マタイによる福音書 黙想 【逆説がつくり出した空間】 20260120(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マタイによる福音書 5:1~16 5:1 その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。 5:2 そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。 5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。 5:4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。 5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。 5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。 5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。 5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。 5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。 5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。 5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。 5:12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。 5:13 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。 5:14 あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。 5:15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。 5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。 世の中は「強い者、持っている者、勝った者」を、幸せな人、祝福された人だと言う。しかし、イエスの八福は最初から最後まで逆説である。貧しい者、嘆く者、欠けた者にこそ福があると言われる。難しい話ではない。自分に正直であるなら、経験的にも分かることだ。もちろん不思議に思えるが、誰も否定できない逆説的真理である。救いと恵みが滅びと絶望の逆説であるように、人生の一次的な絶望を抱え、それを「福」と呼ばれるのは、人間の一次的な絶望を通過せずに福を語ることはできないからである。八福を読む者は、その福を現実へと連れ戻さなければならない。 イエスは「心の貧しい者は幸いである」と言われた。世の中では貧しさは欠乏であり失敗だと考えられる。しかし、欠乏がなければ満足も成長も実在しない。伝道の書は、すべてのことに時があると言った。本質的には、富と貧しさは同じものなのかもしれない。生まれる時があり、死ぬ時がある。ただその時が違うだけで、それを人生と呼ぶのである。心の貧しさとは、貧困を自覚することだ。富んだ者は貧しい者に向かって、貧しさから這い上がれと言う。しかし、あまりにも深い貧しさは、誰かが引き上げてくれなければ抜け出せないこともある。心の貧しい人は、自分自身ではなく、救いを望むことができる。 「嘆く者は幸いである」という言葉もまた逆説である。嘆きというのは、憤りや悔しさの感情とは少し違うのではないだろうか。それらを通過した後に残る感情なのだろう。越えられない限界に直面した人間の、悲しい現実認識である。罪と死という壁の前で、人は嘆くほかない。しかし、まさにその嘆きがあるゆえに、人は自己克服の道へ進むのではなく、神の慰めを待つ場所へと向かうことができる。「貧しい者は天の御国を受け、嘆く者は慰めを受ける」という約束があるが、その約束をつかむためには、まず自分自身への絶望、すなわち人間存在の貧しさと嘆きを正直に直視しなければならない。 イエスは「柔和な者は地を受け継ぐ」と言われた。地とは不動産のことだろうか。そうではあるまい。影響力や支配力として読むべきだろう。世の中は強い者が地を奪い取ると信じている。しかしイエスは、柔和な者の境界がさらに広げられると言われたのである。支配力は支配しようとする心から生まれるのではなく、柔和な心から生まれる。柔和な心から生じる影響力は、抑圧的な支配ではなく、人々の同意と信頼の上に築かれる統治力である。地は誰かに支配されたことなどない。強い者が地を手に入れるのではなく、地がその強い者を飲み込み、その上に墓をつくるだけである。 心の貧しい者、嘆く者、柔和な者、義に飢え渇く者、憐れみ深い者、心の清い者、平和をつくる者、義のために迫害された者――この八人が別々にいるのではない。実はそれは一人の人間である。その人は自己確信に満ちた者ではなく、自分の限界を正直に見つめている者である。自分の中から答えが出てこないことを知り、世の中のやり方では結局救いをつくり出せないことを知っている者である。八福とは、成功した人々の秘訣ではない。神が入って来られる空間を持った一人が受ける福なのである。

마태복음 묵상 【역설이 만든 공간】 2026020(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마태복음 5:1~16 5:1 예수께서 무리를 보시고 산에 올라가 앉으시니 제자들이 나아온지라 5:2 입을 열어 가르쳐 가라사대 5:3 심령이 가난한 자는 복이 있나니 천국이 저희 것임이요 5:4 애통하는 자는 복이 있나니 저희가 위로를 받을 것임이요 5:5 온유한 자는 복이 있나니 저희가 땅을 기업으로 받을 것임이요 5:6 의에 주리고 목마른 자는 복이 있나니 저희가 배부를 것임이요 5:7…