マタイの福音書 黙想【主を迎えるために】20260116(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

マタイの福音書 3:1-10 3:1 そのころバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べ伝えて、 3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言った。 3:3 この人は、預言者イザヤによって「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われた人である。 3:4 このヨハネはらくだの毛の衣をまとい、腰には革の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。 3:5 そのころ、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から、人々がヨハネのもとにやって来て、 3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。 3:7 ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。 3:8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。 3:9 あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。 3:10 斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。  私たちが「キリスト者」になるということは、「イエス様を心の中に迎えること」から始まると言ってもよいほど、主を心の内にお迎えすることは、私たちの信仰の土台であり、基礎であります。そのため、私たちが伝道する時にささげる祈り、いわゆる「迎接の祈り」には、必ずイエス様を私たちの内にお迎えする祈りが含まれます。  この迎接の祈りも御言葉に基づいた祈りであるので、当たり前のことではありますが、今日の御言葉においても、また迎接の祈りにおいても、イエス様をお迎えするために必ず求められることがあります。それが、罪の告白と悔い改めです。  バプテスマのヨハネは、人々の前に立ち、「主の道を用意せよ」という預言の御言葉をそのまま引用し、イエス様が来られる道を備えるようにと宣告しました。そして、その備えとして彼が求めたのは、他の何かではありませんでした。ただ一つ、「悔い改め」ることでした。  私たちが主を心にお迎えするための道は、他にありません。悔い改めにあります。私たちは、この悔い改めを通して、主を私たちの内にお迎えするのです。この順序は、決して変わることはありません。悔い改めのない信仰はなく、悔い改めのない聖化もなく、悔い改めのない救いもありません。  この事実は、教会の内においても、また教会の外においても、きわめて重要な真理です。教会に行っているから、信仰があるからといって、悔い改めから自由になることでは決してありません。キリスト者は、日々の生活の中で絶えず罪と向き合い、ときには罪を犯してしまう存在であることを、互いに認め合わなければなりません。そして、その罪を悔い改め、悔い改めにふさわしい実を結んでいくことが求められています。私たちが罪に対する時は、罪そのものへの𠮟責が先立ってはいけません。𠮟責されるべきことは、罪に対する悔い改めがない姿です。  また教会の外にいる人々に対しても、彼らの罪をただ責めながら、「信仰がないから」と言って、まるで私たちとはまったく違う存在であるように切り離してはいけません。むしろ、彼らの内にも主をお迎えするための悔い改めが起こり、悔い改めにふさわしい実が結ばれるようにと祈り、その悔い改めの場へ招くべきでしょう。  主をすでに迎え入れた者だけが教会に集まるのではありません。神様が用いておられる教会を通して、人々が主をお迎えする悔い改めへと導かれ、実を結ぶのです。教会は、罪人と切り離された場所ではなく、絶えず罪人たちが訪れてくる場所にならなければなりません。それゆえ、教会の中にはさまざまな争いや、罪の問題が絶えず起こるでしょう。しかし、その中でイエス様に倣った愛と忍耐をもって、人々を主をお迎えする悔い改めの場へ導き続けていくこと、それこそが、この地にある教会に与えられた使命でしょう。 https://youtu.be/1QMlz4GKeUs?si=fkuVq1g99FYBLyH9

마태복음 묵상【주님을 맞이하는 일】20260116(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

마태복음 3:1-10 3:1 그 때에 세례 요한이 이르러 유대 광야에서 전파하여 말하되 3:2 회개하라 천국이 가까이 왔느니라 하였으니 3:3 그는 선지자 이사야를 통하여 말씀하신 자라 일렀으되 광야에 외치는 자의 소리가 있어 이르되 너희는 주의 길을 준비하라 그가 오실 길을 곧게 하라 하였느니라 3:4 이 요한은 낙타털 옷을 입고 허리에 가죽 띠를 띠고 음식은 메뚜기와 석청이었더라…

マタイによる福音書 黙想 【幼子イエスの苦難の道】 20260115(木」) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マタイによる福音書 2:13~23 2:13 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」 2:14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、 2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。 2:16 ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。 2:17 そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。 2:18 「ラマで声が聞こえる。むせび泣きと嘆きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。子らがもういないからだ。」 2:19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。 2:20 「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」 2:21 そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。 2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。 2:23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。     「王が生まれた」という知らせは、ヘロデ王にとって喜ばしいものではなかった。いや、それは彼にとって不安そのものだったと言うべきだろう。ヘロデはユダヤの王であったが、ユダヤ人ではなかった。実際には、彼は“給料をもらう王”のような存在だった。彼の王位は、ローマに取り入り、帝国の承認によって与えられたものだったからである。それは、いつ失ってもおかしくない、不安定な地位だった。だからこそヘロデは、自分の立場を証明し、確保するために、最も弱い命を切り捨てた。異邦人である東方の博士たちが去り、王の誕生が特定できなくなると、ヘロデはすべての幼子を殺すという暴挙に出た。ヘロデの暴力は、力の誇示ではなく、不安から生まれた防衛反応である。正当性を持たない権力は、強いから暴力的になるのではない。不安だからこそ暴力的になるのだ。弱く、卑怯な人間ほど、より残酷になりやすい。 イエスは、生まれたその時から、殺される危険の中に置かれていた。宮殿ではなく家畜小屋で生まれ、虐殺の血の嵐を逃れて、エジプトへと逃れた難民となった。受肉とは、神が単に肉体という物質に変わった出来事ではない。それは、弱く貧しい人々の流す血と涙、胸が締めつけられるような痛みや焦燥までも、その身体の中に余すところなく引き受けられた出来事である。神は御子イエスを人として遣わされたが、この世の暴力を取り除かれなかった。むしろ、その暴力のただ中で生きる道を選ばれた。ついには、その暴力によって殺されることさえ許されたではないか。救いは、その場所から始まらなければならないからである。ヨセフとマリア、そして幼子イエスのエジプトへの避難とナザレへの帰還は、かつて救いの旅路であった出エジプトの記憶を呼び覚ます。 ヘロデが死んだ後、イエスの家族はイスラエルの地へ戻る。しかし、彼らはエルサレムには向かわなかった。一貫して、中心を避け続けたのである。イエスが幼少期を過ごしたのは、ガリラヤのナザレ。当時の人々から軽んじられ、嘲られていた田舎町だった。神の国は、中心で承認されて始まる王国ではない。権力や制度や資本が、神の国を築くことはできないからである。人は中央や高い場所に関心を向けるが、神の働きは、辺境の低い場所で、静かに、しかし確かに、神の国の土台を形づくっていく。人生が、休む場所のないベツレヘムのように疲れ果て、エジプトへ追いやられた難民のように不安で、ナザレのようにみすぼらしく感じられる時があっても大丈夫だ。神は、その場所でこそ、さらに多くのことをなさっておられるのだから。

마태복음 묵상 【아기 예수의 고생길】 20260115(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마태복음 2:13~23 2:13 저희가 떠난 후에 주의 사자가 요셉에게 현몽하여 가로되 헤롯이 아기를 찾아 죽이려하니 일어나 아기와 그의 모친을 데리고 애굽으로 피하여 내가 네게 이르기까지 거기 있으라 하시니 2:14 요셉이 일어나서 밤에 아기와 그의 모친을 데리고 애굽으로 떠나가 2:15 헤롯이 죽기까지 거기 있었으니 이는 주께서 선지자로 말씀하신바 애굽에서 내 아들을 불렀다 함을 이루려 하심이니라 2:16…