ゼカリヤ 黙想 【王になった神様】 20251030(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ゼカリヤ 14:9~15 14:9 主は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる。 14:10 全土はゲバからエルサレムの南のリンモンまで、アラバのようになる。しかしエルサレムは高くそびえ、ベニヤミンの門から第一の門のところを経て隅の門まで、またハナンエルのやぐらから王家のぶどうの踏み場まで、元の場所にそのまま残る。 14:11 そこには人々が住み、もはや聖絶の物はなく、エルサレムは安らかに住む。 14:12 これは、主がエルサレムを攻めるどの民にも加えられる疫病である。彼らの肉は、まだ足で立っているうちに腐る。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。 14:13 その日、主からの大いなる混乱が、彼らの間に起こる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いに殴りかかる。 14:14 ユダもエルサレムで戦う。周りのすべての国々の財宝は、金、銀、衣服など非常に多く集められる。 14:15 馬、らば、らくだ、ろば、彼らの宿営にいるすべての家畜にも、同じような疫病が臨む。   主の日は、イスラエルという国家の回復ではない。その日は、世界のすべての国々が消え去り、ただ神だけが王として統治される日である。人間が築いた権力や体制、欲望と不義の構造は崩れ去り、神は、人間に委ねられた支配がゆがめられ、見捨てられたところを正し、ご自身の正義と秩序のために直接統治される。私たちは思い起こすべきだ。神がこの世界に委ね、求められたものは何であったのか。それは、正義と慈しみ、そしていのちの秩序であった。 その日は、すべての高慢が解体される日でもある。高慢は臆病さと似ており、虚勢が消えれば何も残らない。「エルサレムを攻めた民の肉は、そのままで腐り、目は眼窩の中で朽ち、舌は口の中で腐る。」(14:12)悪はその日に自ら崩れ去るだろう。その災いは、悪人の肉体だけでなく、悪によって築かれた腐敗の構造そのものをも解体する。 しかし、神を求める者にとってそれは災いではなく慰めであり、滅びではなく回復である。崩れゆく世界のただ中で、神は新しい創造を起こされる。その光は、人間が作り出す繁栄の灯ではなく、神のうちで、すべての被造物が本来の場所を見いだす平和の光である。ゼカリヤが見た終末は、終わりではなく始まりであった。現実を破壊として見る者には恐れがあり、神の新しい創造として見る者には希望がある。

스가랴 묵상 【왕이 되신 하나님】 20251030(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스가랴 14:9~15 14:9 여호와께서 천하의 왕이 되시리니 그날에는 여호와께서 홀로 하나이실 것이요 그 이름이 홀로 하나이실 것이며 14:10 온 땅이 아라바 같이 되되 게바에서 예루살렘 남편 림몬까지 미칠 것이며 예루살렘이 높이 들려 그 본처에 있으리니 베냐민 문에서부터 첫문 자리와 성 모퉁이 문까지 또 하나넬 망대에서부터 왕의 포도주 짜는 곳까지라 14:11 사람이 그 가운데 거하며 다시는…

