マタイの福音書 黙想【法の上にある法】20260123(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

マタイの福音書 5:38-48 5:38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。 5:39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。 5:40 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。 5:41 あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。 5:42 求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。 5:43 『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。 5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 5:45 天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。 5:46 自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。 5:47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。 5:48 ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。  律法は、確かに神様の御心を表す神様の法です。ゆえに、その法を守ることのできない者は、その結果を負わなければなりませんでした。そして聖書は、その律法に従って生きることができた者は、誰一人としていなかったと、はっきりと証言しています。それこそが、罪がもたらした現実です。しかし、そのように無秩序化した世界を整えるために、律法の上に立つ「法の上にある法」が与えられました。それが、イエス・キリストを中心とする、信仰と愛の法です。    世の法において、法の上の法とされる憲法には、その法のもとに生きる人々の権利と義務が定められています。同じように、神様の法の上にある法にも、確かな権利と義務が存在します。    神様の愛の法のもとに生きる者には、神の国の民であることを超えて、神様の子どもとされるという権利が与えられています。これは、この世のいかなる権利にもまさる、最も大きな権利です。しかし同時に、神様の子どもとして生きる責任と務めも、確かに伴っています。その権利が大きいがゆえに、与えられる義務もまた、決して簡単なものではありません。    しかし、ここには、この世の法の枠組みでは説明しきれない重要な点があります。それは、この法の中心が、「信仰と愛」にあるということです。たとえるなら、憲法の第二章に国民の権利と義務が記されているとするなら、第一章には、神様の変わることのない、真実な愛が記されているのです。    もし、今日の御言葉が示すこの高い基準を、私たちの力だけで守らなければならないとするなら、それは神様の子どもになりたいと願いながらも、決して手にすることのできない、絵に描いた餅のように感じられるかもしれません。確かに、「第二章」だけを見るなら、そのように思わされるでしょう。しかし、その前に記されている「第一章」の法、神様の愛と恵みを知るとき、私たちはその無力感から解き放たれるのです。    だからといって、神様の子どもとされた私たちが、律法を軽んじてもよいわけではありません。むしろ私たちは、律法が示している一つ一つの教えを、神様の法の上にある法である、イエス・キリストを中心とする信仰と愛と通して照らしながら、守り行うことに心を尽くすべきです。そうするとき、誰ひとり守ることのできなかったその律法を、私たちはこの「法の上にある法」によって、少しずつ守り生きることができる者として変えられていくのです。 https://youtu.be/TaIUDJUsvYU?si=zXcymJkrl9vdPwSq

마태복음 묵상【법 위의 법】20260123(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

마태복음 5:38-48 5:38 또 눈은 눈으로, 이는 이로 갚으라 하였다는 것을 너희가 들었으나 5:39 나는 너희에게 이르노니 악한 자를 대적하지 말라 누구든지 네 오른편 뺨을 치거든 왼편도 돌려 대며 5:40 또 너를 고발하여 속옷을 가지고자 하는 자에게 겉옷까지도 가지게 하며 5:41 또 누구든지 너로 억지로 오 리를 가게 하거든 그 사람과 십 리를 동행하고 5:42…

マタイによる福音書 黙想 【甘えの構造】 20260122(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マタイによる福音書 5:27~37 5:27 『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。 5:28 しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。 5:29 もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。 5:30 もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。 5:31 また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。 5:32 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。 5:33 また、昔の人々に対して、『偽って誓ってはならない。あなたが誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。 5:34 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。 5:35 地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムにかけて誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。 5:36 自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。 5:37 あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。 人は罪を犯したあと、その罪悪感を処理するために自分を正当化する。そうして良心は次第に鈍くなっていく。本文には三種類の人が登場する。「姦淫してはならない」という戒めを聞きながらも、女を見て情欲を抱く人。離婚証書さえ渡せば離婚できるのだと考え、正当な理由もなく妻を捨てる人。そして誓いによって自分の言葉を保証しようとする人である。彼らは心の中では姦淫しながらも、実際の行為にまでは至っていないのだから大丈夫だと思い、定められた手続きを踏んだのだから離婚しても問題ないと思い、真実の問題を形式で置き換えることができると考えている。 しかし罪は行動の領域にだけあるのではない。罪はすでに心の欲望の中で始まっているのであり、関係は法律上の手続きで終わるものではなく、責任の中にある。また「正しいなら正しい、間違っているなら間違っている」と言えばよいことに、無理に誓いを乱発してはならない。人は非難を避けるために、自分で免責できる基準線を作り出す。そしてその線を越えていないという理由で自分を正当化し、人々の前でも神の前でも、自己欺瞞によって踏みとどまろうとする。 しかしイエスは、「行為としてはしていない」という結果よりも、「何を望んでいたのか」という動機を問われる。また「手続きを踏んだ」という事実よりも、「相手の人生がどうなったのか」を問われる。そして「誓った」という形式よりも、それが真実なのかどうかを問題にされる。イエスは弁解の中に隠れている偽善と自己欺瞞を暴き、安易な自己正当化を捨てよと言われるのである。神の前で、自分が作った基準線の陰に隠れてはならない。それは道徳がより厳しくなることではなく、むしろ自分自身に正直になる道なのである。

마태복음 묵상 【아마에의 구조】 2026022(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마태복음 5:27~37 5:27 또 간음치 말라 하였다는 것을 너희가 들었으나 5:28 나는 너희에게 이르노니 여자를 보고 음욕을 품는 자마다 마음에 이미 간음하였느니라 5:29 만일 네 오른눈이 너로 실족케 하거든 빼어 내버리라 네 백체 중 하나가 없어지고 온 몸이 지옥에 던지우지 않는 것이 유익하며 5:30 또한 만일 네 오른손이 너로 실족케 하거든 찍어 내버리라 네 백체중…