マタイによる福音書 黙想 【なぜ疑ったのか】 20260218(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
マタイによる福音書 14:22~36 14:22 それからすぐに、イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ、その間に群衆を解散させられた。 14:23 群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。 14:24 舟はすでに陸から何スタディオンも離れていて、向かい風だったので波に悩まされていた。 14:25 夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。 14:26 イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。 14:27 イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。 14:28 するとペテロが答えて、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。 14:29 イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。 14:30 ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。 14:31 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」 14:32 そして二人が舟に乗り込むと、風はやんだ。 14:33 舟の中にいた弟子たちは「まことに、あなたは神の子です」と言って、イエスを礼拝した。 14:34 それから彼らは湖を渡り、ゲネサレの地に着いた。 14:35 その地の人々はイエスだと気がついて、周辺の地域にくまなく知らせた。そこで人々は病人をみなイエスのもとに連れて来て、 14:36 せめて、衣の房にでもさわらせてやってください、とイエスに懇願した。そして、さわった人たちはみな癒やされた。 イエス様は、ひとりで山に登って祈られ、弟子たちを先に舟に乗せて送り出されました。しかし弟子たちは、途中で激しい嵐に遭いました。明け方近く、イエス様が湖の上を歩いて来られると、弟子たちは幽霊を見たかのように恐れました。ペテロは、「私にも水の上を歩かせてください」と願いました。すると実際に彼は水の上を歩き始めましたが、恐れた瞬間、すぐに沈み始めました。イエス様は彼に、「なぜ疑ったのか」と言って戒められました。 人は誰でも、何かを信じて生きています。頼れるものを探し、それに依存しながら生きています。何も信じずに生きられる人はいません。人は誰でも、何か拠り所となるものなしには生きていけないのです。人々は、その拠り所を確保するために必死になります。財産を築き、人間関係を管理し、健康を守り、名声を求めます。それらが、自分を水の上に浮かばせ、歩かせてくれる浮力になると信じているからです。基本的にはそうなのです。 しかし、自分が信じてきたものよりも現実の恐れのほうが大きくなる瞬間、人はあっけなく崩れます。信じていたものが無力に思えたり、疑わしくなった瞬間、人は沈んでしまうのです。イエス様の叱責は、もっと本質的な問いではないでしょうか。信仰の問題は、信念の強さではなく、「対象」にあるのです。世にある限り、風は吹きます。人である以上、恐れもあります。ペテロは風を見て、恐れました。目の前におられるイエス様を見るのをやめ、見えない風を見るようになった瞬間、彼は状況の力を信頼し始めたのです。 イエス様は、まず嵐を静められたのではありませんでした。その混乱を取り除かず、その上を歩いて来られました。問題を消し去るのではなく、問題の上に立つことによって、ご自身を示されたのです。私たちも、恐れの中で、状況を取り除いてほしいと祈るのではなく、状況を通り抜ける力を求めるべきではないでしょうか。信じられる条件があるからではなく、信じることのできるお方がおられるからこそ、風の前でも、海の上でも歩くことができるのです。嵐は今も存在しています。しかし、私は歩くことができるのです。