ゼカリヤ 黙想 【主の日】 20251029(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

ゼカリヤ 14:1~8 14:1 見よ、主の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。 14:2 「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」 14:3 主が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。 14:4 その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。 14:5 「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたはわたしの山々の谷に逃げる。ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げる。」私の神、主が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。 14:6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。 14:7 これはただ一つの日であり、その日は主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に光がある。 14:8 その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。   「主の日が来る。」(14:1)エルサレムの都は攻められ、民の半分は捕らえ移される。それはまるで、かつてのバビロン侵攻の出来事をもう一度語るようであり、またローマによる滅亡を予告する言葉としても読むことができる。しかし、ゼカリヤの雄弁は単なる歴史の再現ではない。彼が語るのは終末的な「最後の日」、すなわち神がこの世界の秩序を新しくされる「主の日」である。ゼカリヤが見たエルサレムの崩壊は、帝国の歴史ではなく、神の新しい創造が始まるために、人間に与えられた秩序が壊される「創造的破壊」であった。人の秩序が崩れ、神の支配が始まる転換の瞬間なのである。 「その日には光がなく……夕べにも光があるだろう。」(14:6–7)昼と夜、成功と失敗という秩序は、人間にとってあまりにも当たり前のものだ。しかしその当たり前の秩序が退き、新しい時間が到来する。死すべき人間が心の底から願う究極の祝福、それがこの「新しい時」である。どんな論理も、どんな秩序も、神を教えることはできない。人間にとって厳格な時間でさえ、神を先取りしたり支配したりすることはできない。すべてが終わったかのような暗闇の中にあっても、その闇の只中で、神は新しい光を備えられる。光は闇の中でこそ、その価値をより深く放つ。だからゼカリヤは言うのだ。「夕べにも光があるだろう。」私には「ない」ように見えても、神には「ある」。それが信仰の言葉である。 そして「その日、エルサレムから生ける水が湧き出で、その半分は東の海に、半分は西の海に流れる。」(14:8)十三章に出てきた「清めの泉」から、今や生ける水が全世界へと流れ出す。その泉はとどまることなく、絶えず湧き出る。闇の中にも光があり、廃墟の中にも水が湧く。「主の日」は破壊と滅亡の日ではなく、慰めと希望の日である。その生ける水は、罪と後悔に苦しむ人間の心に流れ込み、それを潤し、洗い清め、再び流れ出ていく。たとえ人生の「青い夕暮れ」を迎えるような虚しさの中にあっても、「主の日」には光が差し込む。

스가랴 묵상 【여호와의 날】 20251029(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스가랴 14:1~8 14:1 여호와의 날이 이르리라 그 날에 네 재물이 약탈되어 너의 중에서 나누이리라 14:2 내가 열국을 모아 예루살렘과 싸우게 하리니 성읍이 함락되며 가옥이 약탈되며 부녀가 욕을 보며 성읍 백성이 절반이나 사로잡혀가려니와 남은 백성은 성읍에서 끊쳐지지 아니하리라 14:3 그 때에 여호와께서 나가사 그 열국을 치시되 이왕 전쟁 날에 싸운 것 같이 하시리라 14:4 그 날에…

ゼカリヤ 黙想 【罪と汚れをきよめる泉】 20251028(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ゼカリヤ 13:1~9 13:1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。 13:2 その日──万軍の主のことば──わたしはもろもろの偶像の名を、この地から絶ち滅ぼす。それらの名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。 13:3 なお預言する者があれば、その人を生んだ父と母が彼に向かって言う。『あなたは生きていてはならない。主の名を使って噓を告げたから。』彼が預言しているときに、彼を生んだ父と母が彼を突き刺す。 13:4 その日、預言者たちはみな、自分が預言する幻を恥じる。彼らはもはや人を欺くための毛衣を着なくなる。 13:5 また彼は、『私は預言者ではない。私は土地を耕す者だ。若いときに人が私を買い取った』と言う。 13:6 だれかが『あなたの両腕の間にある、この打ち傷は何か』と聞くなら、彼は『私の愛人たちの家で打たれたものだ』と言う。 13:7 剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ──万軍の主のことば──。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。 13:8 全地はこうなる──主のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。 13:9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う。」   神はダビデの家とエルサレムの人々のために、「罪と汚れから清める泉」を開かれると語られた。ここで言う「泉」はヘブライ語でマコール(מָקוֹר)である。それは人工的に水を貯めた貯水池ではなく、自然に湧き出る水の源泉を意味する。貯水池の水はたまるが、泉の水は流れる。 貯水池の水は時が経つと枯れたり腐ったりするが、泉は湧き出て流れ続けるので、常に新しい。 詩篇36篇9節に「あなたはいのちの源であり」とあるが、ここでの「源」がマコールである。またエレミヤ書2章13節で、「彼らは生ける水の源であるわたしを捨て、水のない貯水池を掘った」と言われるときの「生ける水の源」もマコールである。その泉で洗われるなら、清められることができる。自分で洗うのではなく、泉そのものによって自分が洗われるのだ。神はそれを約束された。 熱心な人々の中には、信仰を「保存」しようとする者がいる。信仰を守り、閉じ込めようとする。そのために、聞こうともせず、見ようともせず、試みたり挑戦したりもしない。昔のやり方のまま、貯水池にもう一杯の水を注ぎ込み、再び閉じ込めようとする。しかし、信仰を保存していると思った瞬間、すでに変質が始まっているのかもしれない。自分の罪をその泉に洗い流し、とどまらず、流れ出ていくとき、信仰は動き続けるいのちとなる。神の泉は今も湧き出ている。その流れの中でこそ、私たちは清められ、生きている。

