ヨハネの手紙第一 黙想【真理を知っている者たちへ】20260103(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの手紙第一 2:12-27 2:12 子どもたち。私があなたがたに書いているのは、イエスの名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。 2:13 父たち。私があなたがたに書いているのは、初めからおられる方を、あなたがたが知るようになったからです。若者たち。私があなたがたに書いているのは、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。 2:14 幼子たち。私があなたがたに書いてきたのは、あなたがたが御父を知るようになったからです。父たち。私があなたがたに書いてきたのは、初めからおられる方を、あなたがたが知るようになったからです。若者たち。私があなたがたに書いてきたのは、あなたがたが強い者であり、あなたがたのうちに神のことばがとどまり、悪い者に打ち勝ったからです。 2:15 あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。 2:16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。 2:17 世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。 2:18 幼子たち、今は終わりの時です。反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であると分かります。 2:19 彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし仲間であったなら、私たちのもとに、とどまっていたでしょう。しかし、出て行ったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためだったのです。 2:20 あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、みな真理を知っています。 2:21 私がこのように書いてきたのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからです。また、偽りはすべて、真理から出ていないからです。 2:22 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否定する者、それが反キリストです。 2:23 だれでも御子を否定する者は御父を持たず、御子を告白する者は御父も持っているのです。 2:24 あなたがたは、初めから聞いていることを自分のうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いていることがとどまっているなら、あなたがたも御子と御父のうちにとどまります。 2:25 これこそ、御子が私たちに約束してくださったもの、永遠のいのちです。 2:26 私はあなたがたを惑わす者たちについて、以上のことを書いてきました。 2:27 しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。      使徒ヨハネの手紙が書かれた時代は、他の福音書や使徒たちの手紙よりも後の時期であったと考えられています。これはすでに、イエス・キリストの「福音」が多くの人々に伝えられていたという事実と、その福音を利用しようとする者、あるいは歪めようとする者、すなわち反キリストたちが現れ始めた時代であったことを意味しています。    そのような背景をもつこの手紙の中で、使徒ヨハネは、この手紙を書いた目的を明確に語っています。それは、この手紙を受け取る人々が「真理を知らないから」ではなく、「すでに真理を知っているから」でした。では、すでにその真理を知っている者たちに、なぜあらためて手紙を書く必要があったのでしょうか。その理由こそ、この時代に現れた反キリストたちの存在にありました。    反キリストたちは、もともとは教会共同体の中にいた者たちでした。しかし彼らは、その共同体から出て行った者たちです。彼らが具体的にどのような教えによって人々を惑わしたのか、その詳細は記されていません。しかし、イエスがキリストであることを否定し、御父と御子との関係を否定していたことは、この手紙の内容から明らかです。    人々は、このような反キリストたちによって、おそらく自分たちが最初に聞いた福音――すなわち、神様の御子であるイエス・キリストが成し遂げられた御業そのものから、次第に目をそらしていったのでしょう。しかし使徒ヨハネは、彼らに対して、最初に聞いたその福音、その原点に立ち返るようにと勧めています。そしてその福音は、人が自らの力で理解したものではなく、彼らの内に与えられた注ぎの油、すなわち聖霊様が悟らせてくださったものであることを教えています。    人が教える福音には、不完全さも、限界も、誤りもあります。しかし、福音の当事者であられる御父と御子、そしてその御霊の教えには、限界も不足も誤りもありません。その教えは本質的に完全です。にもかかわらず、人はしばしば本質ではないものに心を奪われてしまいます。そこには真理はありません。    それゆえ、本質ではないものを追い求める者は、真の自由を得ることができません。常に何かに縛られたまま生きることになります。しかし、福音の本質、その真理に従って生きる者には自由があります。イエス様ご自身が、その真理が私たちを自由にすると語られたからです。    私たちは、真理を知っている者として、自由を持って生きているでしょうか。もし、そうでないとするなら、今、私たちは何に縛られて生きているのでしょうか。反キリストは、遠くにいる存在ではありません。私たちのすぐそばにいる存在、あるいは私たち自身の内側にいるかも知れません。福音の本質から離れ、本質ではないものにこだわり、それを追い求めるその姿が、反キリスト的な姿なのです。私たちはその姿から、真理によって、再び自由に戻らなければならないでしょう。 https://youtu.be/2KqgSaLNAcE?si=jD-ekD2IU5085lsj

요한일서 묵상【진리를 아는 자들에게】20260103(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한일서 2:12-27 2:12 자녀들아 내가 너희에게 쓰는 것은 너희 죄가 그의 이름으로 말미암아 사함을 받았음이요 2:13 아비들아 내가 너희에게 쓰는 것은 너희가 태초부터 계신 이를 알았음이요 청년들아 내가 너희에게 쓰는 것은 너희가 악한 자를 이기었음이라 2:14 아이들아 내가 너희에게 쓴 것은 너희가 아버지를 알았음이요 아비들아 내가 너희에게 쓴 것은 너희가 태초부터 계신 이를 알았음이요 청년들아…