マタイによる福音書 黙想 【献身の正体】 20260119(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
マタイによる福音書 4:12~25 4:12 イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。 4:13 そしてナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれた。 4:14 これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。 4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦人のガリラヤ。 4:16 闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」 4:17 この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。 4:18 イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。 4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」 4:20 彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。 4:21 イエスはそこから進んで行き、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのを見ると、二人をお呼びになった。 4:22 彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。 4:23 イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。 4:24 イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒やされた。 4:25 こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。 弟子たちがイエスの召しに即座に反応し、従っていく姿は、どこか腑に落ちない。まるで何かに取りつかれたかのように、ためらうことなく網と舟を捨て、さらには親さえも後にしてイエスに従っていく。マタイは彼らの内面心理をまったく説明しない。マタイはなぜこの場面をこのように描いたのだろうか。おそらく弟子たちの決断や献身に焦点を当てたくなかったのではないか。むしろ、イエスの召しがもつ主導権と権威を強調するための、マタイが意図した神学的な“錯覚”だったのかもしれない。核心は弟子たちの献身ではなく、イエスの召しである。 釘は磁石のそばに来ると素早く引き寄せられてくっつく。釘が自分から能動的に動いているように見えても、実際には目に見えない磁力がそれを引き寄せているのだ。弟子たちが大きな献身を自分の意志で選んだかのように見えたとしても、この本文が示す本当の原動力は彼らの決意ではなく、イエスの召しである。「イエスが言われた」「イエスが呼ばれた」――その後に弟子たちが即座に従っていく。召しが臨むと、人間の計算は一瞬で無力になる。彼らは勇壮な英雄ではない。ただ召しに捕らえられ、召命に従って動かされた人々に過ぎない。 私たちはこれを献身と呼ぶ。しかし私が知っている日本と韓国の教会の中で「献身」という言葉は、神学校に行く決断を意味することもある。もちろんそれは意味があり、尊い選択だ。だがそれが必ずしも、聖書が語る「捨てて従うこと」と同じだとは限らない。神学校に行くことは、召しがなくても自分の意志だけで決めることができる。世俗化した宗教の中では、その「献身」という名のもとに、捨てて従うのではなく、むしろより多くのものを手に入れようとする自己欺瞞が起こることもある。より多くの承認、より良い立場、より大きな影響力、より高い霊的優越感、さらにはより多くのお金――自分の人生により多くの意味を得るために、「献身」という言葉が使われることさえある。 だからいつからか、「献身」という言葉が居心地悪くなった。最初は、それを言うことが信仰の証明だと思い、私も同じように口にしていた。しかし、その言葉の中で神がだんだん小さくなり、人間がだんだん大きくなっていくのを見た。「私はこれだけしました」「私はあれだけ捨てました」。だが弟子道は自己PRではなく、自己否定である。キリスト者の人生は「私が何を捧げたか」を誇る構造ではなく、「イエスが私をどのように召されたか」を告白する構造だ。私たちは主人を感動させる者ではない。主人の召しにくっついて歩む者である。誰が誰を感動させ、動かすというのか。無益な僕が、主人の声を聞いて動くだけだ。それがすべてである。 「献身」という言葉は、聖書のある一つの単語をそのまま翻訳したものではない。聖書が語るギリシア語のいくつかの動詞、すなわち「従う」「捨てる」「仕える」「自分を否む」「捧げる」「従順する」などを、漢字文化圏の教会が表現の便宜上ひとまとめにして作った言葉である。漢字で見ると「身を捧げる」という意味だが、それが人間を主語にしてしまう。「私が献身した」「献身を記念する」「献身が足りない」――このように語った瞬間、福音の文法はひっくり返ってしまう。本来は神が召し、人が応答することが福音の秩序であるはずなのに、いつの間にか人間の決断が前に出て、神の召しが後ろに押しやられてしまう。 人間的には、すべてを認めたいし、その信仰の決意に拍手を送りたい気持ちもある。しかしイエスに従うということは、弟子たちが自分の力で作り出した選択ではない。イエスの召しが一人の人間の中心を変えてしまうときに現れる結果なのだ。イエスに捕らえられた人は、人生が再配置される。その再配置は、ある人にとっては網と舟を捨てる形で現れ、またある人にとっては痛みを伴いながらも親に申し訳なく思う形で現れることもある。召しへの応答を自己憐憫に絡めてはならない。それは本当に犠牲であり損だったのだろうか。真に自分を捧げた献身者なら、そうは思わないはずだ。 朝鮮時代の王は、死んだ後に王の名が与えられた。つまり世宗大王は、自分が「世宗」という名で呼ばれるとは知らないまま死んだ。その名は墓において初めて用いられる廟号(びょうごう)である。燕山君と光海君も王であったが、彼らには王の名が与えられなかった。献身かどうかは神学校に入ったかどうかではなく、その人の人生が終わったとき、次の世代の評価に委ねるべきである。そのとき人々が墓碑に「献身者」と刻んでくれるなら、彼は献身者であったと言えるだろう。そう考えると、「献身者」という名を得ることは、それほど重要なことだろうか。各自が自分に与えられた召しの中で、その召しに恥じないように生きればよいのではないだろうか。