스가랴 묵상 【죄와 더러움을 씻는 샘】 20251028(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스가랴 13:1~9 13:1 그 날에 죄와 더러움을 씻는 샘이 다윗의 족속과 예루살렘 거민을 위하여 열리리라 13:2 만군의 여호와가 말하노라 그 날에 내가 우상의 이름을 이 땅에서 끊어서 기억도 되지 못하게 할것이며 거짓 선지자와 더러운 사귀를 이땅에서 떠나게 할 것이라 13:3 사람이 오히려 예언할 것 같으면 그 낳은 부모가 그에게 이르기를 네가 여호와의 이름을 빙자하여 거짓말을…

스가랴 묵상 【자기효능감 향상】 20251027(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스가랴 12:1~14 12:1 이스라엘에 관한 여호와의 말씀의 경고라 여호와 곧 하늘을 펴시며 땅의 터를 세우시며 사람 안에 심령을 지으신 자가 가라사대 12:2 보라 내가 예루살렘으로 그 사면 국민에게 혼취케 하는 잔이 되게 할것이라 예루살렘이 에워싸일 때에 유다에까지 미치리라 12:3 그날에는 내가 예루살렘으로 모든 국민에게 무거운 돌이 되게 하리니 무릇 그것을 드는 자는 크게 상할 것이라…

ゼカリヤ 黙想 【自己効力感の向上】 20251027(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ゼカリヤ 12:1~14 12:1 宣告。イスラエルについての主のことば。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方、主の告げられたことば。 12:2 「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。 12:3 その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。 12:4 その日──主のことば──わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を見開き、もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。 12:5 ユダの首長たちは心の中で言う。『エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の主によって私の力となる。』 12:6 その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす。しかしエルサレムはなお、元の場所エルサレムに残る。 12:7 主は最初にユダの天幕を救う。ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えが、ユダ以上に大きくならないようにするためである。 12:8 その日、主はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。 12:9 その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。 12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。 12:11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。 12:12 この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。 12:13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。 12:14 残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。   帰還そのものが、すでに神の回復の始まりであった。ユダの民は捕囚の地から帰り、崩れた神殿は再び建てられていた。捕囚時代を思えば、それは驚くべき機会であり祝福であった。しかし、現実の回復がすぐに心の回復を意味するわけではなかった。民は自信を失ったまま生きていた。帰ってきたとはいえ、独立を得たわけではない。依然として支配を受け、みずからを小さく、取るに足らない存在のように感じていた。回復のために与えられた課題を果たすには、経験も意志も、そして力量も足りなかった。回復は始まっていたが、「本当に私たちにそれを成し遂げることができるのだろうか」という不安が心を支配していた。 そのような彼らに、神はこう語られた。「わたしは天を張り、地の基を定め、人のうちに霊を造った者である」(12:1)。これは神についての新しい情報を教えているのではなく、「あなたがたの内に、天と地と人の心を造ったわたしの力がすでに宿っている」と告げているのである。ゼカリヤの時代は喪失と絶望の時代ではなかった。問題は外にあるのではなく、内側にあった。自己効力感が低下していたのだ。民は神の約束を知ってはいたが、自分たちにはそれを実行する力がないと思い込んでいた。心が萎えると、信じることと知っていることが分離してしまう。それは不信仰の問題ではなく、自己認識の縮小――すなわち自分を小さく見ることが最大の問題であった。 だからこそ、神はエルサレムを「重い石」とすると言われた。重みをもって耐えられるのは、神が下から支えておられるからだ。世界がそれを持ち上げようとしても持ち上げられず、かえって傷を負うことになる。これは神が民の低い自尊心を慰め、実際に力となってくださるという意味である。神はこの世の力の秩序の中で、彼らを軽く弱い存在のまま放置されはしない。「その日、弱い者もダビデのようになる」と主は言われた。その神の慰めと配慮は涙ぐましいほどである。神は自信を失った民に、ダビデという誇りを呼び覚まし、そのアイデンティティを回復させる。弱い者がダビデのようになるというのは、ダビデの力を真似ることではなく、ダビデのうちにおられた神を信頼せよという招きなのである。 神は彼らの力量を補うのではなく、視線を変えさせられる。「自分自身を見るな。あなたがたの内で働くわたしを見よ。」――これがゼカリヤ12章の福音である。神の回復は新しい約束ではなく、すでに始まっている約束の再確認である。追い詰められるとすぐに沈み、落ち込む弱い人間のための慰めである。神は萎縮した民に向かって、「あなたがたの内に、すでにわたしが始めた業がある」と語られる。神の約束を信頼する信仰は、揺れ動く卑しい感情さえもつなぎとめることができる。自己効力感がなく、世の中が怖いときは、神の約束の効力感によってその危機を乗り越えよう。真の信仰は偽りの感情に勝つことができる。

