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料理というほどではないが、食べ物を作るのが好きだ。食べ物を作るのが好きということは、私が作った食べ物を誰かに食べさせるのが好きだということでもある。だから料理の最初の動機は誰かに食べさせることだ。良い飲食店とは、たくさん売ってお金を稼ごうとするところではない、お腹が空いたお客さんがおいしく食べられる食べ物を提供するところである。その結果、お金を稼げば、それが本当の祝福になるわけだ。家族においしいものを作ってあげたくて料理を作り始めた。母親たちがいつも台所で苦労し、犠牲していると思っていたが、食べ物を作って家族に食べさせてみたら、そこに本当の幸せと恵みがあることに気づいた。

 

子どもの頃、客をもてなす母親は言った。一晩中準備してお客さんをもてなした時、「食べ物は本当においしい!」と言われると、すべての疲れが消えると。私はそれを不思議に思った。その一言言われるためにそんな苦労をしたというのか?ところが、私が食べ物を作って誰かに食べさせてみたら、その気持ちがやっと分かった。お礼でおいしいと言ってくれただけなのに、それでも気持ちが良くなった。人の心がそうなのだ。だから、食べ物を作る2つ目の動機、絶対に諦められない目的は「おいしい」と言われたいからだ。料理を作るすべての人は、それが聞きたくて料理を作り続ける。

 

おいしいと言う時、料理を作った人の愛、おいしく食べた人の満足、感謝する気持ちが家族の幸せという一つの作品に仕上がる。私たちはよく言う。 神様にために奉仕をしたから人々に表さない、人々に報いを望まないでと···その通りだ。神様を意識する聖徒たちが思わなければならない、言わなければならないことである。しかし、私たちを意識する神様は私たちにこのように言われると思う。行ってお疲れ様と言いなさい、ありがとうと言いなさい、おいしかったです。ごちそうさまでしたと言いなさい···家族と教会で仕えるすべての方々に、当然に感謝と尊敬の意を伝えなければならない。