知った後は、十字架は安堵であり、喜びであり、感謝となります。イエス様は「その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。16:22」と言われました。これこそが十字架の逆説です。十字架の苦しみの先には復活があり、終わりだと思われた絶望の先には、ついに救いの希望が訪れます。「いつも喜びなさい」という言葉は、単なる感情的な喜びを保つことではなく、福音の喜びを日々新たにしなさいという意味なのです。 イエス様は、十字架の苦しみを女性の出産になぞらえて説明されました。「女は子を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、一人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません。16:21」 出産の時が近づくと、女性は不安と激しい痛みを経験します。しかし、新しい命を宿した赤ちゃんが生まれる瞬間、その恐れは安堵と喜びへと変わり、その痛みはもはや記憶されなくなるのです。 パウロもまた、この出産の比喩を用いて語っています。彼はガラテヤ書の中で、聖徒と教会を建て上げる働きを「私の子どもたち。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。ガラテヤ4:19」出産の恐れと痛みを乗り越えなければ、新しい命は誕生しません。十字架の道の先には復活があり、出産の苦しみの先には新しい命が待っているのです。

요한복음 묵상 【해산의 고통】 20250227(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 16:16~24 16:16 조금 있으면 너희가 나를 보지 못하겠고 또 조금 있으면 나를 보리라 하신대 16:17 제자 중에서 서로 말하되 우리에게 말씀하신바 조금 있으면 나를 보지 못하겠고 또 조금 있으면 나를 보리라 하시며 또 내가 아버지께로 감이라 하신 것이 무슨 말씀이뇨 하고 16:18 또 말하되 조금 있으면이라한 말씀이 무슨 말씀이뇨 무엇을 말씀하시는지 알지 못하노라 하거늘…

ヨハネによる福音書 黙想 【わがうちにおられる方】 20250226(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 16:1~15 16:1 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。 16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。実際、あなたがたを殺す者がみな、自分は神に奉仕していると思う時が来ます。 16:3 彼らがそういうことを行うのは、父もわたしも知らないからです。 16:4 これらのことをあなたがたに話したのは、その時が来たとき、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。わたしは初めからこれらのことを話すことはしませんでした。それはあなたがたとともにいたからです。 16:5 しかし今、わたしは、わたしを遣わされた方のもとに行こうとしています。けれども、あなたがたのうちだれも、『どこに行くのですか』と尋ねません。 16:6 むしろ、わたしがこれらのことを話したため、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。 16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。 16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。 16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。 16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。 16:11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。 16:12 あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません。 16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。 16:14 御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。 16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに伝えると言ったのです。   イエス様はご自身の死が間近に迫っていることを知りながら、弟子たちも危機に直面し、苦難を受けることになると言われました。迫害し、殺す者たちは、それが神様を信じる行いだと思うでしょうと語られました。神様に対する理解が不足した宗教的信念は、いくらでも悪行の動機になり得ます。欺くものが多い世の中です。何をするにしても、まず知ることが大切です。しかし、そのような宗教的信念は、イエス・キリストを信じる信仰ではありません。彼らは信念と情熱を持っていますが、実際には神様とイエス様について何も知らないからです。 弟子たちは、イエス様が不在になるということを聞いて不安になりました。しかし、イエス様はそれがむしろ益となると言われました。そばにおられるイエス様が去られることで、イエス様の霊が彼らの内に来られるからです。イエス様は聖霊を送ることを約束されました。弟子たちはイエス様がそばにおられても、なお理解も信仰も足りないように見えましたが、聖霊が来られた後には、初代教会の責任を担う主体者となりました。聖霊は目には見えませんが、聖霊が臨まれた人の人生は変わります。 イエス様は、弟子たちに語るべきことがまだたくさんありましたが、それをすべてお話しにはなりませんでした。なぜなら、今は聞いても理解できないからです。どのように説明しても、十字架の道を理解することはできなかったでしょう。しかし、弟子たちは後になって十字架の意味を悟るようになります。その間に働かれる方こそ、私たちの内に来られる聖霊様です。聖霊なくしては、今も聖霊でなければ、説明と説得では救いの十字架を理解することはできません。十字架の前に立ったときの心、それこそが隠しようのない聖霊の証しです。信仰によって多くの活動ができますが、立ち止まって、自分の内に聖霊が照らしてくださる十字架の意味をもう一度刻みたいと思います。

요한복음 묵상 【내 안에 계신 분】 20250226(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 16:1~15 16:1 내가 이것을 너희에게 이름은 너희로 실족지 않게 하려 함이니 16:2 사람들이 너희를 출회할 뿐아니라 때가 이르면 무릇 너희를 죽이는 자가 생각하기를 이것이 하나님을 섬기는 예라 하리라 16:3 저희가 이런 일을 할 것은 아버지와 나를 알지 못함이라 16:4 오직 너희에게 이 말을 이른 것은 너희로 그 때를 당하면 내가 너희에게 이 말 한…