스가랴 묵상 【자기효능감 향상】 20251027(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스가랴 12:1~14 12:1 이스라엘에 관한 여호와의 말씀의 경고라 여호와 곧 하늘을 펴시며 땅의 터를 세우시며 사람 안에 심령을 지으신 자가 가라사대 12:2 보라 내가 예루살렘으로 그 사면 국민에게 혼취케 하는 잔이 되게 할것이라 예루살렘이 에워싸일 때에 유다에까지 미치리라 12:3 그날에는 내가 예루살렘으로 모든 국민에게 무거운 돌이 되게 하리니 무릇 그것을 드는 자는 크게 상할 것이라…

ゼカリヤ 黙想 【裁きの領域】 20251023(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ゼカリヤ 9:1~8 9:1 宣告。主のことばはハデラクの地にあり、ダマスコは、それがとどまる場所。主に向けられるのは、人々の、そしてイスラエルの全部族の目。 9:2 これに境を接するハマテや、非常に知恵のあるツロやシドンの目も。 9:3 ツロは自分のために砦を築き、銀をちりのように、黄金を道端の泥のように積み上げた。 9:4 見よ。主はツロを占領し、その富を海に打ち捨てる。ツロは火で焼き尽くされる。 9:5 アシュケロンは見て恐れ、ガザも大いにもだえる。エクロンもだ。自分たちが頼みにしていたものが辱められたからだ。ガザから王が消え失せ、アシュケロンには人が住まなくなる。 9:6 アシュドデには混血の民が住むようになる。わたしはペリシテ人の誇りを断ち切り、 9:7 その口から流血の咎を、その歯の間から忌まわしいものを取り除く。彼も、私たちの神のために残され、ユダの中の一首長のようになる。エクロンもエブス人のようになる。 9:8 わたしは、わたしの家のために、行き来する者の見張りとして衛所に立つ。もはや、虐げる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。   神の言葉の警告がユダの周辺諸国に及ぶ。神はツロとシドンの富と知恵、ペリシテの高慢を裁かれ、その世俗的な権勢を打ち倒される。しかし、その裁きの中にも残りの者を保たれ、彼らを神ご自身のもとに立ち返らせ、暴虐の道を閉ざしてご自分の民を守られる。ここには、神の主権的な裁きと保護、そして回復の恵みが同時に働いている。 ここで語られるユダの周辺諸国とは、単なる地理的な境界ではない。神なき自律と自己救済の意志を象徴する世俗的な体系として読むべきである。神を排除し、人間中心の秩序に従う社会——信仰が押し出され、世の論理が支配する世界である。成果と所有を絶対化する資本の秩序、快楽と自己確信で飾られた自我の崇拝、そして市場と自我が神の座を奪う機能的無神論(神の存在を積極的に否定はしないが、実用的理由で信じようとしない態度)である。利益が信仰となり、自己実現が救いの物語にすり替えられた世界——それが今日のツロとシドンである。 神はまさにその領域に介入される。神の統治は、教会や宗教という制度的な囲いの中に限定されない。神は世のただ中に御言葉を送り、人間が絶対化してしまった偽りの秩序を揺り動かされる。神の裁きは報復ではなく、破壊のための破壊でもない。それは偶像を解体し、神ご自身を啓示する出来事である。神が世界の構造を揺るがされるのは、その中に隠された虚像を打ち砕き、その場所に神の実在的主権を現すためである。